優妃 讃良の着物についておもうこと
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2004/07/15(木) 中学受験 高校受験
夕刻のスーパーの買物で、娘の同級生の親子に会う。
最近、寄るとさわると「高校どうする?」の話らしい。

なんでかというと、昨年から埼玉県は学区制が廃止され、県内の高校を自由に選択できるようになったのです。その一方、競争率の低い高校(校によっては1倍を切るところもある)は統廃合と。
市内には、共学1校、女子校1校、商業、工業、農業が各1校。
これが共学、女子、工業を統廃合するとのこと。
更に隣市でも、市立女子や工業が廃止方向。

それなりにデキる子にとっては「行きたい場所にいける」とか、「隣接市の特別枠の応募よりは最低点が低くなる」と嬉しいことなのですが、「歩いてor自転車で行ける高校がいい」という地理条件優先の人もいるわけです。しかも「学歴として高卒、大卒がつけばいい」位で勉強したくない人にとっては、偏差値の下の方から削られていく統廃合措置は大問題!
勉強したくないなら、高校なんぞ行かなければ良い、と思うのですが、イマドキ、中卒では就職も望めません。「高卒」という肩書きを手に入れるために、3年間、机にしばられるというわけ。
しかも、ここ最近の何がゆとりなんだかわからない「ゆとり教育」のおかげで、「中学校の勉強だけで高校に行けるの?」という心配も起きているわけです。
そのせいか、この辺では小学4年生の頃から「高校受験対策」というコースが塾にあります。そこではもう英語を学習。英検を取ってレベルを確保します。つまり、6年かけて高校受験に備える。6年生ともなれば、クラスの半分は塾通い。中学受験はほとんどいないので、これが高校受験準備派。

うちの夫は高校受験派で、小学校時代は遊び最優先だったとか。
でも、中学入学以降はガリガリと勉強して高校は市内トップ校へ。それもアリなんですよ。但し、高校に入学したら、3年後は大学受験。休むことなく受験勉強は続く。一番自由の利く中高時代に受験勉強しかないなんて、つまんないことこの上ない。

また、私は、「受験英語」ってヤツが嫌いです。何が嫌いって「そんなこと知ってても、原書も読めなければ、外人と話もできない」という謎の学問だから。「古文」もそうなのですが、文法重視の重箱のスミばかりつつく勉強だと思う。社会人になったら、無用になってしまうという意味では数IIIの微積分や化学の原子順序以下の知識だと思う次第。
私は英語は中高通して「下から数えた方が早い」という状態で、大学ではたかが一般教養の「英語講読」も落として再履したクチ。でも、会社で5cmはあろうという英語のマニュアルの中から必要な情報を見つけたり、英語でメールを交換、ときには討論したり、セミナーの英語セッションを聞けたり、レセプションで外人と話せたりします。
でも、今もってTOEICの問題見ても、半分位しか解けません。
「テスト」って意味では、全然上達しちゃいないんですね。

うちは夫が公立ルート、私が私立ルートなので、それぞれの利点・損点を経験者の立場から話せます。その上で娘が選んだのは「中学受験、中高一貫校狙い。その後は内部推薦か、指定校推薦で大学へ」という想定ルート。
なんとなれば「無駄な勉強はしないで済ます」のが目的。
空いた時間は当然「遊ぶ!」
私も平日は宝塚で楽屋待ちし、日曜は同人誌即売会に通いと、やたら遊んでた記憶があります。夫が言う「あの頃は」が小学校時代なら、私のはこの中高時代。もちろん、部活も2つかけもち。

この体験談につられて、娘は「中学受験」を選択。
そして、正念場の夏休みは日曜のみ休みの塾通い体制。

親からすると、公立が安いといっても、塾に行けば実際はほぼ同額。受験用のコースは月3万とか4万するんです。子供にとってはお金だけじゃないです。学校と別に2時間から3時間、しかもTV番組のゴールデンタイムにですよ。中学、高校をそんな生活してたんでは、つまんないと思うのは私だけ?

2004/07/14(水) 成人式に誂える着物
本日は、フランスの革命記念日です。
なんで、知っているかといえば、シャンソン界では「パリ祭」といってイベントを催すので、毎年チラシが来るから。
そして、「ベルサイユのばら」のオスカル様の命日なのです!!

