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2004/08/22(日)
懐かしいものは
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最近、「昭和のXXX」といった本やテーマパークがあります。 多くの人は「懐かし〜い!」とウットリしてしまうようで。 でも、私はピンときません。私の知っている「あの頃」とは違うので。まぁ、日本全国どこでも同じわけはないので、それはしかたがないんですけどね。
まず、鉄道。 私の家は東急東横線から徒歩5分程のところにありました。 東急線というのは、電車のモーターがVVVF式になるのがひどく早かった線なのです。他の土地なら「ガタンゴトン」という通過音が、ここでは「ヒューーーウーーーーウーーーー」という変わった音になります。夜になると、静かになるので、これが家にまで聞こえてきました。 以前、京葉線沿線の研修所で泊りがけで研修があったのですが、寝入りばなにVVVF車両が通り、そのままグッスリと。 京葉線の新型車両にはVVVFが使われているのでした。
次に商店街。私は商店街に住んでいたので、駄菓子屋よりもハカリ菓子屋の方がメインでした。お煎餅屋さんやあられ屋さんもはかり売り。店の人がピッタリにいれてくれる妙技も、ちょっとオマケしてくれるのも楽しいものでした。 駄菓子屋は再現されても、こういう店は再現されない。 そして、絶対ないのが、八百屋や魚屋。威勢の良い掛け声、積みあがった野菜や魚。肉屋といっても鳥専門のとこは混んでいて、店の中では、幾人もの若い人がドンドンと鳥をさばいていました。お茶屋さんのほうじ茶をほうじる匂いとか。 豆腐屋、こんにゃく屋、しじみ売り。 そして、呉服屋や小間物屋、下駄屋。
私の生まれたのは昭和30年も後半なので、戦前じゃないんですが、昭和初期に新興住宅地として開けた場所で、戦争中もほとんど空襲を受けなかった場所だからか、昭和40年代でも、本で見るような「戦前の商店街」というイメージが残っていました。
家自体は、一戸建てですが、借金を返すために二階を下宿にするという、当時よく行われた目的のために、二階に4部屋もありました。他の家に比べると若干大きめだったでしょうか。 私が生まれた頃には父、母、そして私用の個室になっていました。そして、ハイカラ好みだった父のお下がりのベッド生活。昔のはスプリング・マットでなく藁なんですよ。 父の部屋の照明は木製のシャンデリア(?)。これも洋風好みの一環。母の部屋は和室のままで、コタツがあって、そこで書道の練習をしたり、ミシンで裁縫したり。 食事はテーブルと椅子。テーブルの下によくもぐっていました。 4畳半しかない狭いとこなので、椅子を降りたら、居場所がないんです。テーブルでの食事まだ珍しかった。
当時のあの辺では割とありふれた二世帯住宅、洋風好みというツクリとコーディネートなんですが、不思議と、「昭和xxxx館」にはないパターンで。
今、その商店街はすたれることなく、様変わりして、面影をとどめず、また実家もまもなく解体されて新しい家が立ちます。 すたれてしまうよりはいいんですけどね。いきつけだった公園も改築されているし。
なーんてわけで、「昭和xxx」見てもどうも落ち着きません。なんか違うなぁ〜って。 いっそ「東京建物園」とか「明治村」の方がおちつきます。 和式から抜け出せないくせに、ちょっと洋風化してる建物やしつらえがあるから。
でも、「活きてる商店街」が一番スキ。 東京の月島商店街なんか、「まんまだなぁ」って。
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