優妃 讃良の着物についておもうこと
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最新の絵日記ダイジェスト
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2004/04/18(日) 江刺 藤原の郷にて
2点。
上は細長着用。奥方などの着方。
下は無紋の裳唐衣着用。女房や地下の典侍の着方。

細長や裳は、普段は「なんでこのように長くしているのやら」と思うほど、裾引くのだが、寝殿のセット内では、十分に相応しい長さとして映える。

2004/04/17(土) 角館にて
週末は東北旅行。
「二人の北東北」というイベント切符がある。青森、秋田、岩手辺りを自由に乗り降りできる周遊型切符。
これだけでもお得だが、更に子供用はたったの4000円という破格値。
そして、昨夜の寝台車「あけぼの」の旅から始まった。B個室を3人分確保。寝台料金だけで4000円以上する。もう子供分はオマケ状態である。
明けて朝の6時に起こされて秋田駅で降りる。秋田始発の「こまち」に乗り換え。乗り継ぎタイミングも良い。
今日は角館を回る。ある意味「武家屋敷」しか取り得のない町なのだが、その保存状態は絶妙に良い。
武家屋敷の間の道は現在の感覚でも異常に広い。10時からは歩行者天国で観光客が多く行き交う。

本日の着物は仕立て下ろしの江戸小紋。帯も同じときに買ったもの。生地が軽い上に芯を入れない仕立にしたので、旅には持ってこいの帯。衿は小紋柄の色衿で普段着感覚に。足元も柄足袋。

フリーマーケットもやっていて、漆塗りに螺鈿細工のついたくけ台を買う。いったいどのような人が使っていたのだろうか。

さすがに北にあるだけに桜も開花したばかり。一つどころか2つくらい寒い。かくして、羽織を娘に取られる。
こちらは予想してきて、腰巻からして正絹の鬼縮緬、正絹の綸子の長襦袢、着物も正絹の袷と完全お蚕ぐるみ。
こういう場では化繊は着ない。というのは、こういう傾向的に寒いと思われる場所では化繊はとんでもなく凍えるという経験をしているから。寒いときには絹物に限る。

2004/04/16(金) ご贔屓(ひいき)
着物を買うということに凝ってくると、コンビニで買い物をするのとは異なる買い物の仕方という楽しみが出てくる。

店にとって品物を買う人は全て「お客様」である。しかし、どんなに大量に、多額に買おうとも、それだけでは「ご贔屓のお客様」とは呼ばない。客と店が相互に相手を知った上で商売をしている間柄を「贔屓筋」と呼ぶのではないかと思う。
お客の側からすると、店の主人の人柄やものを選ぶセンスを好み、自分の好むものを選んでくれると信頼できる店、また店からすると、客が何を要求しているのかがわかるような相手。

先日は「おまかせ」というのをやった。
気に入った江戸小紋をの反物を選んだのだが、八掛の色が見本の中から気に入ったものがない。一つ紋を刺繍でと決めたが、さて糸の色は。これを「お任せいただけますか?」と主人から言われた。「おまかせします」といえるのは、こちらの好みに仕上げてくれると信用できる相手ならではであろう。
出来てきた着物の八掛は小紋の地色と同じ色に裾ぼかしに染めたもの。一つ紋の糸は若干藍に寄った色で糸線縫い。いい仕上がりである。実は、この店で仕立てるのはこれが初めて。
でも、反物を選ぶときに一緒に選んだ帯の色、帯に合わせた帯締めと羽織帯の色合わせの良さ、反物を選ぶ上での会話の中から、これは私の望むものを、「コレ」と確かめなくても大丈夫な相手だと感じた。そして信じた。

もっとスゴイ「お誂え」もの。これは何回か付き合いのある店。展示会にしかあわないのだが、ある展示会で半幅帯を所望した。「では次までに研究してみます」と。それから次の展示会まで半年か4ヶ月程だったろうか。着物用の反物を惜しげもなく切って仕立てたという帯は二種類。「海外旅行でパーティにも使える」という金糸を織り込んだものと、逆に古風な色合いの亀甲柄と。
亀甲柄の方が好みだったが、地色は今ひとつ気に入らなかった。でも、せっかく作ってくれたのでより気に入った亀甲柄を選ぶ。しかし、使ってみると、この帯は普段にもちょっとしたオシャレ着向きにも会い、またどんな色の着物にも合う。気になった地色の柿色が実は要に映える。さすがである。私の手持ちの着物を知りきったような色だ(全てを知っている筈はないが、幾つか見ていれば傾向が見えるのかもしれない)。

