優妃 讃良の着物についておもうこと
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2004/05/19(水) 若向きの襲ね
女性装束には年齢に合わせた色柄の定義はない。
恐らく、当人の立場や雰囲気で合わせたのだと思われる。
いつまでも若やいでいる人は華やかな色柄を使ったろうし、若くてもシックな色柄を好みとした者もいたと思われる。
源氏物語では、花散里や空蝉の君は青系や二藍の系統を若い頃から好んだ様子。一方、紫の上には歳がいっても蘇芳や今様色(濃いピンク系)の襲ねを源氏は選んでいる。
とはいえ、裏赤で表が白の桜や、裏赤に表黄の山吹の衣は若い人のもののようだ。同じ桜や山吹をあらわすにも年配は裏が紫系や緑系統の色を使う。

一番大きな影響項目は「袴の色」。未成年は濃き色つまり、紫を使う。成年は緋色。この袴との色の取り合わせによって同じ衣でも当然、印象が異なってくる。裏が赤のものは、濃色の袴と取り合わせると非常に引き立ってくる。

添付はひとへがさね。濃色の袴に蘇芳、赤、黄のかさね。

2004/05/18(火) ひく裾
古今東西、偉いさんはどうも裾を引きたがる。
昔は生地は全て手織りなので、長い生地、それも模様織りの生地をたっぷり使えるというのは力のある証拠だった。
というわけで、袖も裾もズルズルと長くする。
西欧では「ひく裾には悪魔が座る」といい、戒めようとしたらしいけど、余り効果はなかったらしい。
日本にはそういう説は出ることなく、どちらかというと「位によって長さを控えるべし」で納まったらしい。
絵巻物に出てくる、高欄に長くたっぷりと裾をかける御仁は高位の方々で、走り回っている五位や六位の蔵人達はひきずらない長さ。
女房達はどうだったのでしょうね。やはり、動くことの多い下層の女房はウチギも裳も短めの仕立てだったのかな。

ところで、優妃はこのひき裾の扱いが得意です。二十歳の頃は着物よりもドレスの方に入れ込んでいましたが、こちらのひき裾で慣れまして、結婚式の長い裾と長いベールの扱いは「おめー、素人じゃない」と友達に言わせたほどでした。
装束の裾も実はドレスの裾と扱いは同じでした。というわけで、装束の裾の扱いも割りと得意です。

ちょっとコツを覚えれば誰だって簡単なんですが。
曲がるには、腰で回ります。腰をちょっと強めに振ると裾は勢いで回ってくれます。ウチキだけなら、襟の下を持って、回したい方の襟をひっぱります。同じように裾が回ります。

ちなみに、我流じゃありません。いつだったかの午後にナポレオン時代を舞台にした安っぽい映画をTVでやっていました。庶民だった男が高官に取り立てられ、安飯屋の給仕だった妻もレディの仲間入りを。その妻がドレスの扱いを習う場面がソレ。
当時はエンパイア風という胸下で切り替えた柔らかい生地のドレス。そして、ズルズルと長く裾をひく。
これが元になっている次第。

2004/05/17(月) 夏は織物の季節
夏の着物といえば、「織物」だなぁって思う。
冬だって、織物のいいのは沢山あるし、夏だって、絽や紗に染めた「染物」があるわけなんだけど。やっぱり「織物」だなぁと。
夏ってやっぱり「汗対策」が肝心。「暑くない」「発汗・吸湿性が良い」「汗シミ対策が可能」「できれば洗える」なんてことを考えると、しんなりとまとわりついてくる正絹の絽の「染め物」はちょっとアッチに行ってて欲しくなる。代わって出てくるのは「麻」とか「縮み」の類。
夏お召しなんかも「縮み」の類。ことに「上布(じょうふ)」と呼ぶ高級な麻織物は夏の究極の逸品。涼しい上に洗濯もできて、しかも一晩で乾いてしまう速さは筆舌に尽くしがたい。

ただ、いくら「洗える」といっても、化繊ほどお買い得な値段じゃなくて、やっぱり「呉服なのよねー」という値段なのが、最兇の問題点!
並のポリの上布モドキや夏お召しモドキはポリの生来の欠点である「汗で張り付く、蒸れる」がある。洋服地では化繊や合繊でいいのが出ているのだから、なんか出てくれないかなぁと思う次第。

この面で一番進んでいるのが神職・僧職衣類である白小袖。
夏は本麻、サマーウールなどを使うのが本義のようだけど、経済上かつ、普段遣いとしてはYシャツ並のものが必要。
そのせいか各種の化繊や混紡の生地が夏用・冬用に出ている。

今、私の着ているのは、麻&化繊の混紡。化繊の分。若干ムレるけど、木綿や化繊羽二重に比べれば十分に夏向け素材。
しかも、麻混紡は本麻に比べて皺になりにくい。洗濯可でノーアイロンはもう夏向き。

