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2004/05/12(水)
喪中
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3月に祖母が亡くなったので、今年は喪中だったりする。 初盆とか、年賀状に対応する喪中はがきの作成など。
が、実際の生活といえば、どうだろうか、葬式前後の1週間の休みがあればいい方で、2日程で会社も学校もいつもと変わらず。 本来の喪中とは「誰にも合わずに故人をしのぶ」のであって、誰にも会わないし、どこにも出かけない。
平安時代であれば、この期間は職も辞して家にこもる。 近いところでは、大正天皇の皇后は喪中は一室に篭り、食事を取り次ぐ女官以外は誰も立ち入らせなかったという。 こういう行動を取るのであれば「新年のご挨拶は遠慮させていただきます」というのも頷けるが、普通に通勤通学し、それどころか、ディズニーランドに遊びに行ってたりするのに「ご挨拶はご遠慮させていただきます」なんて書状を出すなんて嘘くさいにも程がある。
また、こんな暮らしをしている中で故人の死亡を知らせてもいなければ、知らせる気もない人間に年賀状を交わしていた仲だからといって、1年近くも前の死亡を知らせるのはまして変な気がする。
今まではそんなことを考えていても、実際どうするかは決めていなかった。我が親族は健康と長寿に恵まれており、祖父が盲腸で急死して以後、葬式に全く縁がなかった。しかも、これは私の生まれる前どころか両親の結婚する前である。
更に問題なのは、今回、祖母はキリスト教で送った。 キリスト教の場合は葬儀以降の儀式は「昇天『記念日』」。 つまり「お祝い事」なのである。
といっても、西洋では、寡婦は黒服着て家にこもってたようだし、日本では仏式などと大きく差異のないように、やはり「慎む」という行為となる。
喪主と参列者の便宜をはかって、儀式が2日位で終わってしまうのも、気分をそがれることなのかも。 仏式なら通夜と告別式、キリスト教なら、前夜式と告別式があり、焼き場に行って帰ってくると初七日の法要。場所によっては、数時間後には納骨までしてしまう。精進落としをして、もう終わり。俗世に戻れるという段取り。
夫の実家の本家の妻が亡くなったとき、即日到着したこともあって、前工程を見ることができた。病院から戻った遺体を女達が清めて服を着替えさせ、化粧台から故人愛用の化粧品で化粧した。 納棺後、業者がドライアイスを詰めて、祭壇に移動した。 ここから火葬場に行くまでの間、蝋燭は絶やさず、誰かが守番をする。通夜は翌日、葬儀は翌々日だった。 守番といっても、結局は遺族の誰かが名残を惜しむのにくっついているわけで、強制でもなんでもない。
それに比べると祖母のは葬儀社の冷蔵庫の中。手間がかかるので通夜なしの告別式のみ。そして、どうしようもないことに、納骨までの骨壺は本家の故祖母の部屋。結婚して家を離れている私には遠いところ。葬式だ、納骨だと切れ切れなイベントに参加していても実感が湧かない。
でも、多分、実感したくないのだと思う。今までも、いつもは側にはいなかった。年に数度会いに行くだけで。 それを、自分から「祖母が亡くなった」という旨を宣言してしまったら、本当にいなくなってしまうようで。
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