もちろん「頼んだのだから」と何でも受け入れる必要はない。考えたものと違えば「違う」といえばよい。そうすれば、店の方では「私」というものに対する情報はどんどん蓄積され、不要なものが修正されて、より広範囲に「おまかせ」が可能になる。

もっと前には先織の反物でもあった。「黄色の染めのを」と言ったところ、余りにも期待通りのものが出てきたので「なぜ?」と思ったところ、「前にこういう色が欲しいって言っていたでしょ」と。ちゃんと覚えていて、機会があったときにその色の糸を選ったのだそうな。それでいて「できてますよ」とは言わない。私が再度「あの色を」というのを待っていたという。すごすぎる。

これらのことは、「売る」という意味で店としては当然のことをしただけかもしれない。でも私としては「私のために、ここまでしてくれた」と思う。相手への感謝を忘れない。そして、それがまた、店が私を信用してくれることにもつながっているのだと思う。

これを読んで、この間柄に憧れる人がいるかもしれない。
しかし、注意して欲しい。こちらから情報を与えなければ、この関係は築けない。「お客なんだから」とふんぞり返っていては、満足のいく出来のものは得られない。
また、どんな店とでもうまくいくというものでもない。店の主人と感性がある程度共通していないとできない。これは、相手にどんなに経験が豊富でも駄目なときは駄目である。私が悪いわけでも店が悪いわけでもない。「合わない」それだけである。
私にも合わない店、店員はいくらでもあった。老舗だから合うわけでもない。逆にチェーン店の知識も不足なオバサンでも何故か信用に足る相手もいたりする。合わない相手とはサッサと切れて、合う相手を探した方がお互いのためだと思う。

2004/04/15(木) 松屋 「銀座きもの市」
本日は数点ハシゴ。

今日の着物は白の梅柄の単衣に黒の長羽織。帯は松屋で仕入れた半幅帯をリボン太鼓に結んで。頭は後にシニョンを作り前には藤の簪をさす。簪のせいか、今日は妙にジロジロと見られた。
藤は子供の簪のように房の部分が揺れるタイプではない。お姉さん舞妓のものであろう。

渋谷で父に会い、実家に行った際においてきた着物を受け取る。
その後玉川屋で着物を受け取る予定だったが、呉盟会準備で店は休みとのことで着物は宅配便にしてもらうことに。

次は銀座に移動してもとじの「泉ギャラリー」のプレ・オープニング イベントの「近衛家の秘宝展」に行く。陽明文庫の文庫長 名和先生のトークショーもあり。
掛け軸の軸装は過去の装束を切ったもの。本物の美しさは比類がない。銀細工の雛道具はよく作ったものだと思うほどの細かさ。
一体、何に使われたのだろうか?お雛様セットのものではないとのこと。

「和織」に移動して物色。ここの着物は色柄ともによい。高いのが難点だが、モノのレベルからすれば妥当なのが悔しい。
先日の喜多川先生の有職帯が残っていた。
店が混んでいて誰もかまってくれないことを良いことに全てみさせてもらう。どれも良い色と柄。ぜーったいに欲しい。
いつでも買えると判っているので、これは頭の中でのキープ品。

次は銀座松屋の「きもの市」。前回同様に混んでいる。絶対に着物が不況などとは言いがたい。今回の展示の主力は大島紬と丹後ちりめん。大島は十字絣だけの単調な柄の夏大島が20万円と破格値。織側としても「いくら手の込んだ柄にしても高くては手を出してもらえない。大島のよさは柄のみではなく地質にもある」と悟ったのだとか。無地に見える生地はいかにも夏で何にも合いそうでお金があったら是非欲しい逸品。

丹後縮緬の方は白生地が大量に出ていた。これだけ大量に白生地が出るのは珍しい。染め上がり分もあり。松屋限定の染め色だとか。そのまま十二単に重ねたいような色の並び。3万円。結構安い。今回目をつけていたのは「縮緬切り売り」の方。
モノは部分的に難ありのものを難のないところだけ切り売りしようというものなので、生地は反物売りのものと同じ。
先染めで経緯の色を変えてある紋織りのものを4m買う。1万円余り。これで袴下の着物が作れる。
他に「難あり」を反物で売っているものから一反。共八掛付きで3万円の。光線の加減で横に線が出てしまう難物。丁度切る位置にあたるらしいので切ってしまえば、全く問題なし。グレー系は既製の八掛が意外に合わないので、玉川屋で誂えた江戸小紋も染めでもらった。共八掛付きはお得な逸品。