という時節の話から、着物の話題へ。

子供はまだ12歳だってのに、もう「成人式のお振袖は?」なんて話を呉服屋でされます。いや、別の呉服屋では、もう「検討しておいて」なんて言っているのだから、早いのは私の方かも。
最近では、京都以外でも「十三参り」の話が出てくるようになったので、今年生まれの干支が一周したお姫さんには「十三参りのお着物は?」って売り込みがかかるわけです。

ちなみに、先日、会津に行ったとき、地元で「こくぞうさん」と呼ばれているお寺で、十三参りのお札をいただいてきたので、十三参りはこれで終わってしまいました。ああ、いいかげんな。

この時期に作る着物が最初の大人サイズの着物の最初でもあるので、十三参りを晴れ着で行う場合、成人式と同じ振袖を肩上げ、袖上げして着るというケースも出てくるわけです。

で、実は迷っているわけです。振袖を買うかどうか。
個人的には「振袖は二十歳まで」って思っているし、まぁ、その後、独身のうちの結婚式に着ていける位が関の山。
どう考えても、「金額の割りに着用機会が少なく、もったいない!」と思う次第。
でもって、私自身の成人式に誂えた着物が振袖じゃないんです。
関東勢である父方の祖母からは柿色の江戸小紋、関西勢である母方の祖母からは薄紅に薄紫をかけた訪問着。
着物はかなり年配になるまで赤系の色が着られるので、40歳を過ぎる今もっても、現役活用。
特に江戸小紋は「小紋格」として街着にも使えば、「訪問着格」としておよばれにも、帯次第で広範囲に着ています。
着た回数は数知れず。振袖だったなら、こんなには着なかった、着れなかったでしょう。

当人も、デパートの職人展で見た江戸小紋にゾッコンで「成人式は江戸小紋ね!!」と言っている位だし。
それなりの額の着物を買えるとすると、成人式と結婚のお支度くらいなもんでしょうから。
(私は、結婚のお支度で、付け下げと袋帯を揃えてもらいました。成人式では名古屋帯だったので、お披露目用の華麗な帯結びにはやっぱり袋帯なんですよね)

2004/07/13(火) チェーン店呉服屋の変身
今、急に起きたことではないが、気がついたら、チェーン店の呉服屋が変わってきていた。

チェーン店といえば「振袖屋さん」と言った方が正しいほどに、振袖と訪問着と留袖『しか』売っていなかった記憶があった。
小紋の反物すらなく、化繊なんて「本部の方にはありますが(って、取り寄せる気はないようだ)」ってお話で。

しばらくして、世に先行するように浴衣を扱うようになった。
意外にも世間もどんどんと追いついてきて、いまや、本来着物を扱わないようなカジュアル・ショップにまで浴衣は並ぶ。
このとき、チェーン店は「浴衣屋さん」と変身する。

でも私は「浴衣屋」にも「振袖屋」にも用はなかった。
訪問着も幾枚か手持ちがあるし、着ていく場所もない。

ところが、チェーン店は更に変身した。街着にできるような小紋や、更に待望の化繊を置くようになった。
流行に合わせて昭和風や銘仙風のブランドも置くようになった。

もう一方方向の変身は「織物の買い付け」である。
振袖は一生に一度しか買わない。(二枚以上買う人間はチェーン店じゃ買わないだろう)根回しもリピートも効かない商売である。
その店を気に入ろうが気に入るまいが、二度とは来ない客である。となれば、ゆっくりと時間をとってお客様との関係を築くよりも手っ取り早く「諾(うん)」と言わせてしまえる店員の方が評価されてしまう。そして、着物嫌いのお客様を生成する。

これが、どこかで「二枚以上買っていただけるお客様の獲得」に変わっていたらしい。こうなると、街着である小紋や紬の品揃えが必要になる。
チェーン店というのは本部に仕入れ部隊を持つこともできる。
問屋や商社に頼らずに、仕入れ担当が日本各地を回り、顧客の希望する品を入手してくることができる。
そんなこんなで、行き着けのチェーン店で、各地の織物を目にすることができるようになった。

今、小売ー問屋ー製造元 の間で切れてしまっている「お客様が買いたいもの」情報がチェーン店では確実に製造元に届くらしい。
製造元は案外と情報に餓えている。別の店だが、展示会のときは製造元の人間も出てくる。実はその店ではその製造元の品しか買わないのだが、結構要望も聞いてくれる。「買わないかも」と言っても、「いえ、そういうものが「欲しい」と思われるなら、他の人もきっと欲しがっているでしょうから」という。

