優妃 讃良の着物についておもうこと
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2005/03/14(月) 教えをこうのに着るもの
お姫さんの制服がやってきました。
中高生の制服とは便利なもので、冠婚葬祭の全てにそれに相応しい礼装として使えるのです。ここしばらくは、買い替えながらつないできた黒や紺の礼装衣類を買わなくて済みます。

って、制服は逆に、「礼装にも使える」というよりは、「礼服で、授業に臨む」と見るべきなのかもしれません。

「教えを請う」とは、元来、師に礼を尽くして始まるものであり、「金払ってんだから、何着てこようと勝手だろ」という理論はありえませんでした。逆に教師もまた居丈高に「教えてやってんだから」ということもなく、こちらもまた、きちんとした服装で教えにあたりました。

それが、教師はスリッパばきにジャージ(体育教師でもないのに)、対する生徒も、パンツの見えそうに短くしたスカートの下に膝丈ジャージで、はきつぶした上履きなんて、どっちもどっちの割れ鍋に綴じ蓋。
私の学校は私服でしたが、「タンクトップは授業に出るのに不適切」なんて、タンクトップ着た教師に言われても、聞く気ありませんでしたから、生徒なんて古今東西、そんなもんでしょう。

通勤途中の東京駅で出会う修学旅行生も、制服姿でも着崩して、ザワザワしているのは、きまって教師はポロシャツにGパンだったりして、騒ぐ生徒の間を走り回っているとこなんか「小遣いさん」めいて滑稽なほどに。
逆に生徒が私服でも教師はスーツ姿なとこは、意外にも粛々と
してて。

お姫さんの行く学校は、制服は結構厳しいです。指定の制服があるのはもちろん「スカートは膝丈」「靴下は白。ワンポイント迄はみとめる。ずりさげソックスは禁止」と。
対する教師の服装も、男はネクタイに背広。女性もテーラードスーツ(背広の上着にタイトスカート)に白ブラウスです。

今まで、小学校では、こちらとしては、「授業を受けるには、きちんとした格好で。体育の授業は着替えて」と思っていたのですが、スカートはいていって、けなされるは、登校時に体操着のほかの子に比べて着替えをする分、遅れを取るはで、くじけた娘に、こちらも折れて、体操着えの通学を認めていました。
これが終わると思うと、嬉しいのなんの。

公立中学行くと、体操着通学継続ですからねぇ。ジャージの中学生が歩いていきます。男子の制服姿なんてみたことなかったので、制服指定の紙見て、詰襟だと知ったくらい。

体操着で教室で教えを請うなんて、失礼千万だと思っていた私は、娘が私立に行くことになって、そうでなくなったことがとても嬉しいと思うのでした。

着物の場合ですが、教えを請うのにゆくには、それなりの着物であると思っています。
今だとお茶やお花といったもので、普段は洋服でも良いということが一般的なようですが、着物を着るならば、それなりに。
「着ていく」と決めたのならば、晴れの日のための良い着物も用意しておきたいもの。

昔ならば、小紋、付け下げ、振袖や訪問着と成人に向けて当然のように用意しました。お嫁入りにあたっては、更に黒紋付きや、黒羽織といった冠婚葬祭用のものも用意しました。
当時は、結婚後に揃えられなくなるという意味や「妻のものは実家で用意しておく」といった考え方もありましたので、結婚に際しては最低限のものは用意したわけです。
妻として親として、晴れの席に臨むには十分な支度をしておいたという次第。

といっても、それだけの支度のできないお家もあったわけで、そういうのを承知で娶ることもあったわけです。
子供にも十分な晴れ着を用意できずに、卒業式でも当人も親も普段着と変わらぬ格好で臨むことになったでしょう。

今は、そこまで窮乏していなくても、手持ちの着物がなく、「それでも着物で出たい」という当人や親がいます。
過去の上のような事例を見れば「もっていない人は持っている範囲のもので一番似つかわしいもので出れば良い」という考えは成り立ちます。
普段着バレバレな素朴な絣でも、着物に詳しくない人から見えれば、十分な晴れ着に見えたりもする今日この頃では、気にする方がバカバカしいことなのかもしれませんが。

着物に慣れて、好きになって、晴れの場でも着たいと思うようになったら、晴れ着に使える一枚を「一張羅」として手に入れて欲しいと思う次第です。昔だって、その言葉通り、それは一枚しかない大事な着物だったのです。毎回同じだって問題ありません。「前とは違う普段着」よりは、それはずっと相応しいもの。


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