いい色無地なのだが、広袖にして小ウチギ状にし、道中着にしようかなと思っている。

2004/04/14(水) また寒く(私学の教育方針)
「夏日を記録」といった翌日に「例年以下の寒さ」というのはなんなのか。体調が狂い安い。
4月は「なたね梅雨」というくらいで、雨も降る時節なので、ある程度は仕方ないが、この落差はあんまりだ。
今日は時節通りに袷の着物に袴に袷の長羽織姿。

添付はお姫さんの普段着姿。
小さくなった四つ身の着物を普段着にしている。振袖だった袖もいまや「ちょっと長め」程度。身丈は既に着丈に満たない。
といっても、逆にこんな腰丈に着るにはお端折りが少なくて便利。

話はとんで、「私学の教育方針」について。
週末、お姫さんは中学入試の模試を受けてきた。場所は某中学校の校舎。単に家から一番近い試験会場を選んだだけだったが、開催者の説明によれば、塾の施設を使うより実際の学校を使う方が子供の受験地の慣れにはいいそうな。
そして、漁夫の利なのか共生関係なのか、開催場所の学校の説明会もチャッカリ行われた。付添の親にとっては子供の試験中することがないので、丁度良いとも言える。
最初に説明した試験主催側の説明で「学校の選び方」の重要点の一つに「校風が子供にあっているかどうか」があった。
宗教系かそうでないか、自律型か規則型か、教育方針、建学の精神など。

そんな目で学校説明を聞いた。
開校13年の若いこの学校は逆に「学校とはサービス業なり」を実にシッカリと肝に命じ、教育方針も教職員の選定も優れていた。自律よりは規則型であるが、その中で成人したあかつきには自律的な社会人として有能な人物に育成することを実感させた。
主眼は勉学。とはいえクラブ活動も力を入れ、県大会や全国大会にその名を知られる部もある。進学率は高くかつ難関校への合格者が多い。部活に熱心な子でも東大に行ったものもいる。
まさに「よく遊び、よく学べ」を実現している学校である。

「いいなぁ」と思ったが、その後の「校内案内」中に意外なことに気づいた。体育館ではバスケット部とバレー部が活動していた。引率する教師の説明で「引退は高三の夏くらいです」と。結構ギリギリまで活動しているのだ。「ストレス発散にもなりますしね」と。ここまでは「フムフム」と納得。が、妙な予感が頭をよぎっていった。
「中高一貫のクラブは高二が指導する形ですか?」
「いいえ、顧問が指導しています」
引率教師は誇らしげに説明した。部活もシッカリと指導しているのがアピールポイントらしい。
最後に学校紹介の掲示板を見せてくれた。クラブの種類もある。数は少ないともいえるが、ある共通点があった。「師が指導するタイプ」である。文科系も琴や茶道などで、どちらも師の指導が基本である。美術部や理科研究会はきっと教師がつきっきりだろう。
私の出た学校の中高一貫の私学であったが、顧問というのは「部室の鍵の置き場の机の主」と「合宿時の大人の責任者」でしかなかった。年間活動計画から合宿のカリキュラム、合宿のチケットの手配、全て高二が統括する。「校則が3つしかない」で有名だが、躾は部の上級生を通して行われる。選択授業、能力別授業の選択は自分で行う。自らの力量を自ら自認し選択する力、下級生4学年を従えて部を運営する力が問われる。
高二の秋、文化祭が終わると次の代に席を譲り渡し、隠居する。
大学のクラブも同じであったが故に気づかなかったが、中高の部活でそんな運営をするのは学校の特色であり、どこの学校でもそうだとは限らないのだった。そういえば小学校の部活は教師が全てをやってくれて、参加するだけでよかった。説明会の中学もまた、そういう部活をする学校なのだと。

卒業して30年も経ってから、母校の真価に気づくというのもなんだが、母校の卒業生がきまって社会人となった後に、企業内で「黙って言われたことをする」のではなく「なぜ、そうする必要があるのか、経営方針は何なのか」にこだわり、ともすれば、経営に口出したくなる習性を持つのかわかった。

