優妃 讃良の着物についておもうこと
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2005/03/01(火) 男の着物の色
男の着物といえば、紺、鼠、茶、抹茶など地味な色が思い浮かぶ。江戸時代には四十八茶百鼠という程多彩な色があったというが、それにしても、所詮は鼠と茶だ。

これは、江戸時代の奢侈禁止令に遡る。とはいえ、それ以前にも庶民の男の衣類はやっぱり地味だった。染織に使えるものが少なく、櫨や藍など茶、紺や黒に染められるもの、刈安など黄に染めるものしか使えなかった。紅や紫は天上のものだった。

明治になって、そのような禁止令が無効化し、女性は芸者の着物を真似て、カラフルな色柄を用いるようになっていった。ところが、男性の着物は地味色から外には出なかった。

何故なのだろうか?
江戸時代、大奥などでは、染めや縫いのカラフルなものがあり、奥女中をした者がお下がりにそれらを頂き、晴れの日の特別な装いとして着ていたらしい。一方、男性は武家も地味地味路線。
「バカ殿役」が金襴の織物の羽織袴を着て出てくることがあるが、少なくとも江戸の後半には、大名といえども、そんな格好をしたとは思えない。としたら、男性にとって「カラフルな着物」というのは、「知らないもの」だったのかもしれない。

男性が煌びやかな色や織りの衣類を着ていたのは、狩衣まで遡る。男性の衣類の中では、一番色どりも柄も華やかなものになる。その前の束帯や直衣には色や紋織りに制限があったから。
袴も紫、藍、萌黄ととりどり、衣は女性のように襲ねの色目にこだわり、狩衣の織柄も意匠を尽くした。

これらの華やかな男性の衣類文化は、貴族の力が衰えると共に消えていってしまった。また、威厳だけはあった宮中は、武士や庶民にこれらの華やかな織物を使うことを禁じた。

最近の着物の流行と共に、男性の中には、「華やかな色柄の着物や羽織袴を着たい」と思う人も少なからずいるようだ。
立ち居が身についてない上に着物を知っている人には違和感のある生地は、「チンドン屋か、バカ殿か?」という印象を与える。
まして、それで「成人式で、舞台に上がって顰蹙モノ」なんてやってくれると、「あーあ」と思ってしまう。
でも、洋服でもカラフルなモノを着慣れた人は着物でも、カラフルな着物が着たいのだよね。
呉服屋もあの、「舞台衣装にしか見えない、安物ペカペカ」ではない、それでいて地味色じゃない反物って、男性向けにも検討して欲しいと思う。

狩衣だと、こんなに綺麗な色を使えるのに。


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