以前、「縮緬の半幅帯が欲しい」と言ったら、次の展示会までに作ってくれた。他の人にも評判がよくて、私が来る前に売り切れてしまうところだったと、数点隠しておいてくれた。

今はまず入手不可能になってしまった「女モノの『上等な』羽二重の黒紋付」を誂えてくれたのも、老舗の呉服屋ではなく、チェーン店だった。

今、チェーン店はなかなか面白い。

2004/07/12(月) 紅の着物の旬
平安時代、着物の色には季節と連動するという習慣がありました。その色は季節別にまとめると、結構傾向がありました。
春は薄紅、つまりピンクと萌黄。お雛様のお節句の菱餅で知られている「桃のかさね」として、梅、桜、と薄紅色の花がオンパレードだからです。
そして、夏。現在ならば「涼感を呼ぶ色」ということで白を始めとして薄い紫や薄緑、薄藍といった涼しげな色を選ぶところですが、平安の昔の夏の色目で多いのは意外にも「紅」「黄」といったいかにも暑苦しそうな色。薄藍に属する花田色や薄(すすき)という色目が出てくるのは、初秋です。
ここは予想なのですが、紅染めの元である紅花の収穫は梅雨時です。「今年収穫の紅花で染めた衣」が着られるとしたら、盛夏です。同じく、花田に染める露草が出回るのは秋口。秋の七草に代表されるように秋の花は青やグレーの渋い花。
そして「季節の花を表す」のが当時の習慣。夏の花は「涼しげ」であるよりも「ほこらかに赤!」なんですね。
「季節の花を表す色を、獲れたての染料で染めて着る」ってのが粋だったんでしょうね。

藍は8月、黄に染める刈安は10月。
紅葉まっさかりの秋には全ての「今年の染料」が揃います。
そして、紅葉を表す、色様々な重ねを実現する。

2004/07/08(木) 受験生の夏休み
あいもかわらずのピーカンの天気。クーラーした部屋から出られません。
小学校6年生にして受験生の娘の夏期講習のスケジュールがきました。夏休みは約6週間あるわけですが、そのうち4週間の平日が講習日。盆は休みなんですが、父親の夏期休暇とズレているので、今年は帰省は父親だけ。
親戚に新盆のオンパレードなので、帰らないわけにはいかないとか。
って、私も祖母の新盆です。
残念なことは、帰省したら、行こうとおもってた酒田のリサイクル屋さん からくさ屋さんとか、山形の呉服屋、ゆうきクンこと結城屋さんに今年はいけないこと。
よかったことは、貴重な休み日である8/14はコミック・マーケットの日にもあたっているので、呈よくこれに参加しようと。

2004/07/07(水) 七夕: 分化してた服飾史
本日は七夕です。梅雨の中ですが、お天気でよかった。
もっとも、旧暦では本日はまだ5月。今年の旧暦7月7日はなんと八月も末の30日だったりします。
もともと、「七夕」といえば「秋のおとずれをきく」という趣の時節だそうなので、8月も末の「残暑も少しは収まってきて、夕べは秋の気配」という時期の方が良いのかも。2ヶ月近く早い新暦では「これから夏本番」という時期です。

本日は服飾史のお話。
普通に知られている服飾史としては、平安時代には十二単、武家が政権をとるようになって、女性では袴が消えて、小袖に打ち掛、更に帯び付きへ。男性では束帯が直垂になり、裃になり、羽織り袴に。とされていますが、平安時代に全ての人々が十二単を着ていたのではないと容易に想像できると思いますが、実は同じように、鎌倉から江戸時代に至るまで、武家と公家は異なる服飾史を持っていました。
武家の登場によって表舞台に出るようになった「小袖」これが今の着物の基礎となっているのはご存知の通り。しかし、この小袖、平安時代には庶民の衣類として既に存在していました。後に裃となる袖なしのはおり物も既に存在しています。直垂は平安当時のまともに衣類を誂えられる層の一般的な衣類。
つまり、そういった衣類を着ていた層が表舞台に立つようになって、同じ形状の衣類をちょっと凝った生地で誂えるようになったというわけです。
お公家さんは、ずっと平安時代の衣類を着続けていましたが、政権が武家に移れば収入も減るわけで、その関係で容易に誂えられる簡易な衣類に普段着を中心に移行していきます。
とはいっても、似て非なる状態で推移します。同じ直垂でも紋の付け方が違うとか、羽織の袖の形状が違うとか。女性では帯の結び方が違います。
そして、服飾史のもう一つの担い手が庶民です。農民と町民では着ているものに差があり、金銭を持った裕福な庶民である町の人々は凝った衣類を調達するようになります。今の和服文化はこの辺が中心で、公家や武家の服飾は意外と地味です。
そして、明治に武家や公家が消えてしまうと、庶民の服飾が全面に出てくるようになる次第です。