外に着ていくのは今は単の縮緬(の化繊)に化繊袴。
暑い日だと、紗縮緬(の化繊)に絽の袴。

昨年の夏の終わりに買った小千谷縮をまだ未仕立だ。今年の夏、着られるかなぁ。

2004/05/14(金) 袴の話
袴が好き。
帯しなくて良い、歩くときに裾の開くのを気にしなくてよい。
ホントは不調法なんだけど、足組んで座ってもおかしくない。
短く履いて、靴をはけば、洋服とおんなじ歩幅で闊歩。
身丈の短い着物だって、いっそ袴下には着やすい。

という袴。普通に考えると、卒業式によくみかける「女袴」位しか思いつかないと思うけど、実はもっともっと種類がある。
例えば、神主さんの穿いている袴。あれは「差袴(さしこ)」という。形状はほぼ同じなのだけど、紐の部分が倍位太い。そして、後と前の長さの差がない。これは帯の締め方が違っていて、後ろを張るようにはかないから、その分短くする。
女性神職さんは「捻襠切袴(ねじまちのきりばかま)」といって、襞(ひだ)を折らないタイプの袴を穿く。襞を折らないのは平安装束の系統に属します。こっちは切袴、長袴とあるけど、一番大きな違いは、紐が1本なこと。前述の袴達は前部分を結んで、後部分の紐を前にもってきて結ぶという二本立て。
一方、装束の袴はつながった一本。そして、一番、帯幅が広い。
襞のない袴は畳むのが楽。女袴はこの中で一番襞が多いので、一番面倒。

着心地を云々するなら、この帯幅の広さがポイント。細いのだと、別に袴下帯を結ばないと細くて苦しいけど、袴紐自体が太いなら、この心配はない。平安時代なんて、しばっているモノといえば、この袴の紐と裳の腰紐か細長のあて帯しかないのだから、現在の着物の一枚着る毎に紐で締め付けていくのに比べて苦しくないのは当然。
トイレの便を考えると、行灯式にできる襞ありのが便利。
後腰だけを落とす方法でも可能なので二紐式でも、慣れれば。
一番厄介なのは、一紐な平安式。
これは平安時代から、袴はすっぽり脱いで用を足したという。

2004/05/13(木) 女性神職の装束
神主といえば、狩衣姿を思い浮かべる人が多いと思う。
そして、神主といえば男という錯覚も。
確かに牧師や僧と同じで男性が圧倒的に多い職業だが、実は女性もいるのだそうな。(私はまだ会ったことがない)
そして、女性には女性用の装束がある。
もっとも親のお下がりの狩衣を着ている人が多いというので、女性装束を着た神官を見られるのは本当に稀有のことじゃないかと思う。

女性神官の装束はアゲをしないで着られるウチギと思えば正しい。丈が3尺ほどしかない。袖丈が2尺なので、写真のように、袖の中に裾が隠れるようになる。
ちなみに私の単衣は5尺ある。

着物の上に着て道中着代わりにするのも良い。

2004/05/12(水) 喪中
3月に祖母が亡くなったので、今年は喪中だったりする。
初盆とか、年賀状に対応する喪中はがきの作成など。

が、実際の生活といえば、どうだろうか、葬式前後の1週間の休みがあればいい方で、2日程で会社も学校もいつもと変わらず。
本来の喪中とは「誰にも合わずに故人をしのぶ」のであって、誰にも会わないし、どこにも出かけない。

平安時代であれば、この期間は職も辞して家にこもる。
近いところでは、大正天皇の皇后は喪中は一室に篭り、食事を取り次ぐ女官以外は誰も立ち入らせなかったという。
こういう行動を取るのであれば「新年のご挨拶は遠慮させていただきます」というのも頷けるが、普通に通勤通学し、それどころか、ディズニーランドに遊びに行ってたりするのに「ご挨拶はご遠慮させていただきます」なんて書状を出すなんて嘘くさいにも程がある。

また、こんな暮らしをしている中で故人の死亡を知らせてもいなければ、知らせる気もない人間に年賀状を交わしていた仲だからといって、1年近くも前の死亡を知らせるのはまして変な気がする。

今まではそんなことを考えていても、実際どうするかは決めていなかった。我が親族は健康と長寿に恵まれており、祖父が盲腸で急死して以後、葬式に全く縁がなかった。しかも、これは私の生まれる前どころか両親の結婚する前である。

更に問題なのは、今回、祖母はキリスト教で送った。
キリスト教の場合は葬儀以降の儀式は「昇天『記念日』」。
つまり「お祝い事」なのである。

といっても、西洋では、寡婦は黒服着て家にこもってたようだし、日本では仏式などと大きく差異のないように、やはり「慎む」という行為となる。

喪主と参列者の便宜をはかって、儀式が2日位で終わってしまうのも、気分をそがれることなのかも。
仏式なら通夜と告別式、キリスト教なら、前夜式と告別式があり、焼き場に行って帰ってくると初七日の法要。場所によっては、数時間後には納骨までしてしまう。精進落としをして、もう終わり。俗世に戻れるという段取り。

