優妃 讃良の着物についておもうこと
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2005/03/29(火) 形見にスゴイものをもらっちゃったら
大伯母の着物の整理も一段落。殿が作ってくれた棚にどうにか全部納めた。
まだ、何が何者なのかについては、不定なもの多し。
いくつかは、サイトで相談に載ってもらったり、呉服屋にさりげなう着て行って「これなんだろ」とやって判明したのだが。
ゴチャゴチャなのである。すっごい大島があるかと思えば、村山大島は混じっているし。黒留袖の地は羽二重でも縮緬でもないようで「まさか、お召し?でも留袖に?」なんて不可解な生地も。
織物の方は「ウールか?銘仙か?お召しか?紬か?」と不可解なものの連続だし、紬だってほとんどのは何紬かわからない。
どの本にも載っていない、二種類の色糸をの一方を表に出すことで柄を作る織物は何なのかとか。裏は逆色のの織柄になる。先日「西陣お召しですよ」と某呉服屋で紹介されたのが、やっぱり同じ織り方のだったが。別のとこから来た着物にも同じタイプの織り方のがあったので、一時期やたら流行ったものかもしれない。

なんて、中で、すっごいものがあったら、どうしようか、という話。重要無形文化財だとか、人間国宝作なんてのがあったらとか。

でもね、多くの場合、「形見分け」なんて、情緒的なことよりも「うちでは着ないから」ってことの方が多かったりする。
大伯母の着物が形見分けなんて量をはるかに超えて来てるのも、「持ってかなかった分は、ゴミに出すから」というオソロシイ言葉にあったから。国宝だろうが、重要文化財だろうが、着ない人にとっては、何の価値もない。価値がわかってたとしても活かしようがない。その人達の望むことは「価値をわかって、着てた人のことをわかって愛用してくれること」だと思う。
例え、自分がそうでなくても、愛用してくれる人のところに手渡すことができれば、良いのではないかと思う。

なんて、価値がわからないことをいいことに、貰い物の大島やお召しらしきものを気楽に着てしまっている我が家。
お姫さんなんて、綿入れの大島(らしきもの)を寝巻きにしちゃってたりする。暖かくて良いのだという。いいのか?いいのか?

もらい物の大島らしき先染め織物に、桜小紋に枝垂れ桜が背中全面にある羽尺絵羽の羽織。帯は黒地厚手のシュス地8寸に刺繍で柄をつけたもの。(襦袢の衿がどっか見えなくなってる)
もしかしたら、すごいものなのかもしれない。

2005/03/24(木) 卒業式
前日雨で、天気予報でも「曇りのち午後雨」なんて、よろしくない予想だったけど、当日、雲はあるものの陽はうららかに射して、絶好の卒業式日和となった。
「式には、礼服であれば良く、中学校の制服を着てくる必要はありません」という、何故か再三のお達しであったが、全員、揃って、進学する中学の制服を着てきた。制服を仕立てる工場が1月末に火事を出し、制服の仕上がりが遅れて、数日前に引き取りに行ったという家もある位で、ドキドキものではあった。
公立進学の子は男子は詰襟、女子はセーラー服と伝統的なパターン。2校ある筈なのだが、ボタンだとかセーラーのカラーの結びといった微細な部分なので、見分けがつかない。男子は同じ詰襟でも濃紺と黒の違いがあった。式場の体育館では見分けがつかななかったが。
私立組は男女共にブレザースーツ(男子はズボン、女子はスカート)。各校色や柄、タイが違う。先日迄「小学校の卒業式は中学の制服を着て出席するのが当然」といっていた殿だが、当日の状況みて「中学の制服着て、ってのは、全員が同じ学校に進学するのが前提だなぁ」と。殿のときは、全員同じ中学に進学したのだと。男女の違いはあれ、同じ制服を揃って着たのは「をー卒業だぁ!」という雰囲気だったのだという。
私立組は、揃え様がない。「将来は、もっと私立組が増えるだろうから、制服という習慣も変わるかも」と殿。
4月からは異なる学校に進学するとしても、3月の卒業の時点は同じ小学校の生徒の筈。異なる中学の格好をすれば、既に立場が異なることが明白になってしまう。私としては、それってやだなーと。うちのお姫さんのように「これで、いじめっ子とあわんで済む」とせいせいした気分なのは少なく、「もう、お別れなんだね」という気持ちになる、それをはっきりさせてしまう。