「会社で暮らしやすい、評価が高い」といえばこの説明会の学校なのだろうと思う。私の母校の生徒は優秀であっても暮らし難い。「会社には自律性、独創性のある人を求む」などといっても、真のソレを望む企業はいない。オノレの手のうちで頑張ってくれるようなを望むのだから。

が、そうでない教育を受けてしまった私は、こういう「親受けの良い子」を作る学校って好きじゃないなぁと思った。

また、その母親を見習ってしまって添付の写真のような破天荒な行動をする娘にもこの学校はきっと似合わないと思った。

2004/04/12(月) 浴衣の話
今日は28度まで上がった夏日の日、縮緬の単でさえ暑いので、襦袢は綸子単ながら上は紺紗を着てしまう。
うー、これでも暑い。襦袢も紗でないともう駄目だろうか。

呉服屋の店先に浴衣の並ぶ時期になりました。
思い出の浴衣ですか、浴衣ごとに色々ですね。

「柄合わせ」でというと、初めて自分で反物を買ったのが実は浴衣でした。仕事の出張の帰りに京都の呉服屋さんにあったものを。当時は紺地に色を挿す位が浴衣の定番であった頃のこと。
その浴衣は地の色がエメラルド色でした。プリントでなく、染めで大きな花柄がまた別の色で染められてという当時として浴衣とは思えないほど凝った染めでした。
花柄の一柄が長く、祖母が柄合わせを悩んでいたのを思い出します。裄丈の長い私のこと、そうそう柄合わせに融通が利かない。

次は娘の0歳地の甚平ですね。そう柄は大きくないのですが、甚平が小さいので、比率的に大柄状態に。これは浴衣地を広幅に織ったものをメーター買いで。左右の柄合わせ、オクミとの柄合わせ、更にズボンとのバランスと結構大変でした。

一番最近だと、長板中染の生藍の浴衣の話。
伊勢型のソレは一部、染めがズレてぼやけている部分がありました。仕立て屋さんに仕立てていただいたのですが、下前や衿裏に綺麗に入っていました。
そして大柄好みの私はこの柄も大きな牡丹柄。柄のボケの配置を見ながら牡丹の配置にも気を配った良いできばえでした¥。

子供の浴衣は毎年新規仕立。少し、いやさ かなり大きめに仕立てて2年位は着られるようにしてあげしておくのに、子供の成長ってそれを上回る勢いで、ツンツルテンに。
仕立てるたびに「ああ、大きくなったなぁ」と感じます。

2004/04/11(日) 模擬試験のつきそい
子供の模擬試験につきそいでついていく。
毎日着物の状態では、「急ぐ」となると着物しかきられなくなる。洋服関係の細かいものなんて、すぐには出てこない。
更に、元から「しゃっちょこばらないが普段着でもないカジュアルなおでかけ着」なんて洋服は持ってないし。

というわけで、朝6時起きで7時の電車に乗ろうという今日は、寝ぼけ頭で桜文様の小紋をひっつかみ、緑の袴を履く。旅は白足袋、草履はパール白に水色のエナメル鼻緒。小紋の長羽織。

当然、着物なんて着ている人はいやしない。見られても当然だが、ジロジロ見る人の多かったこと、多かったこと。
ここまでじっくりとジロジロ見られたのも久しぶり。

しっかし、良い天気。試験の終わる昼にはもう袷の着物では暑い。隣で子供は半そでTシャツ1枚になって、上着を腰に巻いている。
帰宅して、まろ茶の宣伝よろしく脱ぎ散らかすと、肌襦袢どころか長襦袢もしっとりと。2つを洗濯カゴに投げ込んで入浴。
上がったら、新しい湯文字と腰巻に肌襦袢も着ずに麻の白衣を羽織って。買い物に行く夕刻には汗も引くだろうから、また、下着を整えて、それでも単くらいかなぁ。

2004/04/10(土) 喪服の種類
以前、友人が成人式の際に喪服を誂えたときの話。
「5枚もよ!」という。
季節ごとに相応しい厚みを追求すると5種類ということらしい。
普通の着物ならば、春と秋は兼用しないと考えると更に増える。

さて、5枚もあるのだろうかと考えてみた
1)羽二重か縮緬の袷
  最低一枚用意するという場合は、コレ。
  葬式は冬場に集中しやすいので、私はコレ一枚しか持っていない。
2)絽の単
  夏の葬式に着物といえばコレ。「喪服セット」といえば1)と2)がセット。厳密な季に合っていなくても、どちらかが着られる。
3)縮緬の単
  5月から衣替え迄だとすると絽には寒いし袷では本当は暑い。

