優妃 讃良の着物についておもうこと
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2004/04/30(金) 装束の自作
本文は5月1日のところになります。

真ん中が自作狩衣(指貫、単衣共に)。
両側は業者仕立品。左が狩衣、右が直衣。

見目はまぁまぁですが、生地の関係で自作狩衣はすさまじく着崩れます。袴は安物サテンを使ったおかげで、皺になることなること。そのくせ、襞は取れまくって、毎回アイロンで難儀です。

2004/04/29(木) 装束
江刺で撮ってもらった写真を貰う。
裾がぐしゃぐしゃだが、このぐしゃぐしゃ感が絵巻物っぽい。
当時、そうそう、マメに裾を直したりはしていない筈。

2004/04/28(水) 陰陽師U DVDリリース
陰陽師UのDVDリリースの日でした。
早速、買ってしまうあたり、私は平安ファン。

相変わらずに、野村萬斎氏の立ち居振る舞いは見事です。
装束に慣れきっていますね。ひざまずいて、ものを拾うにも、さりげなく袖をとる様まで美しい!

今回、アレと思ったのが萬斎氏以外の主要キャラの衣類が厳密には装束と同規格(?)ではなかったこと。ひみこは袖を括っていましたが、これは性格を現すだけでなく、袖の扱いを容易にするためではないかと思ってみたり。出雲王である幻角の狩衣は端袖がない。その分袖の扱いが楽な筈。
博雅は、きちんとした装束で、装束の扱いがばれないような立ち居のカット。これは見事。

私の一番好みは冠に白の直衣の「冠直衣姿」
今回はたっぷり見られて満足、満足。

陰陽師の絵を入れるわけにいかないので、ロケ地である江刺藤原の郷での装束オフのショット。

陰陽師Uのオープニングっぽいでしょ。

2004/04/27(火) 続・葬式  −納骨− (洋服は着物に勝てるのか)
4月24日、祖母の納骨です。
キリスト教式なので、四十九日でなく五旬節と言います。
「旬」は上旬、中旬と呼ぶように「10日」のこと。五旬節は50日目を指します。五旬節はこの後週日なので、事前の土日ということでこの日です。
場所は小平霊園。家から離れていることもあり、内輪のみが集まって行いました。
喪主であるうちの父母。その弟夫婦、弟の娘、息子夫婦、そしてうちの殿と姫。
私は鼠の江戸小紋に喪服の黒帯に黒小物。姫は黒地の単小紋に黒袴。男性は黒フォーマルに黒ネクタイ。
そして、残りの女性は全て黒のスーツでした。

が、

女性群、全て、スーツを新調してきたんですね。従妹はバッグまで!なんでかというと、葬式当日、私の母、私、姫の3人は黒紋付でした。しかも、我が家の家紋のをどーんと。叔母はすっごく質の良い洋装で「黒もいいのはなかなかなもの」と私は思っていたのですが、負けず嫌いの叔父は闘争心を起こしたのだと。
叔母は輿入れ時にいい生地の実家紋の黒紋付を持ってきていましたが、祖母の介護疲れで着物を着れる体力がありませんでした。
かくして、今回の納骨に「金がいくらかかっても良い!いっちばんいいスーツを買って来い!」と叔母に命令したのだとか。
寒いことを想定したのか下はタートルネックのセーター。これも襟周りが自然なことから、良いものでしょう。
従妹はカッチリした雰囲気を払拭するように、ちょっと凝った襟元のデザインのパンツ・スーツ。黒のミニ・ケリーバッグ。

が、母の判定では「やっぱり着物よね」と。

「なんでかなぁ」という母に一発回答。

「そりゃ、値段が違うし、所詮は良い生地といってもウール、正絹の上物に勝つわけがない」と私。

問題は形が「洋服」なのか「和服」なのか以前に、使われている生地で既に差がつくと思っています。
私の喪服はもったりと重い正絹羽二重。生地代だけでかなり上等のスーツが買えるような額のものです。
正絹の洋装のスーツやワンピースを見たことがあります。
もちろん、額は着物並。しかし、着物にヒケは取りません。

というわけで、比肩しうるかどうかは、生地の程度、金額が比肩しうるものであって、そこから始まるのではないかと。

逆に着物といったって、1万円に満たない姫の化繊縮緬が勝つかといったら、当然お話にもならないというわけで。

私は別に誰かに勝とうと思って着物を着ているわけではありません。祖母が着物を仕立をし、私の着物を常に裄丈合うように直し続けてくれた、ということに対して、祖母の式には最高の着物で出たい。見せたいのは誰でもなく、祖母に対してです。そうやって、着物を揃え続けてくれたことが孫の私に、そしてひ孫の姫に受け継がれているのだということを見せたいがために。

