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2005/09/24(土)
歳なりの色といえば
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洋服の場合、「歳によって、色が違う」ということは余りありません。赤い服は子供ともいえますが、OLの服にだって赤地のはあるし、逆に赤ちゃんに黒なんか着せちゃうのも今では普通。 可愛い服が似合うのは小さいうちなのだから、黒やグレーといったモノトーンのシンプルな服を着せてるのは もったいないと思うけど、親がモノトーン系のシンプル・コーディネートの場合は、そうそうピラピラした華やかな色をもってくるのも不釣合いではあります。
で、着物の話。暖色系や寒色系でも鮮やかな色は若い人のものです。 おばあさんになって赤い着物は着ません。段々と寒色系や渋い色に移動していきます。 といっても、何歳位からかというと、意外にも暖色系の時期は長くて、30代は暖色系です。私も40歳を越えてやっと寒色系がサマになってきました。それでも小物には暖色系を入れないとまだまだ。寒色系でキメられるのは、まだまだ先のようです。
最近の人は、洋服でもダーク系や寒色系を多く用いることがあり、そういう人にとっては、若い時期から着物も、暖色系でなく、寒色系を用いたがるように思います。プレタ着物はそれを見越してか、寒色系でも柄を華やかにして若い人でもババ臭くならないようにデザインしています。 といっても「年配の着られる暖色系」はやっぱりないです。
で、黒は別格。平安時代後期には束帯の最高位の色であり、武家の時代でも黒は一番の格の高い色でした。 黒紋付、黒留袖、着る機会が少ないのが惜しいほどに綺麗です。 振袖の黒地モノはもう、他の色柄なんてメじゃないってくらいに美しい。私の子供の頃には「黒の紋付振袖」と言えば花嫁さんのものでしたが、今は成人式用の振袖にも黒地のものがあります。 七五三のおチビちゃんに着せても、ナマイキな感じが良いし、ティーンから成年、年配とどの年代もそれなりに似合うのが黒。
さて、平安時代はというと、やはり、桜(裏紅に表白など)や山吹(裏青に表黄など)は若い人のものでした。いつまでも艶やかな色のものを着ていると「若作り」なんて陰口叩かれたようです。 男性の袴の色は、若い人は濃い紫、歳を経るに従い、濃花田、花だ、薄花田、白と色を薄くしていきました。白はかなり年配だったようですが、定年のない当時は70歳位でも大臣職にあった人もいました。元服したての若い色目から、色の薄いのや白といった色目まで、随分と様々にいたんだろうと思います。 「源氏物語」では、夕霧が宴に出かける際に源氏の君が「それは色が濃くてよくない」と自分の手持ちの衣から薄い色の衣を着せるクダリがあります。「大人っぽくする」というのは、「色を青より、濃さは薄めに」ということだったようです。 夏の直衣は「ニ藍」と決まっていましたが、このニ藍という色も曲者。藍と紅の二度染めで「ニアイ」というわけですが、若い人は紅を多く染め、年配は藍を濃くし、更に全体に染め色を薄くしていきました。だから、若い人の青みがかったピンクのから、青紫、花田色、薄花田、白と、色々の色がいたわけです。
人間歳をとると、顔の造作も薄くなってきますので、着るものも寒色系の薄い色の方が似つかわしくなってくるようです。
写真はニ藍の生絹(すずし)の夏の装束。思ったよりも年配色に仕上がってしまった一枚です。
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