優妃 讃良の着物についておもうこと
ご感想は掲示板 http://bbs1.fc2.com/cgi-bin/e.cgi/12019/まで
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2004年9月
前の月 次の月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
最新の絵日記ダイジェスト
2017/01/22 着物買うのに、いくら以上だと「高い」?
2016/11/27 着物を頼むなら呉服屋で
2016/11/26 夏は暑くて、冬は寒い
2016/07/10 はいからさんが通る の 時代の袴
2016/07/09 はいからさんが通る

直接移動: 20171 月  201611 7 6 5 3 月  20159 8 7 月  20149 8 7 6 1 月  20139 8 7 6 3 2 1 月  201212 11 5 3 2 月  201112 11 10 9 8 7 5 月  201012 11 10 9 8 6 5 2 1 月  200912 10 5 3 月  20085 4 3 2 1 月  200712 10 9 8 7 6 5 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200412 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200312 11 10 9 月 

2004/09/07(火) 家紋
母方の家紋は母が無頓着なせいで、不明でした。
が、やっと判明。
昨日の大叔母の着物の中で嫁ぐときに持参したらしき着物が井桁紋でした。
そして、婚家はなんと、五三の桐!

「貸衣装には五三の桐」などと云われていますが、本来はお公家さんが自家の紋を明確にしたくないときに代わりに使うのが、この五三の桐です。

家系にも無頓着な方々なのでわからず仕舞いですが、どんなご先祖がいたのでしょうか?

2004/09/06(月) 着物をいただきに
大叔母が亡くなって10年程でしょうか、跡取りの娘さん(って私より十も年上ですが)から「お着物がお好きなら、叔母の着物をもらってくれませんか?」と。
その方はお母様も良い着物をお持ちでしたが、当人も姉妹も全く着物を着ないので、2棹もあった着物(ごみ袋で7杯)をゴミに出してしまったのだそうです。「そのときに知ってたらねぇ」と。
着物の着姿には記憶があるわけで、親戚が着ていたら、また嬉しかったのでしょうが。

というわけで、大叔母の旧宅に訪問。母とその姉との3人で訪問。「そのままにしてあるのよ」という言葉の通り、水漏りしてしまった2階の屋上庭園が取り払われている以外は、本当にお茶碗も棚にそのままに。

4畳半の茶の間に座っていたのですが、掘りコタツに上が数奇屋風の葦を貼って桜の木を渡したもの。欄間の細工も見事なもの。
座敷の天井には和紙を貼った電燈を嵌め込み式にして広い床の間。奥が仏間で衣裳部屋でもありました。

で、問題の着物。仏間にはめ込みのタンスともう一つの2棹。
はめこみ式の方に良い着物が入っているようで、座敷に引っ張り出してきては開けていく。母の姉は一時期呉服屋に勤めていて、そのときにいくつかの着物をそこで買ったそうで、それを見つけては「あのときのだわぁ」と他にも「xxxのときに着ていたわ」など、女4人で感慨に耽りながら次々に開いていきました。

夏の着物が見当たりません。母は「夏は着物着ないのよ」といいましたが、これだけ着物があって、一着も夏物がない筈はありません。「夏物は最後の頃には着なかったから、納戸の方かも」というわけで、次には納戸を漁りに。
なんと、ここにもタンスがニ棹! 更に、宝島の財宝の入ったトランクのような不思議なケース。これも明けてみると着物満載!
夏物、そして結婚当時持参した着物など古いものがこちらに入っていました。大正期に若いときを過ごした着物達は八掛けが紫、袖が紅絹と古風な仕立て。他に早くになくなられたご主人の着物も発掘。神田明神の氏子でもあるここで顔役もした方なので、夏の紋付羽織や袴も出てきました。

母や母の姉も少しだけ、といいつつ、それでも、重い程に持ち、私は残りのほとんどを貰うことにして、持参のカートに入る分を次回来るときまでに着る用に夏羽織と単の着物を中心に詰め込んだのですが、大振りなカートに満載!
帰り道の重かったこと。ひっぱるカートなのですが、それでもズシっと。最近のJRは全てエレベータやエスカレータがあるので、行けたようなもの。一段でも階段があったらアウトでした。

しかし、残る着物の量は、高さ1m程に積み上げて4山ほど!
他に、未使用の肌襦袢などの下着類、ガーゼタオル類、解いて洗い張りに出した反物、帯上げ帯締めなどの小物も一山!!!