なーんて、感傷に浸ってるのは、卒業生当人にはいなかったりして。なんせ、もう「家帰って着替えたら、遊ぼ!」なーんて言ってる。まだまだ「別の学校に行く」という気持ちは、しっくりしていないのかもしれない。

んで、本日のお衣装。
午後、この格好で、お世話になった保育園に挨拶にでかけました。

2005/03/23(水) 振袖というか、袖丈の話
着物の袖丈のお話。
成人式に見られる大振袖は、3尺弱にもなる長いもの。
例えば、身長165cmの人の首から床までは、140cm程。これは尺寸だと3尺7寸程。手を下げれば、袂も下がるので、実際には、これでほぼ床ぎりぎりに近かったりする。
一方、普段着や成人後の女性の着る着物の袖丈は1尺3寸(約50cm)。
小振袖などと呼ばれる袴下にも用いられる着物は袖丈、大方2尺。
若い人の訪問着には1尺5寸や1尺4寸も用いられる。

ちょっと昔大正とか昭和初期とかには、お嬢様達の銘仙などには、この中間な袖丈もあった。1尺7寸位だろうか。
親や祖母の若い頃の着物を捜すとこんなのが出てくる。

んで、振袖。「成人式迄」という言い方もあれば「独身のうちは」とも言われ。さらに「国際的なパーティなら既婚者でも」という雑誌もある。
「振る袖」は「男を惹く」という意味で、結婚後は着ないという説もある。留袖とは、もともと、結婚後に振袖を切って「留め」たことから来ているという。

でも、男児も礼装は振袖なのは、七五三の衣装を見ればわかると思う。脇や袖口を縫いつけてある着物は走り回る子供には通気性が悪いので脇や袖口を開放した衣類を用いていた。
これをしかるべき時期に綴じた衣類に着替えた。だから、それ以降は「子供の用に無闇に走り回って遊んではいけない」ということだったのかもしれない。
昔は、元服や裳着の前後で衣類も立場も変わったので、当人も自覚しやすかったかもしれない。

長い袖は裾引く端折らない着方と並んで「家事、仕事をしない」という表明でもあったらしい。
長い袖は何をするにも不便。平安時代から庶民の衣類は袖なしや筒袖なのだが、案外とこれはずーっと引き続き、ある意味、洋服の袖なんて、筒袖の今風ともいえるかもしれない。

庶民の中から武家がでて、商人が出てと、時代が下るに従い、良い生地を使うようになった一方、余り実務に携わらない人を中心に袖は長くなっていった。帯が太く、胸高になるに従って、子供に用いられていた、脇に身八つ口を作る手法も大人の着物にも取り入れられた。

ま、そんなこんなの経緯で今の着物の袖がある次第。
今は、1尺3寸を基本とする。既製着物もほとんどこの寸法なので、既製襦袢ともあわせ易い。
着物1着に襦袢1着なんて作ることは余りないので、袖丈はそろえておいた方が良い。

もっとも、袖丈の決め方には、この既製寸の他に「着丈の3/10から4/10」という決め方もあった。着丈が140cmなら、56cm(約1尺5寸)位が使えることになる。
他に「手を下げて指先の先端と袂の一番下が同じ長さ」というのもある。これは着たときのバランス重視の決め方。
これを使うメリットには「裄とのバランス」というのもある。
袖丈1尺3寸は並の裄(袖幅8寸)を想定していた。
同じ比率で、袖幅9寸5分とか取るとすれば、1尺3寸を9.5/8倍した約1尺5寸が同じ比率になる。裄ばっかり出すと袖の形状が長四角から正方形に近づき、格好が悪くなっていく。

私の場合、襦袢を3サイズ持っている。一つは礼装用で裄1尺8寸5分対応の袖丈1尺5寸。次は誂えの小紋・大島など用の裄な同じで袖丈1尺3寸。最後は既製品と親類のお下がり用の裄1尺6寸、袖丈1尺3寸。買うときは、このどれかに合うようにしている。
但し、注意したいのは、袖丈を長く取ると、身丈が犠牲になる。12mとか、13m辺りで身丈も長くと思うと無理が出る。