ぱっと思いつくのはこの3つ。あと2つは何なのだろうか?
想定1)胴抜き
  袷では暑いが単丸見えではという4月から5月初に着る。
想定2)紗
  厳密には紗と絽は着る時期が違うらしい。
想定3)紗袷
  衣替え直前の1週間位しか着られない着用期間の超少ない着物。喪服でこれを誂えるというのは相当な贅沢な気がする。
想定4)袷で羽二重と縮緬を両方
  お家元夫人のような付き合いが広く、着物の格を厳密に追求される人の喪服は羽二重と縮緬を両方揃えている人がいる。
「家族の葬式」と「家族以外の葬式で黒紋付の場合」と分ける。

聞けばよかったのだが、聞きそびれてしまったので今でも気になる。

2004/04/09(金) 今年最初の紗の着物
常軌を逸したような好陽気。
袷どころか単ですらもう暑い。夕刻には涼しくなるのだろうが、洗濯物を広げるベランダは既に炎天下。

娘は既に浴衣をひっぱりだし、それでも暑いと膝上20cmにまで端折っている。黒の短スパッツがたっつけのように見えている。
小学3年の頃だったかについ丈に作った浴衣はもう裄も身丈もツンツルテン。しかし、こういう短めに着るにはお端折りが少なくて便利。

こちらは夏の紗を引き出す。色は濃い目の紺地の花柄の総柄小紋。帯は祖母ゆずりの紬の利休鼠の染め帯。つけ帯なのだが、胴の部分だけを結んで、後は結びきりを文庫風に見せて。

夕刻。さすがにまだ卯月。若干冷え込んで紗では寒くなってきた。とはいえ、袷に戻るには昼の熱気が残っている。
単のお召しに着替える。ピンクと紫の交織で菱を織り出した生地は平安時代の固織物の印象。全体は渋い紫が勝つ。絣で柄を出す平織りとは異なる地厚。襦袢には薄紅色の桜柄の半襦袢を。袖から覗く薄紅色が交織のピンクを引く。
地味な着物にはきっぱりと明るい襦袢を合わせると綺麗だ。
帯は昼と同じ染め帯。

2004/04/07(水) 衣紋抜きノウハウ
★きくちいまさんのサイトの掲示板に掲載の分の転載

衣紋抜きは着付けのときにいくつかノウハウがあります。
色々な方法があると思うけど、以下は私のしている方法です。

◆襦袢の時点では衣紋は多目に抜く
着物を着るとどうしても、詰まってきますので、襦袢の時点では多目に抜いておきます。
◆衣紋を支える紐は水平に
背中に縫いとめた紐や衣紋抜きの紐に通して結びますが引っ張るがゆえに、水平じゃなくなることがあります。斜めに結んであると、いくらきつく結んでも緩むのは当然。姿見を見ながら水平に結びます。
◆衣紋抜きの紐と伊達締め併用
衣紋抜き用に結んでいる紐だけでは引っ張りを支えきれません。もう一本紐を結ぶか、できれば薄手の伊達締めを締めます。
◆襦袢の紐を結んだら、紐より下でひっぱる
大抵、胸辺りを結ぶので、自分で着付けている場合は腕を上げて結んでいる。これだと、身頃が上にひっぱられています。
結び終わった時点で、襦袢を前も後も下にひっぱります。1cm位は下がります。でもこの1cmが衣紋にとっては大敵なの。
◆長着を着たら、結ぶ前に衣紋なおし
着物を着る時点で着物の方が重いので、羽織った時点で衣紋は前にずれてきます。
慣れてくれば大丈夫なのでしょうけど、なかなか、これは「慣れ」ない。
羽織った時点で、鏡を見て衣紋を直します。まだ、背中にも手が入りますから、緩んだ衣紋は後ろへビシビシと抜きなおします。この後に腰紐を結びます。
◆胸紐を結ぶ前に背を引っ張る
腰紐を結んだら、お端折りを整えますが、このとき背も下にひっぱって揃えます。
◆伊達締めを締めたら背をひっぱる
伊達締めを結んだ後に背中心や胸元には皺を出さないように両端に寄せますが、このときにも背を下に引きます。5mm位かな。
余りひっぱりすぎると襦袢の衿と離れますので引きすぎには注意。

というわけで、一手順ごとに衣紋を直しながらいけば、結構大丈夫です。

ご参考に

4月絵日記の続き


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