次回は車で来ることにしましたが、積載量には比較的自身のある車ですが、果たしてのるかしらん???

写真は貰ってきた着物の一つ。二藍の羅の着物に黒の紗の羽織です。黒紗は裏にラメが二重織してあって、柄の部分が光ります。

2004/09/05(日) 浴衣で電車に乗るの?
最近、浴衣はブームである。花火や縁日には浴衣って思うらしい。今年はユニクロが参戦し、安く浴衣を手に入れることができるよういなったのも起因していると思われる。
遊園地や他の行楽施設でも着物や浴衣だと割引や無料になる。
そして、花火大会や縁日といえば、歩いていける距離のものだったのが、電車にのって、しかも1時間も2時間も乗って遠くのソレにでかける人が随分いる。

今の人は「浴衣は寝巻きかバスローブのようなもの」という認識がないんじゃないかと思っているのだが、じゃあ、例えられるような洋服は、というと、怖いことに、その格好で電車に乗っている人がいて、呆気に取られる次第。こういう人では例えたところで「その格好でも電車に乗ってるわ」と言われてオシマイだ。

例えば、部屋着の代表ともなっている、スェット・スーツやジャージ。結構平気で着て電車に乗っている。厚みに程度というものがあるのだけど「どうかんがえても部屋着に留めるべき」としか思えないジャージの上下で地下鉄に乗っている女性には絶句。

はたまた、下着の親戚と考えれば、TシャツやTドレス。これなどは、極めて普通の外出着。
夏ともなれば、Tシャツの下はブラだけというのは決して少なくない。そういうの相手に「浴衣にはせめて、肌襦袢と腰巻を」なんて言っても無駄な気がする。洋服のときですら着てない。

フォーマル・ドレスの方にいっても「シミューズ・ドレス」という形も素材も「超高級スリップ」としか言えないものもある。
洋服ですら、背広や同形状のジャケットなど着て歩いている方が珍しい。「重ねて着るのが常識」なんて古色蒼然たる言葉かも。

もっともねぇ、「重ねて着る」のも「振りの長い袖」を着るのも、それだけの衣をまとえる財力があってこそで、実は一般庶民はそんな財力なんてなかった。袖すらない着物を一枚こっきり。子供なんて、袴着する年頃まではフンドシすらつけないすっぱだか。布を一寸余計に手に入れるのだって、金や労力が余計にいるわけだから。
日本の大半はその程度の庶民である。その庶民が裾まである浴衣を着るようになったと思えば、そんなもんかと。

でも、国際舞台には、その格好で出ないで欲しいと思う。外交に立ち会う面々は平安以前から、相手国にまけない、きちんとした格好でいたのだから。

2004/09/03(金) 勧誘電話
家にいると、勧誘電話がよくかかってくる。
きっといないときにもかかって来ているのだろうけれども、わからないだけかもしれない。
風邪で伏せっているときに、一生懸命電話口まで行って、勧誘電話だったりすると、電話を投げたくなる。

なかには「これからお伺いしてもよろしいでしょうか?」なんていうのまであって。風邪引いて寝込んでいるというのに、来られてはたまらない。

我が家のメンバーの名前は、古風に「単純な音訓読みでないもの」という主義に従って名づけられている。このため、結構読み間違ってくるのもある。例えば「ユーキさんいらっしゃいますか?」という感じに。当然「我が家にはユーキという者はいません」と答える。
でも、最近はテキもさる者、「どう読むんでしょうか?」「さぁ、何を見ていっていらっしゃるのだか」
更に「やさしいの「優」にきさきの「妃」なんですけど」
そろそろ「ウルサイなぁ」と感じてくる。
「xx市xx町ですよね」
だからなんだっていうんだ。住所まで知ってる名簿か?あ、電話帖には町まで書いてあるんだっけ。
※ 「優妃」は例。実際の電話は本名に対してかかってきます。

「奥様(もしくはご主人様」なんてのには、絶対に応えない。
ウッカリしてしまって応えたときには、いらんというのに「試供品をお送りしますので」というから「どうぞ」と言ったら「奥様のお名前でお送りしますので、お名前を教えて下さい」と切り出された。「情報提供はいたしません」と切ってしまった。