写真は1尺5寸の袖丈のもの。違和感のないのがわかると思う。

2005/03/19(土) 京都物産展
大宮そごうで京都物産展があった。
木曜だったかの初日には舞妓さんも着て踊りを披露したとか。
毎年、この時期にやるのだそうな。そういえば、いつだったかに、ふらっと立ち寄ったときに同じ顔ぶれの京都物産展をしていた。あれはこの季節だったのだろうか。

今回は、新聞記事で見ての来店。
お目当ては「みすや」の針と糸と5寸ものさし。
私はこの「みすや」の待ち針と縫い針が一番好き。布に負担のかからない感じがする通りの良さ。
糸は、他で売っているものとは撚りの方向が逆。私が玉作るときに縒る方向と同じなので、糸がほぐれないところが好き。
見ると /////// のようになっている。
そして5寸ものさし。普通は2尺と1尺のだが、端縫いのための「端から1寸」」といった小さい寸法を見るには、1尺のでも面倒くさい程大きく感じる。また持ち歩きもできて便利。なんてことしているから、初代のは、行方不明になってしまった。
今回他に見つけたのはメジャーの鯨尺目盛りのもの。
呉服屋さんとかで持っている人もいるので、手軽でいいなぁと思っていた。

後は、適当に見て回る。姫にせがまれて梅紫蘇飴を買ったり、肌襦袢を買ったり。
5cm程の幅広の腰紐もあったが、家にあるので、買わなかった。レンタル品落ちの小物ではよく見るのだが、新品で売っているのを見たのは初めてだった。700円弱。そんなには高くない。

んで、私は、ラメ糸を織りこんで柄を作った柄のとこ以外ねずみ色無地の着物に紫の袴。姫は臙脂の地に蝶柄の小紋に黒の袴。
通りすがりの人が「卒業式ね」「卒業式ね」とささやく。
この時期だからね。

2005/03/18(金) 本物の真価、安物の勝手の良さ
「着物は高い、洋服はずっと安い」という人がいる。
でも、そういう洋服ってのは、海外縫製のTシャツとか、化繊のナントカとかのことで、実は、良い生地と良い型紙、良い縫製をすると、なまなかの着物に負けない金額になる。
衿などの仕上げ部分を手縫いでした縫製など、一度着たら、1着1万円なんてスーツは着心地が悪くていられなくなるほど体に馴染む。
逆に海外縫製しかもミシン仕立の化繊の着物は、下を見れば案外と安い。化繊といえども、ブランド物だのシルックだのと言えば、そうそう安くないけど、安いものも結構ある。昔は「風呂敷着物」なんて言うような、バレバレの化繊が多かったようだが、今は、ちょっと見なかなかいい感じのものが多い。(もちろん、風呂敷着物も健在であるが)
着物の場合は、洋服と違って、値段と生地に関わらず同じ型なので、安いからといって、型紙的に着心地が悪いことはないのがいい。もちろん、正絹の縮緬や羽二重、大島紬やお召しと生地として比較できないものではあるけど。
でも、逆に化繊は気楽である。多少のシミならつまみ洗いも洗濯機洗いも可能だし、最悪、惜しくはない金額でもある。
雨に強いのも良い。天気の悪い日、悪くなりそうな日に、買物程度のお出かけには化繊は安心していられる。
家で着ているのも安心。家事するのはのみならず、食事とかしているだけでも案外と汚れるもの。

一番困るのは夏。汗かくので、正絹は避けたいが、化繊は暑い。
とはいえ、扱いの手軽さを考えると、夏でも普段着は化繊。
浴衣は涼しいけど、電車に乗るのは、私としては気恥ずかしい。

正絹の柔らか物、真綿の紬といった本物は確かに気持ちが良い。
季節に合わせた着重ねにすれば、丁度良い暖かさ、涼しさを実現してくれる。問題は「高い」のだよね。
「本場ナントカ紬」しかも、絣で手織りなどと言えば、普段着には似つかわしくない金額になる。織元から直に買い付けたという店では少しは(いや、かなり)安くなるが、それでも、まだまだ手が出しにくい金額。
しかもまだまだ目の利かない私には、手織りはともかく、高機や機械機はほとんど区別ができない。無銘の安い紬(当然機械機織り)と区別できない次第。その状態なので普段着用なら、無銘紬で良いと思ってしまうのは、安い普段洋服の店を好む発想とそう大差ないのかもしれない。