2004/04/25(日) 子供の法事参加時の着物
子供はまだ紋付を持っていないことが普通なので、類するものならよいとされています。
昔は「一張羅を着る」ということから、紅の振袖ということもあったとか。子供のよそゆきなんて、ソレくらいしかない昔としては、なんとなく分かる話。

とはいえ、昨今だと、やはり「黒っぽいモノ」かなぁと。
好天の場合には暑がるのは目に見えているので、袷は危険なので、単を想定しました。幸いにも黒地の単の小紋があるので、今回はそれを利用。小紋柄がありますが袴が黒なので、見える範囲も少なかろうと、好いことに。

って、この組み合わせ、写真ではよく出てくるものだったりして。お姫さんのお気に入りの着物です。

但し、化繊バレバレの1万円以下のもの。

2004/04/24(土) 色喪服
着物の決まりごとなどを調べたところ、「親族の場合、納骨は黒紋付」とあったのですが、「喪主以外は色喪服でも良い」ともありました。
当日の予想は晴れ。ここんとこの好陽気では、夏並に暑い可能性も考えられました。

というわけで、先ごろ仕上がったばかりの鼠の江戸小紋にしました。小物は全て喪服用の黒。頭のはカトリックの場合に服喪時にかける黒のベールを模しています。

当日、天気は好いものの、気温は4月並。
ところが、好天は黒服を集中砲火。30分に満たない式の終わる頃には「暑ーーい!」と上着を脱ぎだす者続出。
白に近い鼠色の私は「どっちかというと涼しいかな」位なのに。
黒紋付にしなくて正解でした。
喪主である父は式後、さっそくグレーのダスターを着込む。埃よけかと思ったら「こっちの方が涼しい」とな。「黒」ってすごいです。

2004/04/23(金) お育ち
自分、もしくは自分の家で普通に行われていることが、実は他人の家では全く行われていない、守られていないということがあってドッキリすることがある。
結構家によって、習慣や躾の内容は異なるようだ。

大人になれば、家の躾のみならず学校生活も性格形成には大きな影響を及ぼす。だから、どこの学校を出たかというのは案外大きな性格の分類になったりする。

昨今一番気になるのは「子供の行動」である。
私が子供の頃、隣接して叔父の家があった。うちの父親と兄弟で隣接した家だというのに、子供の躾に関して大きな差があるというのも面白い。まぁ、「家」なんてものを守る程ご大層な家ではないので、親の性格や方針の方がよっぽど関係するからに違いない。
うちはかなり幼い頃から、親との同行が基本だった。その代わり、子供が来るには基本的には相応しくないような場所に行く際には大人並の立ち居振る舞いを要求された。
その基本なのか、家でも「廊下は走るな、足音をさせるな」「階段の昇降に足音がするとは何事か」「戸は開けたら閉めろ。その際に音をさせてはいけない」「食事中に離席するものではない」などなど。未就学児の時代に来訪していた伯母の頭を戯れに叩いた位で、一人で自ら謝罪に行かされたなんて、話すとビックリする人の方が多い。(徒歩で行ける距離ではあるが、未就学児には、かなり遠い気分だった)
一方、叔父の家では子供のそうした躾をしない代わりに、来客時の同席や訪問の同伴を一切しなかった。デパートなどへの同伴も子供当人のものを求めるとき以外はなかったように思う。
その度に祖母が同居していた我が家に従妹弟達が来ていた。

着物に関しては、祖母が従妹のものまで同等に用意し、管理も着付けも祖母のところであった。が、従妹は余り着物が好きではなかったようだ。うちの母よりはちょっと良いお家の出の叔母は折節の着物には良いものを用意していたが、その儀以外には着なかった。一方私は着物好きで正月期間は着物で通し、夏ともなれば浴衣に興じた。

この従妹と私が結婚して、娘をもうけた。私に一姫、彼女には三姫。よく「子供の頃、虐待を受けた子は親になって自分の子供に虐待をする」というが、躾も同じらしく、我が家は子供を同伴する一方、大人の場での大人並の立ち居振る舞いを要求した。
幸運なことに預けた保育園が古風にも躾にうるさいところだった。一方、従妹は子供を同伴せず、出かけるといっては実家に子供を預けた。躾の方針、家の習慣はこうやって伝わっていくようだ。
着物に関しては、晴れ着、普段着、浴衣を成長に合わせて用意した我が家の姫は既に自力で着物を着る。一方、従妹の家では長女の七五三はしたものの、次女、三女のときは面倒臭くてとやらなかった。お下がりすればと大事に保管していた叔母は孫の儀礼が一回が終わってしまって残念がっていた。体験不足もあって従妹の姫達は着物に執着がない。正月だ祭りだという際にうちの姫が着物を着ていても平気だ。といっても中の姫は着たそうな顔をする。同じ親から生まれても3人もいると趣向は異なるようだ。

