優妃 讃良の着物についておもうこと
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2005/03/12(土) 梅祭り お姫さん版
13日の日記。
これはお姫さんの水干姿。下は黒の女袴です。
木綿の細かい市松模様のプリントですが、結構ソレっぽく見えるもの。
周囲からは「お供」「家来」などと呼ばれて、むくれていましたが、ウチギの姫が2人に、狩衣の殿一人の一行では、水干姿では、下仕えの童にしか見えないのも道理でしょう。

「義経」とか「お内裏さま」なんて声もかかりました。

2005/03/07(月) 結城紬では暑い
良い天気になりました。春というより、初夏になりかけじゃないかと思う位の好天気。
結城紬を着てたら、暑いです。同じ絹モノでも、結城は若干暖かいようです。ホッコリするのは手触りだけではないようです。

結城紬、世界遺産に登録しようという動きがあるらしいですね。
日本の無形文化財というだけで高くなっているのに、世界遺産になったら、もっと値上がる。引き取り先は博物館ばかりになりかねません。江戸時代には商人の一般的な衣類であり、その頃は30亀甲ですらなかったと。普段着なのですから、そういう気楽で手を出しやすいものであって欲しいです。

2005/03/06(日) 一周年墓前礼拝
祖母の昇天1年祭です。仏教で言えば一周忌になります。
数日前から天気予報見ながらのやきもき。
「雨もしくはミゾレ」って出てるので。
「お献茶は中止にするか?」など、Telが飛び交って。
が、当日、雲はあるけど、うす曇という程度。

私は黒紋付きに黒帯、姫は、黒紋付きに黒袴の姿で。殿は洋装。
寒そうなので、姫も私も下に白衣を着込みます。さらにすそよけは正絹の鬼縮緬。ベンベルグの平織りと比べて格段に暖かい。
降雨を懸念して、私は紗コート、姫には化繊の長羽織を。

洋装の参加者は、新調したらしい黒服の暖かそうなのを着用。
毎年、この時期に墓前礼拝ですから、懸命な選択です。
オシャレな叔父は仕立の良い紺の三つ揃い。

結局、雨が降らないどころか、日までさしてきて、お献茶を含めて、滞りなく墓前式は済みました。11月3日という晴れの特異日に生まれた祖母は「晴れ女」なのです。さすが!

ささげたお茶は、父、母、叔父で回し飲み。
「お墓の前でお茶飲むのは初めてだわ」
って、私は、お墓参りでこの叔父にお寿司握ってもらったという経験もあるんですが。
母はお茶を習ってはいても、「お献茶」はしたことがなかったので、未知のものでした。
私は、装束の方でやる方がいたので、それの見よう見真似。

普通は、側の芝生でお弁当なのですが、時期的に寒いし、一周年祭なので、近くのうなぎ屋さんに席を取りました。
テーブルの上に置いた祖母の写真は「おいしそうだねぇ」と言っているようで。祖母はウナギが大好物だったんです。

2005/03/05(土) 学校説明会
お姫さんの中学の入学説明会に行ってきました。
子供の部の方では、クラス分けテスト。4月最初の時点で、もう能力別に分けてしまうからと。
能力の異なる生徒はお互いにジャマですから、妥当な処遇。
入学式直後に理解度チェックテストをする学校は多いそうなので、それが入学前だったと思えば。

今年は約4000人の受験生で、約1600人が合格。入学手続きをしたのは293名。ここから、未発表な慶応他数校分が消えるらしいですが、募集人員が120名なのに倍になりそうな雰囲気。どうすんだろう?

2005/03/03(木) おひな祭り 雛のチェックポイント
今日は世間では、「3月3日のひな祭り」ですが、我が家では、まだ、お雛様は出ていません。
庭では、まだ紅梅白梅が盛りという「うーむ、正月」という雰囲気なのに、家の中が「桃の節句」ってのは、ないよなぁと思うわけで。
我が家は概ね、節句は旧暦もしくは月遅れ派です。
4月になれば、桃も咲きますしねぇ。って、一緒に桜も咲いちゃうので、「花見」と兼になっちゃうのは仕方ないんだけど。

今日はお雛様のチェックポイント。

大雑把には、「段飾り」という官女、お囃子、隋人に衛士を従えた団体さんと、「親王飾り」という男雛と女雛の二人所帯のがあります。最近は、親王飾りに官女付きというミニ段飾り(?)もいます。
元々親王飾りで、女児の遊具だったようです。今のお雛様らしい束帯と裳唐衣の盛装の他に、男は直衣や狩衣、合わせて女も袴にウチギの重ねや、袴ナシでうちぎを重ねたものなども残されています。
これが江戸に行くと段飾りに豪華化します。江戸時代のお話。なので、段飾りのお道具には箪笥や駕籠が合ったりするわけです火鉢や鏡台も江戸時代式のものもあります。そうかと思えば、長持ちや床几があったり。揃えによって「平安式(?)」になったり、「江戸時代」になったりしてしまいます。