100万円の着物も、100万円のスーツも共に私にとっては遠い。

2005/03/17(木) 絣は ずれてるのが好き
絣とは、経糸、緯糸、もしくはその両方に糸括りをして染料を染ませないものを織った先染めの織物を指す。
現在一般にいう「そめもの」「おりもの」の区分の「おりもの」はこの先染めのものを指す。絣でなくても先染め糸なら「おりもの」に区分するので、無地や縞もある。
(平安時代には「おりもの」と言えば、染物よりも格上な十二単に使う二倍織物などを指した。但し、この意味でもおりものは、一定以上の地位にあるものにのみ許されたので、武士や町人など、公家から見て下位のものには許されなかった。
だから、武家社会、町人社会の中で花開く着物文化では、許された技法、染めや縫い取りを中心とした手法になったのだと思われる)

糸は、縮緬などを織るのと同じ生糸を使うものと、真綿から紡ぐ紡ぎ糸を使うものとある。真綿の手紡ぎ糸は高機や機械機にはかからないので、特別な処理をした上でかけるとか、経糸には生糸を使うといったものもある。
生糸を使うのは大島紬。昔は紬糸だったからこの名があるが、今は紬糸ではない。
真綿の手紡ぎ糸の代表は本場結城紬。同じ土地では経糸に生糸を使った機械機で織る紬もある。東北地方には、紬が様々に沢山ある。もちろん南にいけば、琉球や八重山の紬もある。
紬系でないのに「おりもの」に属するのが「お召し」。「西陣お召し」「白鷹お召し」「塩澤お召し」当たりが有名。貴人の普段着だったから「召」の名がある。最初は無地や縞だったそうだが、絣の技法を取り入れてこちらも精緻な絣柄のもある。

大雑把には、同じ店で同じ組合の反物を比べると、無地や縞に比べて絣柄は倍の金額になる。
これは絣をする職人の手間賃と織る際に絣あわせをする織り手の手間賃の加算分。絣柄は綺麗だが、おかげで敷居が高い。
儲けが大きいからなのか無地や縞は余り置かれていないので、ちょっと見、絣紬はべらぼうに高く感じる。

って、前置きが長かったが、絣柄。プリントしたかと思う程、きっちり柄のあったものよりも端がずれているタイプの方が好き。
例えば、矢絣なら、端がきっちり斜めに一線のように揃うよりも、ギザギザになる方が好き。
丸を描くなら、周りがギザギザな感じで月が雲に薄隠れしてボケているようなのが好き。
大島紬、結城紬、白鷹お召しなどは、ぴっちり合わせるタイプ。
銘仙はズレてるタイプ。化繊の銘仙風プリントで、そこまでこだわりに端をギザギザに描いているとこは、面白い程。こういう方が好き。

2005/03/16(水) ブランドで着物を買う人
春の気配がいよいよ濃く、暖かな日。
着物の展示会のお誘いも繁く来る今日この頃。
「美しい着物」など着物の雑誌も春の号の特集の一つは「紬を着る」。結城紬をイチオシなのは「きもののやまと」。特に産地特定ではないが、「さが美」は東北地方全般から仕入れ。

しかし、「西陣」でも「本場結城紬」でも「本場大島紬」でもなんでもいいけど、これらのブランド名で売り込む店も店なら買う人も買う人。「実は本物じゃなかった」と知って、悔しがったり、怒り狂ったりすることもあるらしい。

反物の真価は、その反物を見ればわかること。どこで織ったの染めたのなんてのは、後からついてくる付随情報に過ぎない。
綺麗すぎる染めや織りは機械織りや機械染め。といって、ずれまくった染めも見苦しいが、それも味わいとかで機械染めでもわざとずらした模様に染めることまである。織りは織りでモドキもあれば、正式に商権(?)を譲ってもらったもの(例えば、赤城紬は、今は新潟で織られている。明石上布も新潟産で知られているが、名前の通り、最初は明石で織られていた)

でも、手描きだろうが、草木染めだろうが、逆にプリントだろうが、そんなことって後からついてくるもの。「自分が気に入った」かどうかの方がずっと重要なのだと思う。
「どこの産地の逸品を着てきたかで張り合う会」なんてのがあったら、それなりに保証のあるものを調達する必要があろうが、趣味で着るなら、目利きにナンクセつけられようが、「それが何か?」で済ませれば良い。
例えるならつまらないデザインのダイヤよりは、シャレたデザインのキュービック・ジルコニアの方が似つかわしいようなもの。
お財布と相談すればまして、どちらが良いか自明。