これらが普通だと思っていたのだが、他人さまの家では更に異なる方針の家があるようだ。しかも、そこが特異なわけではなく、そっちの方がいっそ大多数なのではないかと思う。
まず「小さいうちは、食事中に離籍する」のは普通だと思っているらしい。子供は堪え性がないだからしかたないのだと。また座卓の生活では子供を押えておけないからだとか。
また、同伴して外出する際には駆け出すのを留められないとか。
ビックリである。欧米ならば、食事中は椅子に、外出時はかなり大きくても乳母車に押し込んでしまう。
私は子供の頃、外出では絶対に手を離してもらえなかった。
今、ショッピング・センターで子供が走っているとビックリしてしまう。先日の「回転扉事故」も私から見ると、「手を離した親が悪い」と思っている。娘に聞いたところ、幼い頃に親に「回転扉に子供が一人で入ると食われてしまう」と言われ、空飛ぶ絨毯を信じていた娘は「子供を食う回転扉」も素直に信じていたのだそうな。当時、回転扉はホテルや高級店など「躾の良い大人の行く空間」に通じる場所であり、子供がかけって行って良い場所ではなかった。久々に東京に出てみたところ、回転扉は随分増え、子供が来て当然なところにも設置されているようだった。これについては、設置側に一考を望みたい。「ガキの来るところ」に回転扉は不適切である。

2004/04/21(水) 呉服屋めぐり
所要があって東京に出た。
一旦出てしまうと、やはり呉服屋はチェックして歩きたくなるもの。
所要がメインなので、久々にスーツ姿。東京の気温は夏日を記録しそうな勢いで暑かった。着物の季ではまだ袷だが、単でも暑そうな日だった。
渋谷:
春に仕立てた着物の支払いに行ったのだが、行ってしまえば、色々と見せてくれる。来週が法事だという話から、「喪服帯が終わったら、こんな帯はいかがですか?」と縮緬地に家紋をロウケツ染めしたものを見せてくれた。夏に向かって塵除けコート用にと透ける紗に柄を織り込んだレースのような反物もあった。白生地だが、白のままだと目立ちすぎるので染めた方が良いとのこと。こんなコートを着て歩いたら、さぞかしステキだろう。
来週になると夏物に変わりますので、またお越しをと。
銀座:
銀座最大の本屋ブックファーストに行ったのが運のツキ。
このビルの階下には数軒の呉服屋が入っている。

一軒目の店は早や夏物が広がる。透けの強い紗が欲しいといったところ、見事な縦縞の黒紗が出てくる。「襦袢の柄に凝るのよ」というので、縦に織でグラデーションした襦袢を重ねて見せてくれる。見事に浮かんでくる。普通の横絽を重ねると格子状態。上品をいう意味では襦袢は紗が縦絽が合うようだ。
手放しがたかったのが夏帯。白地の小葵紋地に臥蝶丸が薄花田、萌黄、朽葉で浮き織りされている9寸帯。6.6万円という手ごろさにも食指が動きかける。
そして、自分の担当氏に初めて会う。若い女性であった。なぜ知らないかというと、最初に見立ててくれたのは年配のオバちゃま。今日も2人組で見立ててくれた。見立ての力は当然ながらオバちゃまの方が達者である。

二軒目。小物が中心のこの店。こちらも、ウィンドウは単だが、手前には浴衣や絹紅梅が早や出ている。そして、ワゴンには絽の帯揚げが。「染まってきたばかりですよ」という夏の帯揚げを物色し、縦絽も捨てがたかったが紅の絞りの色の美しさに横絽白地に紅のを買う。帯揚げは手ごろ価格過ぎて、財布の紐が・・・
帰り際、2万円と4万円の結城紬が出ているのを見つけた。
機械織りだというが、結城特有のほっとするような温かみは同じ。無地の染めと、今の結城では見られないほど簡単な紬柄の。
高級な紬は売れる数が限られているので、どうしても機が遊んでしまう。そのときに織るのだという。もともと真綿の紬は普段着。今のような超絶技巧の高額な反物ではなかった。高額な着物は普段には着れない。この金額は「普段に着る着物」の価格だと思った。今の時期は単に仕立てると良いそうだ。
昨年は亀甲の結城紬もビックリするような安価に出ていた。
浴衣もここは本格藍染のもの。白地も藍地も薄花田色のも自然な色だからか、ホッコリする。これを見てしまうと、昨今氾濫するプリント柄浴衣は柄の勢いに「疲れる」と感じる。