この大きな特徴が「いい着物は染め」という今に残る風習です。
現在「織物」といえば、紬などの絣の類を指し、普段着扱いですが、公家の有職故実で「織物」と言えば、二倍織物や固紋、浮紋といった十二単に使う紋織りの上等な生地を指しました。
この「織物」は殿上人以上の高位の者にのみ許されており、当然、並の武家や庶民には許されていませんでした。
このため、地下人であった武家の衣類は染や刺繍によって豪華さを出すこととなりました。
今は帯などに使われるこれらの手法、少しずつ、着尺の生地にも出てくるようになりました。光の加減やドレープ、動きによって織柄の見え隠れが美しい織物は、今の着物にしても美しい。

残念なのは男性の着物。庶民にダーク系の色しか許さなかったのが不思議と居残り、男性の着物といえば「鼠系か藍系か茶系」といった始末。武家や公家の持っていた鮮やかな生地は「バカ殿」扱い。昨今の若い男性で着物に興味ある人にとっては、大変不満な様子。でも、女性も江戸時代にはダーク系だったので、誰かが鮮やかな色を着だした筈。男性もガンバレ!

服飾史は歴史の一界面だけなので、詳しく語られることがないですが、一部しか知らない人がほとんど誤解状態なのは、ちょっと残念なことです。私も凝って見るまでは知らなかったので。

明治時代の元公家の方の写真で、普段着らしきスナップが十二単の一枚のような衣に白小袖、切袴姿だったりするのを見て、「をっとぉ!」と思ったりします。
「衣類の変遷」というけど、案外と層別に見ると、ちょっとしか変わっていないんだなと。

2004/07/06(火) インターネットの世界
いんたーねっとの世界、「仮想現実」とも呼ばれる。
店があり、資料館があり、掲示板と呼ぶ溜り場所があり、チャットと呼ぶリアルタイムなものまである。

ネット上の店をウィンドウ・ショッピングしても店員に「買うというまで離さない」なんて嫌な気分にもならないで済む。
現実上は遠い店にも同じ手順で行けてしまう。

趣味の合う人を探すのも簡単なら、その人たちの作品を読むことも簡単。多くの場合は通信料の負担だけで済む。

一見、現実と同じように見えて、現実と同じではない。
まず、見ているものは所詮は写真などで撮ったもの。物品購入の際には「受け取ったら、印象が違う」ということは十分にありえる。もっとも、これはカタログ・ショッピングと同じなのだから、カタログ・ショッピングがネットに展開されたと思えば良い。在庫の更新がカタログよりは頻繁なので、品切れや希少数品も簡単にチェックできる。

一番怖いのは「言葉」。口に出して言う言葉と、ネットの中の掲示板やチャット、メールに書かれる文字は違う。
これは、口調や、対面時との比較なら身振り、表情で補われる部分が一切ないから。
そして、文字は悪いことに何度も読めてしまう。
聞き流してくれればよかったようなことを相手はなんども読んでしまったりする。
だから、文字にはなるべく正確に言いたいことの伝わる表現を使う。逆説的な用途の場合は顔文字なども有効。
そして、何度も繰り返して読むと気分を害するようなことは書かない。つまり、悪口、陰口は書かない。
そもそも、ネットにかかれた時点で「陰」ではない。誰かに聞かれて困るようなことは書いてはいけない。
「読めない筈、見れない筈」の人間にも意外と伝わったりする。
「・・・って言ってたよ」位ならいざしらず、実際の書き込みを見てしまうのは案外とショックが大きい。

最近、子供がネットを使うために、色々ととりたさざれている。
ちょっと怖かったのは「子供にアレコレとマナーの云々を言うと嫌気がさしてしまうから、余りしない方が」などと言う人がいた。これは違うと思う。
ネットはよくも悪くも、現実世界とはある意味同じである。
だから、一人歩きもさせられないような子供をネットで一人歩きなんかさせてはいけない。
当人が有料サイトを知らずに見てきたり、勝手に何かを注文したり、逆に送りオオカミだのナンパだのに遭ったり。こういう点は現実世界の繁華街と同じ。
そういう子供が繁華街に行きたいというとき、親はどうするか?
そう、親と一緒に行くのである。現実世界なら、当然のように親はそう答えるだろうし、もし親の行き方の判らないところに、子供だけで勝手に行って良いなんて言わないだろう。
なのに、ナゼ、ネットだと、子供の一人歩きを許してしまうのか?
ネットには現実世界と同じく、いいものも悪いものもある。
現実世界で入ってはいけない場所があり、場所によってはより高尚なマナーを必要とするところがありえるようにネットにも同じくあるだけ。

