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2005/03/23(水)
振袖というか、袖丈の話
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着物の袖丈のお話。 成人式に見られる大振袖は、3尺弱にもなる長いもの。 例えば、身長165cmの人の首から床までは、140cm程。これは尺寸だと3尺7寸程。手を下げれば、袂も下がるので、実際には、これでほぼ床ぎりぎりに近かったりする。 一方、普段着や成人後の女性の着る着物の袖丈は1尺3寸(約50cm)。 小振袖などと呼ばれる袴下にも用いられる着物は袖丈、大方2尺。 若い人の訪問着には1尺5寸や1尺4寸も用いられる。
ちょっと昔大正とか昭和初期とかには、お嬢様達の銘仙などには、この中間な袖丈もあった。1尺7寸位だろうか。 親や祖母の若い頃の着物を捜すとこんなのが出てくる。
んで、振袖。「成人式迄」という言い方もあれば「独身のうちは」とも言われ。さらに「国際的なパーティなら既婚者でも」という雑誌もある。 「振る袖」は「男を惹く」という意味で、結婚後は着ないという説もある。留袖とは、もともと、結婚後に振袖を切って「留め」たことから来ているという。
でも、男児も礼装は振袖なのは、七五三の衣装を見ればわかると思う。脇や袖口を縫いつけてある着物は走り回る子供には通気性が悪いので脇や袖口を開放した衣類を用いていた。 これをしかるべき時期に綴じた衣類に着替えた。だから、それ以降は「子供の用に無闇に走り回って遊んではいけない」ということだったのかもしれない。 昔は、元服や裳着の前後で衣類も立場も変わったので、当人も自覚しやすかったかもしれない。
長い袖は裾引く端折らない着方と並んで「家事、仕事をしない」という表明でもあったらしい。 長い袖は何をするにも不便。平安時代から庶民の衣類は袖なしや筒袖なのだが、案外とこれはずーっと引き続き、ある意味、洋服の袖なんて、筒袖の今風ともいえるかもしれない。
庶民の中から武家がでて、商人が出てと、時代が下るに従い、良い生地を使うようになった一方、余り実務に携わらない人を中心に袖は長くなっていった。帯が太く、胸高になるに従って、子供に用いられていた、脇に身八つ口を作る手法も大人の着物にも取り入れられた。
ま、そんなこんなの経緯で今の着物の袖がある次第。 今は、1尺3寸を基本とする。既製着物もほとんどこの寸法なので、既製襦袢ともあわせ易い。 着物1着に襦袢1着なんて作ることは余りないので、袖丈はそろえておいた方が良い。
もっとも、袖丈の決め方には、この既製寸の他に「着丈の3/10から4/10」という決め方もあった。着丈が140cmなら、56cm(約1尺5寸)位が使えることになる。 他に「手を下げて指先の先端と袂の一番下が同じ長さ」というのもある。これは着たときのバランス重視の決め方。 これを使うメリットには「裄とのバランス」というのもある。 袖丈1尺3寸は並の裄(袖幅8寸)を想定していた。 同じ比率で、袖幅9寸5分とか取るとすれば、1尺3寸を9.5/8倍した約1尺5寸が同じ比率になる。裄ばっかり出すと袖の形状が長四角から正方形に近づき、格好が悪くなっていく。
私の場合、襦袢を3サイズ持っている。一つは礼装用で裄1尺8寸5分対応の袖丈1尺5寸。次は誂えの小紋・大島など用の裄な同じで袖丈1尺3寸。最後は既製品と親類のお下がり用の裄1尺6寸、袖丈1尺3寸。買うときは、このどれかに合うようにしている。 但し、注意したいのは、袖丈を長く取ると、身丈が犠牲になる。12mとか、13m辺りで身丈も長くと思うと無理が出る。
写真は1尺5寸の袖丈のもの。違和感のないのがわかると思う。
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