「結城(の周辺の)紬」でいいじゃない。「村山大島」でいいじゃない。
まして初心者なら、高額な本物でなくて、手ごろなモドキを「判って」買うのは、いいことだと思う。

写真は村山大島。かなり精緻な柄だけど、見る人が見れば、柄が村山だという。「ツヤのある平織りの絣の織物」って意味では一緒なんだけどね。

最近は多少目が利くようになって、「あ、これいいな」と思うと
山の中で一番高いのだったりする。とはいえ、「結城紬に見えるけど安すぎ」と思ったら「結城 周辺で織った 紬ですよ」なんてのもある。あんまりアテにはならない。が、「気に入った」という点では、後になっても「失敗した」とは思わない。

2005/03/15(火) 中高一貫女子は幸せか
今週のAERAの巻頭記事。
「理系に行きたいなら女子校」だそうな。
理科の実験などで男の子にやらせないで、自分でできるからだとか。
小学校の時代にはどっちかというと実験でも女子が主導権を握っていたように思うのだが、中高はそうでもないらしい。
という私は中高一貫女子校卒。

「幸せかどうか」の定義は人それぞれなのだから、幸福だというソレを別な人が見れば「私がそんな生活したら、不幸のどん底だわ」と思うのかもしれない。

しかし、この話題になると、必ず出てくるのがうちの母校。
AERAの分類で言えば「元気派」。この手は、「お嬢様学校は流行らない」といった判断から転じた学校が多いそうだが、うちに関しちゃ、創立以来の理念。「勉強したさに男装して、男の子しか行かない英語塾にもぐりこんだ女子」に端を発するのは、女子校としては異色。その理念を受け継いで、男子しかいない部署でも平気で勤め上げる。群れない性格からか、他の女子校卒とは意外にも睦み難い。
「普通の女子校は夫の自慢をするが、ここは夫をけなす」なんて書かれているが、同窓会に集まって夫なんて話題に出ない方が普通なんだけどねぇ。自慢するような夫じゃないことが多いが、夫が社長だろうが、平社員だろうが、どうでもいいことで、興味のあるのは、当人そのもの。共働き率が高いからか、実に楽しい経験談が豊富。
別の女子校卒の友人によると、そこでは、某歌舞伎役者夫人だの、某高級官僚夫人だの、某大臣夫人だのが揃うので、それくらいだと夫の自慢話を聞いてても面白かろうとは思う。
でも、「結構する相手は変人か外国人」というのには、夫は賛同。「家族が『普通の人』であることは諦めた。世間に対して貢献できるのであれば、『並み』でなくても良い」と。そう思える時点で「並みの人」じゃないんだそうな。
「並み」ってのは、妻が専業主婦で、家事育児一般を担い、嗜好や趣味も近所の人と同じようであること。
妻が夫並みの収入を持ってる共働きで、説明を要する趣味を持ってるとか、正月にお節料理を作ったりするのは、「並み」じゃないと。
でも、自分の趣味でも、他の家のように批難ごうごうの中を出てきて、済まなそうに帰り、家でやれば不平たらたら、なんて「並み」の家からは「いいなぁ」と羨望の的。

もっとも、中高一貫女子の不幸は「学内では、能力とやる気が決め手だが、世間は、そうではない」ということを卒業してから知ること。ここは記事に賛同する。「『男だから』譲らなくてはいけない」なんてのに慣れるのには数年を要した。

2005/03/14(月) 教えをこうのに着るもの
お姫さんの制服がやってきました。
中高生の制服とは便利なもので、冠婚葬祭の全てにそれに相応しい礼装として使えるのです。ここしばらくは、買い替えながらつないできた黒や紺の礼装衣類を買わなくて済みます。

って、制服は逆に、「礼装にも使える」というよりは、「礼服で、授業に臨む」と見るべきなのかもしれません。

「教えを請う」とは、元来、師に礼を尽くして始まるものであり、「金払ってんだから、何着てこようと勝手だろ」という理論はありえませんでした。逆に教師もまた居丈高に「教えてやってんだから」ということもなく、こちらもまた、きちんとした服装で教えにあたりました。