インターネットは現時点ではオトナの方が遅れてしまっている感があるが、だからといって、子供の一人歩きはさせてはならない。

我が家、日本では数少ない、ネット暦20年。
だから言える、現実と同じなこと、違うこと。
文面を誤解されてのケンカも、イキナリ18禁サイトが出てきてびっくらこいたことも、タカビーサイトに門前払いを食わされたことも。(現実だってあるんだ。サイトなら誰でも歓迎ってわけはない)

2004/07/04(日) すごいのがやってきた
夫とお昼にショッピングめぐり。
某スーパーの食品売り場で、夫が聞いたのには「すごいのがやってきた」という言葉。それは私のことらしい。
白の矢絣っぽい単の着物にたてシボの兵児帯、焼桐の下駄を素足で。どこが「すごい」のやら。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
夕刻は熊谷に出て海鮮焼き物店にて夕食。
母娘して浴衣姿に、店員から「今日、何かあったんですか?」
「何か」ってのは、「どっかの神社の縁日か?」って意味だと思う。
駅から店に行く途中で、歩き携帯Telしてる人が、こっちを見て「今日、何かあったっけ?」と話していた。

この時期、結構、そこら辺中で神社のお祭があるので、そう思っても不思議ではないんだけどね。

食事の席では秋の子供向けの狂言教室の話が出る。
娘一言「着物で行っていいなら」
うーむ、段々、母親に似てきた。
「こっちじゃ駄目?」
父親はパンフの写真の中のトレーナとGパンやジャージ姿の子供の姿を指す。
「こっち」
娘は同じ写真の少し下を指す。それは、師匠役の狂言師。
縞の袴に黒紋付。

2004/07/02(金) ファミリー向け
昨夜の番組で「シェフNo.1選手権」というのをやっていた。
東京は池袋の東武デパートのレストラン街の一角を賭けて競う。
参加者は和、仏、伊、中の最高級料理店で修行したいずれも劣らぬ腕前の持ち主。
が、問題は、店の場所の関係で「ファミリー向け」であること。
「家族向け」というのが直訳だが、ここで言う意味では「高級料理店の本場の味なんて知らなくて、お安いファミレスの味しか知らない人」という意味でとっておかないといけない。
「微妙な味」「凝った味」「刺激の強いもの」は無意味というか逆効果という次第。和食でも新鮮な野菜は味が濃く、大根などは山葵を練りこんだのではないかと思う程に辛いものすらある。
中華の唐辛子、洋モノのマスタードは当然要注意。

でも、あたら、ものスゴイ腕で本物を作れる人がもったいないなとも思う。いや、逆にこういう人種すら満足させるのは、もっと本物の料理人というべきなのか。

って、実はこんなときでも「着物業界と似てる」と思う私。
今、浴衣を中心に着物が人気である。西欧の「ゴム草履型サンダル」の上陸に、下駄や草履の業界も洋服にもあう型を発表。
浴衣本体も、安いプリント生地の仕立上がりがスーパーにぶらさがる。
でも、この浴衣で味を占めた層はなかなか着物の方には上がってこない。「敷居が高すぎて上がってこれない」とも言われている。着物には昔、中間である「普段着」を売る「太物屋」があった。これが消えて、「呉服屋」だけになってしまったのだから敷居が高いのは当然。だからといって、呉服屋に太物屋の機能を期待するのも何か違う。(店によっては、スッパリと太物屋になっちゃった所もあるが)

デパートのレストランは本格でなく、この本格的な料理を出す店への踏み台段階がいいのかもしれない。
ファミレス味なら来ない。本格では客がつかない。
「本格的な味っていいね」と思わせるところがいい。
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本日、PTA。地区懇談会もあった。
学級懇談会も地区懇談会も昨今の小中学生に関わる事件がポイント。この学校でも「(瑣末な金額らしが)お金をせびられた」とか「子供同士で出かけていって、持たせた3000円を全て使ってしまってくる。」「遊びに行って何をしているかわからない」という状況。やはり6年生は急激に大人になっている感じ。
また、そういって急激におとなになってしまった子供に親はなすすべもないという。