ウッカリ、というかそのまま話を始めてしまう者もいる。
この場合は、「もうやってます」が一番良い。
「壁の塗り替えは・・」「先だって、やったばかりです」
「お子様の通信教育を・・」「もう塾に行っています」
「税金対策に不動産購入を・・」「まだローン返済中です」
「エステをお試し価格で・・」「もう行っています」
「換気扇のお掃除を・・」「やりました」
「お布団のお洗濯を・・」「うちはベッドに毛布です」
「安いプロパンに変えませんか」「今のとこどこよりも安いです」

最後ガスは、最初、本当に見積もってもらった。しかし、そこでは「30円安いだけ」だった、次のとこは、高かった。不思議不思議。使用量は少ないので割安感がないらしい。
他んちは、そんなにガスを使うんだろうか?
もっとも、うちは調理は、生や、下ごしたえもレンジが多い、鍋や煮込みは石油ストーブが出てくる冬の風物詩。ストーブ調理。
一番ガス代に影響する風呂は、シャワーよりも湯船優先。

たった今も「アルカリイオン水を」ときたもんだ。でも珍しく「いりません」「ああそうですか」で切れた。これはいらない人にへばりつくより、いる人に出会う「数打てば当たる」の方でいるようだ。

2004/09/02(木) リサイクル着物の着方
リサイクル着物はだいたい「並寸」と呼ばれるサイズに作られています。身長150cm位が想定ですね。
でも、これ以上の身長の人が当時、いなかったわけではありません。これ以上の場合は「そんな男みたいなサイズ、仕立に言えやしない」とやっぱり並寸に仕立てたそうです。

というわけで、ノッポは着付けと居住まいで対応するんです。

まずするのが「襦袢の準備」、襦袢の袖が見えたりしてはおかしいので並寸用の襦袢を揃えます。仕立上がりでもあるので大丈夫。
次に着方。
まず身丈の方。着付け教室だとウェスト位置位にお端折りの紐を結ぶと思うのですが、これを、腰骨の位置まで下げられます。どれくらいにするかといえば、適当なお端折りのとれる位置。

裄は居住まいで対応します。サイズぴったりの着物でも手を下に下げれば、腕は10cm位見えるのが普通。基本は曲げて胸元あたりに手を置くのが基本です。
このときにちょっと袖を引いて手首の位置まで袖を引いておきます。腕は袖の通りでなく、袂の中に入ってしまうわけ。

私は身長168cmで仕立用の裄は1尺8寸5分(約70cm)すが、この着方だと、1尺6寸(約60cm)の着物まで着られます。

あと、一番簡単な身丈対応は「袴を穿く」こと。袴下の着物は膝丈位に着付けるので短い着物の方が便利なのです。

また、家用なら男みたいに「つい丈」で着る、もあり。お端折りつくらないだけで、すごーく着易いんです。帯も男帯か半幅帯の惜しくないものを半分に折って締めて。

というわけで、ま、色々と対応する方法はあります。

写真は既製の化繊絽。こういう抱えるバッグにすると自然に。

2004/09/01(水) 防災の日
夏も終わりですね。9月に入ると、途端に「秋」というイメージです。
背景もオリンピック用の五輪唐草から秋草の撫子に替えました。

今日は「防災の日」、小学校では、終業式後、防災訓練といって、親への引渡し訓練をします。

まぁ、いいことなんですが、仕事を持っている親がわざわざ休みを取ってくるなんてこともあるようで、「それって、実態と違うんじゃない?」と思う次第です。本当のときに迎えに来られない親は来ない方が子供の慣れのためにも大事じゃないかと。
だって、本当の災害のときに親が迎えに来ないとどうしたら、良いか分からなくなってしまうでしょ。

昨年までは、登校班の班長の親が連れて帰って(親の来なかった子は班長が連れて帰る)、そのまま学童保育に行っていました。
学童保育は親が来るまで預かっててくれると言っていたので安心な次第。万が一には保育園のお昼寝布団もあるし、隣は避難所に指定された公民館で救援物資の来る場所なので安心だし。
今年はまぁいいか。今のとこ、私がいるし。
来年は中学なので、また我が家の体制が変わりますし。

私が中学だった頃、家よりも父親の会社に近かったので、まず、会社に来るようにと言われていました。
家は多摩川を渡った先なので、帰宅できない可能性大だし。

今も私や夫の勤務先は荒川の向こう。
江戸時代の健脚な旅人でも2日行程の距離。災害当日には帰りつきませんな。

昼11時50分頃、地震あり。関東大震災も昼の12時でした。
何の偶然でしょうか。震源地を確認しませんでしたが、この辺では震度2か3くらい。


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.