それが、教師はスリッパばきにジャージ(体育教師でもないのに)、対する生徒も、パンツの見えそうに短くしたスカートの下に膝丈ジャージで、はきつぶした上履きなんて、どっちもどっちの割れ鍋に綴じ蓋。
私の学校は私服でしたが、「タンクトップは授業に出るのに不適切」なんて、タンクトップ着た教師に言われても、聞く気ありませんでしたから、生徒なんて古今東西、そんなもんでしょう。

通勤途中の東京駅で出会う修学旅行生も、制服姿でも着崩して、ザワザワしているのは、きまって教師はポロシャツにGパンだったりして、騒ぐ生徒の間を走り回っているとこなんか「小遣いさん」めいて滑稽なほどに。
逆に生徒が私服でも教師はスーツ姿なとこは、意外にも粛々と
してて。

お姫さんの行く学校は、制服は結構厳しいです。指定の制服があるのはもちろん「スカートは膝丈」「靴下は白。ワンポイント迄はみとめる。ずりさげソックスは禁止」と。
対する教師の服装も、男はネクタイに背広。女性もテーラードスーツ(背広の上着にタイトスカート)に白ブラウスです。

今まで、小学校では、こちらとしては、「授業を受けるには、きちんとした格好で。体育の授業は着替えて」と思っていたのですが、スカートはいていって、けなされるは、登校時に体操着のほかの子に比べて着替えをする分、遅れを取るはで、くじけた娘に、こちらも折れて、体操着えの通学を認めていました。
これが終わると思うと、嬉しいのなんの。

公立中学行くと、体操着通学継続ですからねぇ。ジャージの中学生が歩いていきます。男子の制服姿なんてみたことなかったので、制服指定の紙見て、詰襟だと知ったくらい。

体操着で教室で教えを請うなんて、失礼千万だと思っていた私は、娘が私立に行くことになって、そうでなくなったことがとても嬉しいと思うのでした。

着物の場合ですが、教えを請うのにゆくには、それなりの着物であると思っています。
今だとお茶やお花といったもので、普段は洋服でも良いということが一般的なようですが、着物を着るならば、それなりに。
「着ていく」と決めたのならば、晴れの日のための良い着物も用意しておきたいもの。

昔ならば、小紋、付け下げ、振袖や訪問着と成人に向けて当然のように用意しました。お嫁入りにあたっては、更に黒紋付きや、黒羽織といった冠婚葬祭用のものも用意しました。
当時は、結婚後に揃えられなくなるという意味や「妻のものは実家で用意しておく」といった考え方もありましたので、結婚に際しては最低限のものは用意したわけです。
妻として親として、晴れの席に臨むには十分な支度をしておいたという次第。

といっても、それだけの支度のできないお家もあったわけで、そういうのを承知で娶ることもあったわけです。
子供にも十分な晴れ着を用意できずに、卒業式でも当人も親も普段着と変わらぬ格好で臨むことになったでしょう。

今は、そこまで窮乏していなくても、手持ちの着物がなく、「それでも着物で出たい」という当人や親がいます。
過去の上のような事例を見れば「もっていない人は持っている範囲のもので一番似つかわしいもので出れば良い」という考えは成り立ちます。
普段着バレバレな素朴な絣でも、着物に詳しくない人から見えれば、十分な晴れ着に見えたりもする今日この頃では、気にする方がバカバカしいことなのかもしれませんが。

着物に慣れて、好きになって、晴れの場でも着たいと思うようになったら、晴れ着に使える一枚を「一張羅」として手に入れて欲しいと思う次第です。昔だって、その言葉通り、それは一枚しかない大事な着物だったのです。毎回同じだって問題ありません。「前とは違う普段着」よりは、それはずっと相応しいもの。

2005/03/13(日) 青梅 吉野郷梅祭り
青梅には、吉野郷という梅林があります。
毎年3月一杯梅祭りです。その中でも第二日曜日は市民祭りがあります。
今年で3回目の参加をしてきました。

装束は自前。毎年代わり映えのしないおんなじ装束ですが。
今年は、緋の切袴にお端折りは、舞妓さんのように手で持って引き上げる仕方にしました。

毎度のことですが、梅目当てのカメラマンが、近づくと、サっとこっちにカメラを向けるのは、実は笑っちゃう程おかしな後継です。

お姫さんは、以前の狩衣が小さくなったので、新規の水干でした。

よく聞かれたのが「学生さん?」という質問。
そんなに若く見えるんでしょうか。姫を除けば、全員社会人なんですけど。

3月絵日記の続き


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