2004/04/20(火) 平安装束 これだけ必要
よく着物で「最低これだけ揃えましょう」とある、装束バージョン。着るものによって、必要物が違うので要注意。

共通のもの
これはどの装束を着るにも最低必要なもの。

白足袋束帯以外は裸足が正式なのだが、レンタルする場合は必須になる。また外歩きの場合は足が擦れないようにあった方が楽。
草履外出しない場合は不要。祭りに使うような廉価な畳表"模様"ので十分。男性装束の場合は財力があれば沓を使う手も。
半襦袢男女共に下に袴を穿くので襦袢は半襦袢で十分。着物の長襦袢を流用しても良い。
下穿き袴を足の汗や汚れから保護するため。着物用のものがあるが、洋服用のステテコやズボン下でも十分。
白小袖ここから、装束特有の衣類になる。神社で神職や巫女が着用している白い着物。生地は正絹羽二重を最上として下はワイシャツ木綿地まで各種ある。初心者なら最下のワイシャツ地を。一年中着用でき、洗濯も効く。
女性の装束は胸元にこの白小袖が見えるので、風合いが気になる人は夏は麻混平織、冬が化繊羽二重を。ちょっと高いだけで風合いがいい感じになる。
白帯男着物の角帯ほどの幅の帯。角帯よりは薄手で伊達締めよりは厚手。但し、マジックベルトが一般的。神職ですらマジックベルトが主力というから、オドロキ。


狩衣姿装束の中では一式揃えるのに一番安価な構成。
また着付けも一番楽なので、覚えやすい。
男性装束の入門向けといえる。
もともと色柄に制約のない歴史もあるので、取り合わせに比較的自由がきき、たいていの店で多種の色を扱う。
狩衣化繊の単仕立ならば2万円代からある。
単衣白小袖の上に着る。和楽器奏者では単衣を着ない流派もあるが、趣味で着る場合、狩衣の襟や脇から見えるので色を合わせて持っていた方が良い。神職は朱色を使うのでこの色は比較的安価に入手できる。他にも色々な色がある。
指貫袴である。神職はこれと同生地の「差袴(さしこ)」という切袴を穿いていることが多い。神職の穿く生地である紫の臥蝶丸はどこでも入手可能。どんな狩衣の色柄にも合うので、迷うならこの色柄を。
一見、不要に見えるが装束に扇は必須。蝙蝠(かわほり)という片面だけ紙を張ったものが正規。入手しづらい場合は舞扇でも良い。
烏帽子平安当時は庶民も被り物をしており、頭を出しっぱなしは恥とされた。「懐中烏帽子」という折りたたんで仕舞える烏帽子が安価で格納にも簡便。

袿袴「うちきはかま」と読む。女性装束の最低限のもの。絵巻物で見る機会は少ないが、自宅で過ごす場合はこの程度しか着ていなかった。明治時代初期には「けいこ」と読み、宮中に伺候する際の最高礼装とした。
袿(うちぎ)一番上の着物。一般の着物と異なり、「広袖」といって、袖口が下まで開いている。平安時代には裏をつけた袷仕立てだが、時代が下がるに従い、着る枚数を減らして「中倍(なかべ)」といっておめりを2枚かさねて複数枚着ているようにみせかけた。女性の装束はそのまま枚数を重ねて裳唐衣を加えれば「十二単」(正しくは五衣および裳唐衣姿)となる。
ここにいく途上の揃えならば袷仕立に、このままで楽しむのなら中倍入りにするのが良い。
二倍織物(ふたえおりもの)という浮き織の生地が華やかで良いが、浮いた糸がくずれてくることがある。固織物(かたおりもの)という浮き糸のない生地は堅牢で良い。
年齢によって使える色の制限はないが、表白に裏赤の「桜襲(さくらかさね)」や表黄に裏赤の「山吹襲(やまぶきがさね)」は若年が着ると映える。逆に縹(はなだ)は年配の方が着映えがする。
単衣(ひとえ)男性装束の単衣と違い、裾が長い。
繁菱(しげびし)か幸菱(さいわいびし)柄を使う。女性神職の使う朱(あけ)と萌黄(もえぎ)は入手しやすい。また朱は色合わせがしやすい。他に葡萄(えび)、縹(はなだ)、青(現在の緑色)、紅、黄などの色が使われる。表着とコーディネートして色を選ぶ。
室内ならば「長袴」、戸外散策なら「切袴」というくるぶし丈の袴である。長袴を裾でくくれるように細工したものもあり、これは内外両用で便利。
色は未成年は濃色(こきいろ)という紫、成年は緋色。
但し、年代によって諸説あり、成年も礼装には濃色を着た時代もあった。現在の宮中では一子生むまでは濃色となっている。
女性は桧扇が本義だが、これだけでもう一着装束が買える位高額。とりあえすは男性と同様の蝙蝠(かわほり)扇でよい。