お雛様の衣装も、大きな意味では「束帯と裳唐衣」なのですが、これも江戸時代に、女性の衣類には掛帯(かけおび)というものが流行り、このタイプの衣装を着ている女雛も多くいます。ほぼ二分という感じでしょうか。

仕立の面では、袴をはいた部分を本体として、胴、裾、袖に分けてつけていきます。裾の仕立にも差異があり、5枚仕立、3枚仕立などがあります。私のを見たら、ぶっとび1枚でした。
着物は、オクミ、前、後、後、前、オクミですから6枚仕立です。これを後を1枚として5枚で仕立てると、いかにも裾を引いたように見えます。3枚は、オクミと前を一つにした方法。
また「本仕立」と呼ぶ、まっとうな形に縫い上げた上で人形に着せ付けるものもあります。裾に向かって着たときのヒダができるので、綺麗です。

生地ですが、主に帯地のような金襴が使われます。これは、江戸という派手好みの土地に発祥したからなのでしょうか。「有職雛」と呼ぶものでは、装束に使われる生地を雛サイズの紋つけにして織り上げたもので、こちらには金襴は入りません。関東圏では手に入りにくい上に「有職の方が上等」といわんばかりに高額なのもぷんすかもの。京都では、比較的数は見られますが、腕の良い人形師が作るからなのかやはり高額。

思うに、金襴地に比べて、有職生地はごまかしの効きにくい生地です。その辺が「生地代」よりも「腕代」で高額化するのかも。

そして、どこかのCMにあるように「人形は顔が命」です。
沢山並べて見ると、同じような顔でも、随分と色々な顔つきをしていることがわかります。
「良い悪い」というよりは「好み次第」という方でしょうか。
おっとりした顔、つんとした顔、愛嬌のある顔、そして、京雛と関東雛はまとめて見ると、違いを感じます。産地の違いによる顔の傾向のようなものがあるようです。
京雛って、やっぱり京都市街で作っているんでしょうか。
関東雛は、浅草橋、埼玉(岩槻、鴻巣)が中心です。

私のは、母方の祖母が浅草橋に出かけていって、しかも手に持って帰って来たという代物。顔で選んだそうな。
「けし雛」と呼ばれる小さいお雛様の種類で、江戸時代、奢侈禁令の際に庶民の雛の大型化にも規制がかかり、このサイズになったとか。が、「ちいさけりゃいんだろ」とばかりに、こだわりの精緻さを競った雛であったとか。3号までのサイズだったと。
というわけで、「けし3号」というサイズです。
今は、9号位が普通で、会場だと、それでもさほど大きくは感じません。今は木目込み雛でもなければ3号はないそうです。

2005/03/01(火) 男の着物の色
男の着物といえば、紺、鼠、茶、抹茶など地味な色が思い浮かぶ。江戸時代には四十八茶百鼠という程多彩な色があったというが、それにしても、所詮は鼠と茶だ。

これは、江戸時代の奢侈禁止令に遡る。とはいえ、それ以前にも庶民の男の衣類はやっぱり地味だった。染織に使えるものが少なく、櫨や藍など茶、紺や黒に染められるもの、刈安など黄に染めるものしか使えなかった。紅や紫は天上のものだった。

明治になって、そのような禁止令が無効化し、女性は芸者の着物を真似て、カラフルな色柄を用いるようになっていった。ところが、男性の着物は地味色から外には出なかった。

何故なのだろうか?
江戸時代、大奥などでは、染めや縫いのカラフルなものがあり、奥女中をした者がお下がりにそれらを頂き、晴れの日の特別な装いとして着ていたらしい。一方、男性は武家も地味地味路線。
「バカ殿役」が金襴の織物の羽織袴を着て出てくることがあるが、少なくとも江戸の後半には、大名といえども、そんな格好をしたとは思えない。としたら、男性にとって「カラフルな着物」というのは、「知らないもの」だったのかもしれない。

男性が煌びやかな色や織りの衣類を着ていたのは、狩衣まで遡る。男性の衣類の中では、一番色どりも柄も華やかなものになる。その前の束帯や直衣には色や紋織りに制限があったから。
袴も紫、藍、萌黄ととりどり、衣は女性のように襲ねの色目にこだわり、狩衣の織柄も意匠を尽くした。

これらの華やかな男性の衣類文化は、貴族の力が衰えると共に消えていってしまった。また、威厳だけはあった宮中は、武士や庶民にこれらの華やかな織物を使うことを禁じた。

最近の着物の流行と共に、男性の中には、「華やかな色柄の着物や羽織袴を着たい」と思う人も少なからずいるようだ。
立ち居が身についてない上に着物を知っている人には違和感のある生地は、「チンドン屋か、バカ殿か?」という印象を与える。
まして、それで「成人式で、舞台に上がって顰蹙モノ」なんてやってくれると、「あーあ」と思ってしまう。
でも、洋服でもカラフルなモノを着慣れた人は着物でも、カラフルな着物が着たいのだよね。
呉服屋もあの、「舞台衣装にしか見えない、安物ペカペカ」ではない、それでいて地味色じゃない反物って、男性向けにも検討して欲しいと思う。

狩衣だと、こんなに綺麗な色を使えるのに。


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