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2005/07/15(金)
歴史の問題:ダウトを探せ
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お姫さんの夏休みの宿題が発表されたので、範囲を見ていました。 歴史のプリントの平安時代の項目で ヒクヒクひきつる
+---------------------------------------------------------- | 平安文化について調べよう | 1)紫式部の書いた小説は? | 2) 清少納言の書いた随筆は? | 3) この頃、貴族の住んでいた邸宅は? | 4) この頃の男子の礼服と女子の礼服は? +---------------------------------------------------------- 1)が源氏物語、2)が枕草子、3)が寝殿造りなのは良いとして、 「礼服」って「礼服(らいふく)」じゃないよね。とまず、突っ込んでしまう。 平安後期にもなると、帝の即位にしか用いられなくなりましたが、「礼服(らいふく)」ってあんたんですよ。 男性は、中国の水墨画のような、女性は観音様のような格好です。
ま、「礼服(れいふく):正装のための衣類」と、普通に読むとして。先に答えを見ちゃうと、やっぱり「衣冠束帯、十二単」と書かれていました。 ホンのちょっとだけ、マジメに「日本の美術:公家の服飾」なんか読んでいると、「束帯、物具装束」と書きたくなってしまいます。 「衣冠束帯」って言葉はないのに、どうして、あちこちでそう書かれてしまうのか。そのうち、定着しちゃったりして(いや、もう定着してるって)。「衣冠」と「束帯」は別の服装なので、2つをくっつけて呼んだりはしないのです。はたまた「冠直衣はどこいっちゃったの?」とかね。位の高い人で、特別に許しを得た人は直衣に冠の姿で出勤できました。
「十二単」これはもう定着しちゃってますね。こちらも「女房装束」もしくは「裳唐衣」「裳唐衣及び五衣」などと呼びます。 これに、ヒレとくん帯をつけて、髪を上げて結ったのを「物具装束」と呼びます。ヒレは、奈良時代の服装の名残のショール状のもの。くん帯は、衣類をまとめる紐です。裳唐衣だと裳の帯で締めますが、くん帯があるときは、これで更にしばります。 宮中でも、内侍や命婦といった、公式の役職の女性は、物具装束でした。つまり、男性の出勤服が束帯なら、書生の出勤服は物具装束だったわけです。 また、「十二・・」なんて言うから「12枚も着てたんですか?」なんて質問が必ず出てくることになる。「十二単」の言葉は「十二枚の袷の衣と単」を意味します。「栄華物語」では20枚も着込んで服が裂けちゃう笑い話もありますが、寒暖の対応やオシャレによって枚数はまちまちだったようです。これが平安末期頃には、5枚に落ち着き「五衣(いつつぎぬ)」と呼ばれるようになりました。「十二単」という単語は、平家物語で二位の尼だったかな、女院だったかな、が入水するときの服装が「十二単」だったと書かれています。正装というより、着かさねてただけだろうと言われています。がこの単語、誰かが誤用し、そのまま定着してしまったのです。
なまじ知っていると、「テストの解答としては」なんて、わざわざ考えてしまったりします。
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