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2004/04/23(金)
お育ち
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自分、もしくは自分の家で普通に行われていることが、実は他人の家では全く行われていない、守られていないということがあってドッキリすることがある。 結構家によって、習慣や躾の内容は異なるようだ。
大人になれば、家の躾のみならず学校生活も性格形成には大きな影響を及ぼす。だから、どこの学校を出たかというのは案外大きな性格の分類になったりする。
昨今一番気になるのは「子供の行動」である。 私が子供の頃、隣接して叔父の家があった。うちの父親と兄弟で隣接した家だというのに、子供の躾に関して大きな差があるというのも面白い。まぁ、「家」なんてものを守る程ご大層な家ではないので、親の性格や方針の方がよっぽど関係するからに違いない。 うちはかなり幼い頃から、親との同行が基本だった。その代わり、子供が来るには基本的には相応しくないような場所に行く際には大人並の立ち居振る舞いを要求された。 その基本なのか、家でも「廊下は走るな、足音をさせるな」「階段の昇降に足音がするとは何事か」「戸は開けたら閉めろ。その際に音をさせてはいけない」「食事中に離席するものではない」などなど。未就学児の時代に来訪していた伯母の頭を戯れに叩いた位で、一人で自ら謝罪に行かされたなんて、話すとビックリする人の方が多い。(徒歩で行ける距離ではあるが、未就学児には、かなり遠い気分だった) 一方、叔父の家では子供のそうした躾をしない代わりに、来客時の同席や訪問の同伴を一切しなかった。デパートなどへの同伴も子供当人のものを求めるとき以外はなかったように思う。 その度に祖母が同居していた我が家に従妹弟達が来ていた。
着物に関しては、祖母が従妹のものまで同等に用意し、管理も着付けも祖母のところであった。が、従妹は余り着物が好きではなかったようだ。うちの母よりはちょっと良いお家の出の叔母は折節の着物には良いものを用意していたが、その儀以外には着なかった。一方私は着物好きで正月期間は着物で通し、夏ともなれば浴衣に興じた。
この従妹と私が結婚して、娘をもうけた。私に一姫、彼女には三姫。よく「子供の頃、虐待を受けた子は親になって自分の子供に虐待をする」というが、躾も同じらしく、我が家は子供を同伴する一方、大人の場での大人並の立ち居振る舞いを要求した。 幸運なことに預けた保育園が古風にも躾にうるさいところだった。一方、従妹は子供を同伴せず、出かけるといっては実家に子供を預けた。躾の方針、家の習慣はこうやって伝わっていくようだ。 着物に関しては、晴れ着、普段着、浴衣を成長に合わせて用意した我が家の姫は既に自力で着物を着る。一方、従妹の家では長女の七五三はしたものの、次女、三女のときは面倒臭くてとやらなかった。お下がりすればと大事に保管していた叔母は孫の儀礼が一回が終わってしまって残念がっていた。体験不足もあって従妹の姫達は着物に執着がない。正月だ祭りだという際にうちの姫が着物を着ていても平気だ。といっても中の姫は着たそうな顔をする。同じ親から生まれても3人もいると趣向は異なるようだ。
これらが普通だと思っていたのだが、他人さまの家では更に異なる方針の家があるようだ。しかも、そこが特異なわけではなく、そっちの方がいっそ大多数なのではないかと思う。 まず「小さいうちは、食事中に離籍する」のは普通だと思っているらしい。子供は堪え性がないだからしかたないのだと。また座卓の生活では子供を押えておけないからだとか。 また、同伴して外出する際には駆け出すのを留められないとか。 ビックリである。欧米ならば、食事中は椅子に、外出時はかなり大きくても乳母車に押し込んでしまう。 私は子供の頃、外出では絶対に手を離してもらえなかった。 今、ショッピング・センターで子供が走っているとビックリしてしまう。先日の「回転扉事故」も私から見ると、「手を離した親が悪い」と思っている。娘に聞いたところ、幼い頃に親に「回転扉に子供が一人で入ると食われてしまう」と言われ、空飛ぶ絨毯を信じていた娘は「子供を食う回転扉」も素直に信じていたのだそうな。当時、回転扉はホテルや高級店など「躾の良い大人の行く空間」に通じる場所であり、子供がかけって行って良い場所ではなかった。久々に東京に出てみたところ、回転扉は随分増え、子供が来て当然なところにも設置されているようだった。これについては、設置側に一考を望みたい。「ガキの来るところ」に回転扉は不適切である。
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