うちでも、「留守番ができる」という独立心は結構なことだが、逆になんでもかんでもくっついてくることもなくなった。
まぁ、それでも、親を話し相手の一人に入れてくれているだけまだいい方のようだ。
一応、コツはあり。子供の読んでいるマンガは読んでおくこと。
今は「鋼の錬金術師」にご執心だ。子供の思考、行動、言葉遣いは当然、熟読している本に影響される。何かを納得させるにも、このマンガのキャラを引き合いに出せば、理解もさせやすい。

社会に対するオトナとしての躾を始める時期でもある小学校6年生、しかし、反抗期の時期でもある。
まぁ、今のところは、手綱を取っていれるようだが、いつまで可能かはわからないが。

2004/07/01(木) 頭古いかも
7月に入り、背景も立葵に変更しました。
梅雨はどこに行ってしまったのでしょうか?
我が家の額紫陽花は満足に露に濡れぬままに干からびてしまっています。

今日のお題は何にしようかなぁと考えていたら、隣家から子供の泣き声が。なにやらワガママを言っているらしい。話声の方は聞こえない。

子供のしつけのことなんか考えると、私って、頭古いかもって思ってしまいます。更に「親の頭は絶対古かったよね」とか、「うちの娘も古く出来上がってしまったようだ」とか。

その一:正座
ある勉強会で、講師をされた方は一日中、正座を崩されませんでした。「私は慣れているので、皆様は崩して下さって結構ですよ」との言葉に足を崩しまくる受講生達。下は20歳から上は50歳までと幅広い年齢層ながら、50歳といえども慣れているとは限りません。うちの夫も畳に布団という純粋な和室環境で育ってるのに正座は10分と持ちません。
私はだいたい1時間から2時間。その間隔で休憩を挿めばいくらでも。娘もそう。先日、学校でお茶道の先生をお招きして「室町文化を体験: お抹茶と正座」とやったときに、持たなかった子やら、我慢して立てなくなった子やら続出だったとか。
「座る生活」してても正座をしない家は意外と多いようです。
私の場合は、実は書道を習っていたお陰です。書道はやはり正座しないと腹に力が入りません。手先でなく腹で書くんですねぇ。
椅子では駄目です。
一日の練習時間は1,2時間でしょうか。というわけで時間限度が1,2時間なのはこんなわけでして。
そのニ:着付け
「着物の方が楽」なんていうと、ビックリされますが、自分で着付けられる人は大抵そういいます。娘も自力で着られます。
その三:泣き言の攻防戦
私もそうでしたが、「泣いて言い分が通る」なんてことはありませんでした。いっそ「泣いたら、言い分は通らない」って方で。
子供も学習しますから、ウッカリその手に乗ってはいけない。
でも、「泣いてるとかわいそうで」とか言う人もいます。
ウチって厳しいのかなぁ。でも、私がそう育ってしまったので、余り「厳しい」と思わないのです。
その四:立ち居
「躾けの基本」でしょうか。「廊下や階段は足音立てるな」「ベッドなどから飛び降りるな」「扉は開けたら閉めろ、そのときには、音をさせるな」「食事中には席を立つな(配膳用以外は)」「食い物で遊ぶな」「出るとき、帰宅時、就寝時には挨拶!」なんて、私にとっては躾以前の基本だと思っているのですが、そうじゃないお家の方が多いようで「厳しいね」と。
賛同いただけるのは、旧家の方々ばかり。ウチは全然旧家なんてエライ家じゃなくて、士族にもなれなかった超下級武士で、しかも、その末っ子が東京に出てきて同じく田舎から出てきた農家出身の娘と居を構えたなんて、よくある「核家族型新興世帯」だってぇのに。
お祖母ちゃん世代はきちんとこれらのことが出来るのはどこでも普通なので、戦後のどさくさに躾を甘くした家の方が多いようです。
としたら、なんで、うちはあんなに厳しかったんだろうか?
預けた保育園も躾には厳しかったです。父兄の賛否慮論あったそうで。在園中になくなった園長先生に対して、毎年墓参りに言ったり、学童時期の帰園時に「園長先生、ただいま帰りました」と写真に挨拶させてたなんて、もう涙が出ちゃいます。
いまどき、自宅でもそんなことさせている家はどれほどあるでしょうか?

さーて、娘はどうなるでしょうね。


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