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2004/06/17(木)
鋼の錬金術師
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「鋼の錬金術師」というマンガをご存知ですか? TVキー局では土曜の6時からアニメにもなっています。 小中学生の間では絶大な人気を誇るマンガの一つです。
話のあら筋としては、 若干12歳にして国家錬金術師の資格を得ている主人公が「賢者の石」を求めて旅をする。そして、その中で危機や難題にぶつかりながらも、それを克服していく。なんて、少年モノの定番型のストーリーです。錬金術といっても広義の技能で、「物質を変形構築して、様々なものを作り出す」というもの。壁に扉をつくったり、その辺に転がっている鉄パイプを剣や槍に変えたりしてオキマリの格闘シーンに。
これだけなら、ここに書くような話でもないのですが、このストーリーの中には、現代社会に対するものすごい風刺が織り込まれているのです。「子供は深く考えずに、楽しいところを楽しんでね」という作者のコメントのあたり、わかって描いているのでしょう。
主人公エドワード・エルリックは小学生の頃から並々ならぬ才能を持ち、弟と共に病死した母親をよみがえらすべく、禁忌の人体練成をソレと知らずに行ってしまいます。そしてお定まりのように、彼は片手片足を、弟は肉体全てを失い、兄の力で魂のみを鎧に定着させる状態となります。そして元の身体に戻るスベを求めるべく旅が始まります。 ここれは、並々ならぬ力を持ちながら、禁忌の意味を知らずに罪をおかしてしまう(精神的にも含めて)若年の過ちが出てきます。
そして、旅先で、そういった技能を持たずに底辺であえぐ人々の姿を見ます。(それを彼の錬金術を駆使して、ほんのちょっとだけ希望を与えていく、そして兄弟もまたそこから学ぶ)
更に、国家錬金術師の資格レベルに達し得ないものが、無理して取得した資格に次回の査定をパスできず、禁忌を犯すという人の哀しさ。(国家資格があれば研究に没頭でき、年収も保証されるから)
ハテは「危険でリスクは大きいが即、換金につながる仕事」を長時間する者に大きな報酬を与え、それを支える食事や身の回りの世話を低くみなし、「花を育てる」といった「癒し」に通じるものを全く評価しない町の話なぞ、今の日本を見るようで背筋が寒くなるほど。 (売れっ子営業や、24時間こきつかわれるエンジニアなんて、収入は良いけど、身体を壊しやすい職業。まして家庭なんか顧みる余裕もなく。同じ社内でも営業や技術を支えてくれる総務や各部署の庶務は評価基準も曖昧で低い評価に。彼らは彼らでものすごい技能を持っていることもあるのですが、お茶汲みと有能者を差異する評価基軸はないことが多いのです)
「着物」というものをこの線で考えると、また面白いです。 私の場合、仕事に使うわけではないので、直接、収入に貢献するものではありません。「癒し」の効果が主ですね。大きな仕事をするときほど、大きな癒しが必要になります。いい着物(=高い着物)はそのときに役に立ちます。
が、一方、「癒しの力」もまた、錬金術で言うところの「等価交換」で得られるもの。こちらが提供できるモノ(短絡的には金銭)以上のものを得ようとすれば自らに跳ね返り(借金地獄に家庭破綻とか)が起きます。今、収入が緊縮状態なので、リバウンドの方がコワイ。
この話はまだ継続中。彼らは元の身体に戻れるのでしょうか? そのとき、人体練成に欠けていた「何か」が何なのかを知ることができるのでしょうか?
キーワードは「信頼」「人のために」と「流れるものは流れるままに」かなぁと。兄弟は自分達意外を信用しません。手を差し伸べてくれる人は沢山いるのに。また、不幸にも有能であるが故に他人の手を借りなくても済む。また旅の目的は彼ら自身が元に戻るための目的であり、誰のためでもありません。それが変わるときに、この話の結果が見えるのかな、と。
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