夫の実家の本家の妻が亡くなったとき、即日到着したこともあって、前工程を見ることができた。病院から戻った遺体を女達が清めて服を着替えさせ、化粧台から故人愛用の化粧品で化粧した。
納棺後、業者がドライアイスを詰めて、祭壇に移動した。
ここから火葬場に行くまでの間、蝋燭は絶やさず、誰かが守番をする。通夜は翌日、葬儀は翌々日だった。
守番といっても、結局は遺族の誰かが名残を惜しむのにくっついているわけで、強制でもなんでもない。

それに比べると祖母のは葬儀社の冷蔵庫の中。手間がかかるので通夜なしの告別式のみ。そして、どうしようもないことに、納骨までの骨壺は本家の故祖母の部屋。結婚して家を離れている私には遠いところ。葬式だ、納骨だと切れ切れなイベントに参加していても実感が湧かない。

でも、多分、実感したくないのだと思う。今までも、いつもは側にはいなかった。年に数度会いに行くだけで。
それを、自分から「祖母が亡くなった」という旨を宣言してしまったら、本当にいなくなってしまうようで。

2004/05/11(火) 細長の後姿
広い寝殿造りの中では長々しい細長の裾も普通に

2004/05/10(月) 襲ねの色目
「下の色目と細長の色が合わない」といわれましたが、意外と気に入っています。
この写真は重なりが綺麗に出ている。
比翼仕立といって、袖口だけしかないような仕立や、下の色が見えるように少しづつ小さく仕立てるような方法を取らない限り、自然に重なりが当分に出てくることはなかなかありません。

今着ているものは、仕立て屋さんの絶妙なる技能でほぼ全く同じに仕立てられています。だから、立つと一番上しか見えない。
座っても、このように当分に出てくることは割りと稀な気が。

生絹の透けが縁で微妙な濃淡を作っています。
絵巻物でこのような色のかけかたをした絵を見たことがあります。実際に見て描いたのでしょうか。

2004/05/09(日) 雨です。
江刺の写真が到着。
色の重ねが綺麗に出ている一枚
4枚重ねています。時期的には早いですが「ひとへがさね」です。

一番下が「青の単衣」今でいう緑色の幸菱(さいわいびし)の固地織。
その上が萌黄(もえぎ)。桜菊の固紋。
その上が女郎花(おみなえし)。冬は山吹(やまぶき)のこっくりした黄色ですが、夏はスッキリした薄めの黄色です。同じく桜菊の固紋。
一番上は表着(うわぎ)で二藍(ふたあい)の生絹(すずし)。二藍はいわゆる紅と藍をかけた紫系ですが、藍と紅の割合で青から薄紅の間で加減します。紅よりが若年、藍よりが壮年。生絹は今でいう紗です。透けて張りがあります。下の織紋が透けて浮き上がってくるのが得も言われません。

例えるなら花散里の君といった感じでしょうか。
女郎花までの部分が橘の襲ね(かさね)ですし、二藍といってもほとんど花田色の表着は花散里に一番似合うと源氏が評した色。

2004/05/08(土) 白鷹お召し
白鷹お召しを実際に見る機会に恵まれました。
現在の生産量は年間80反程だそうで、好事家や私設博物館が取り合ってしまい、市場にほとんど出ない状態になってしまっているとか。
今回見せてもらったものは75万円。普通なら150万円の値がつくのだそうですが、今回は織り元直なので、この値段だとか。
(残りの75万円は中間マージンらしい)

縮緬と同じく撚り糸を使っているのでシボがあります。
生地は縮緬よりは薄く、張りがあります。「シャリ感」と呼ぶとか。袷にも良いのでしょうが、この時期の単にすると、涼感のありそうな生地です。
今回の織物は経緯共に絣糸です。絣は「板締め」という手法で染めるのが白鷹の特徴。紬の絣はきっちりあわせずの周囲がボケるのが味ともいえますが、こちらはきっちりと合わせています。
亀甲もしくは十字模様が120位でしょうか。

以前はもっと生産量が多く、大きな展示会なら2,3反は出回ったそうですが、減る一途だとか。どの織物も同じ運命に。

いつかは欲しいですね。
他に置賜紬や米流といった「山形紬」の類も来ていました。
ウールっぽくざっくりとした太い糸で織った男物の生地もいいですねぇ。洋服のスーツにしたいなとか、コートにしたいと思う。
白鷹見てしまうと銃数万円のは「お安い」と見えてしまう程に。
同じ織り元さんからでしょうか。いい仕事していますね。

実は「白鷹お召しを見たい。但し「見るだけ」」という馬鹿な要望にこの呉服屋さんは応えてくれたのでした。もしかして買ってくれるかも、という一抹の期待があったのかもしれません。
飾っておけば、他のお客様が買うこともありえますし。
自分でも初見なので、見たかったということもあったとか。
チェーン店系なので、こんなことを期待できないと思っていたのですが、意外にもキメ細かい対応にビックリです。

5月絵日記の続き


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