とりあえず、これだけあれば、気分が味わえる。
この後、女性ならば、裳唐衣を足したり、男性ならば、直衣や袍(ほう)を加えていくことになる。

2004/04/19(月) 何から買うべきか
着物を持っていない人からよく受ける質問にこれがある。
「何から買うべきか」
平安装束でも、このような質問があったりする。

でも、考えてみるとおかしな話。洋服に対してこんな質問はしない。
と、とりつく島のない返答をしても始まらないので、質問した方の立場に立って考えてみよう。

こういう質問をする人間は、大概の場合、着物や装束を着てエンジョイしている人の話をサイトや本で見たり、運よく着用体験した人間に多い。「自分もこんな風に着てみたい」というわけ。
「何"から"揃えれば」という質問は正しくは「何"を"揃えればよいか」という意味に等しいことが多い。
何せ、初心者にとっては腰紐だの伊達締めだのという小間物がなければ着れない「らしい」ことはわかっても、何をいくつ揃えればよいのか、更に何ランクもあるように見える等価物のどの辺りのものが初心者向きなのか全くわからないから。

が、答える側としても知りたいことがある。「どんな場で、何のために着る予定のものなのか?」である。

「着物」と一口に言っても、下は「家でゴロ寝用」から上は「宮中で陛下に謁見用」まであるわけだ。ゴロ寝用なら下着類はかなり洋服のものを流用して構わないし、化繊モノが洗濯に便利。逆に足袋などは「色足袋、柄足袋」といったオシャレを楽しむのも良い。凝ったところで足袋の代金は他のものに比べると安いから。
対するピンの方なら、やはり下着や紐からリキを入れたい、というかリキ入れないと「馬脚を現す」になる。着物というものは下のものでも脇だの裾だのから見えてしまうのだから。

装束は別な意味で「どこで着るの?」になる。
というのは、好意や商売で貸してくれる機会がある。こういう場所に出る機会を得られるのならば、貸してくれるものは後回しにして、「個人で持たなくてはいけないもの」から揃えていけば良いわけだ。この場合、足袋、肌着、襦袢、白小袖、帯はそれにあたる。ここから進んで、袴、単衣、上着と揃えていく。

こういう機会なく「欲しい」というのは、外人が「キモノが欲しい」というのに似ているので、逆に上から揃えていくのが楽しい。外人はキモノだけ買って、ガウンの様に羽織るらしい。

装束の方に特定して話をもっていくと、同じような狩衣だの女房装束だのでも厳密には「どの時代を模しているのか」で違ってくる。「平安を忠実に再現」を目指すものは当然いるとして「見目を優先のモドキ」もいれば、「明治の装束を目指す」もいる。
私が何かというと、どれでもなく、強いて言うと「平成の装束をコーディネートする」というのが一番近い。様式美の誇張が盲腸状態に達したような現代の着物の正装に比べて、平安装束は意外と着付けも楽なら居住まいも楽。とはいえ、だだっぴろい風通しの良い寝殿の上で暮らしていた女房達に比べて、狭い住宅事情と土足の戸外歩行を考えると、対応するデザインの変更が生じる。
袴を切袴にしてみたり(平安当時も外出は切袴や指貫)、ウチギの裾を短くしてみたり、着物に近い色目の生地に寄せてみたりと。

添付は成果の一つ。通常ならば袷を重ねていくところを単を重ねている。なんとなれば袷は単のほぼ二倍の値だから。贅沢にも色々な色合わせをしたい私には単を重ねていく方が重宝。
青(今の緑)、萌黄、黄と重ねた上に藍に寄せた二藍の生絹(すずし)を重ねる。ちょっと早いが「橘の襲ね(かさね)に二藍の上着」という次第。秋になれば、萌黄が消えて一番上に紅を重ねて「紅葉の襲ね」となる次第。

4月絵日記の続き


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