優妃 讃良の着物についておもうこと
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2004/12/14(火) 化繊で振袖だ
ありそうで、ないもの。
化繊の振袖。七五三だと多いんですが、大人モノだとね。
って、見つけちゃいました。「たんす屋さん」の新品で。
しかも、イマドキ絵羽柄が多いのに小紋です。大振袖。
製造は「コウヤ」さん。ここは表地も八掛、胴裏もしっかりしているんで、安心できます。
お姫さんの着物もそろそろ小さくなりましたので、成人式までの着物にと。5,6枚ありました。柄は3つ程であとは色違い。
あれこれ試して、黒の七宝輪つなぎを大きく描いたキリっとしたのにしました。花の散っている方がいいかなと思っていたのですが、お姫さんの顔にはキリとした柄の方が似合うようで。

しっかし、問題は「裄68cm」で、デカイ!
お姫さんはまだ150cmなので、ぶっかん、ぶっかんです。
ココ、リサイクル物が小さいのが多いので、新品は大きめを揃えるんですよね。
ま、まだ肩上げしとけばいいか。肩上げすると、いきなり舞妓さんみたいです。
お正月にお目見え。

2004/12/13(月) 裾の丈、衿の具合
キマリがありそうでないもの。それは裾の丈。衿の抜き具合。

裾の丈:
女性の場合、お端折りで加減できることもあって、どれくらいにするかを違えることができます。
といっても、襦袢が見えるようでは、みっともないし、裾をするような長さも不便です。というわけで、実際には5cmか大きくみても10cm位の間の問題なのですが、意外と、気にされる方が多いようで。


まず、礼装を中心に着用されている方から多い指摘は「短すぎのでは?」というもの。床上がり5cm位が歩くのには便利で、普段着や街着には丁度良いのですが。
確かに礼装は床丈がよろしいです。後は踵がぴったり見えない丈で前は足首が見えずに前に出ている部分が見える位。
しっかし、これは歩き難いです。車で乗り付けるとか、現地で着替えてほとんど歩かないならいざしらず、電車にのって階段を上り下りするには向きません。

袴の丈も、卒業式などの礼装には踵が隠れる丈がおごそかでよろしいですが、普通に小紋や紬で街着に歩くには短い方が軽快に歩けます。

見事な訪問着や振袖に変わり結びでゴーカに着付けて、髪も美々しく結い上げた状態で、裾が短いと、やはり「むむ」と感じます。一方、小紋や大島、紬などは、短めに着てサッサと歩く姿の方が良いと感じます。

衿:
髪を結うようになってから、衣紋を抜く程度は大きくなったと言われています。昔はほとんど衣紋を抜きませんでした。今でも、男性は衣紋をぬきませんし、女性も袴姿の場合は、ほとんど抜きません。が、長着だと抜くんですよねぇ。
が、着付けが上手でない場合は、一生懸命ぬいても、着付け上がったときには、ほとんどなくなってたりして、結構「慣れ」の程度が見えてしまう場所だったりします。
着付け教室だと、「こぶしいくつ分」だとか、目安があるようですが、ばあちゃんに習う「お家流」の場合は、意外と「気分、気分」でいい加減だったりします。着る着物や着る用途によって、違うということなのでしょう。普段モノは余り抜かない傾向です。
帯下〜お端折下:
着付け本や、グラビア雑誌だと5cm位でしょうか。余りないようです。
でも、私がやると、うまくいきません。背が高いので、帯下から逆算すると、見た目として上すぎる位置にお端折りがきてしまいます。逆にお端折りの位置から逆算して帯を結ぶと、半幅では下過ぎ気分。袋帯や名古屋帯の開き仕立てで半分より多目に前を出すようにして結ぶと、まぁいい感じです。
でも、帯が広いと余り居心地はよくないんです。帯は細い方が楽。ってやると、お端折りの中に手を入れて着崩れ直しができちゃう位の幅が取れます。あんまし見た目の綺麗な着方ではないのですが、楽なので、街着以下をメインによくこう着ています。

写真は夏仕様。寝台車の中で着付けたので決して上出来な着付けではありませんが。
裾は歩く用に若干短め。
衿は余り、抜けてませんね。一方、前が空いているのは暑さ対策。正装でやってはいけませんな崩し状態。
お端折りはたっぷり10cmと長め。帯が3.5寸幅と若干細めだったし。

2004/12/12(日) コンサート
「チケット貰ったからいかない?」と友人からの誘いにお出かけ。
コンサートなので、久々に帯を上げました。
黒の友禅小紋に有職紋の帯です。上には紗のコート。
普通なら今時分はもっと厚手の方が似つかわしいのですが、昨今の陽気ではこれくらいでないと。黒は汚れやすいので、帯つきで出るのはちょっと気になるので。

コンサートはオペラのソロやデュエットのガラ・コンサート。
女性はオヒメ様ドレスで出てくるので、それも目の保養。
濃ピンクに黒のレースで裾を長く引くドレスなど、こういった広い舞台の上でなくては映えませんもの。

でも、コンサートといっても、皆の服装はマチマチ。いかにも普段着なジーパンにジャケットがいるかと思えば、それそれの格好の人もあり。日本の場合は、「正装コンサート」と位謳わなければ、そうそうドレスアップしたお客様には出会えません。

着物を着ていくならば、そういう意味でも何でもOKですね。
ウールのアンサンブルから紬、小紋、上は訪問着。滅多に手に入らないですが、厚手木綿の着物だってOK。

帰りにはプロントによって軽く祝杯。
クリスマス前のちょっといい気分でした。

2004/12/11(土) 当たり前と思うものが
先日のトリビアで「中世のフランスでは頭に帆船の模型を載せるのが流行った」が高得点を取っていた。ベルばら世代の私にとっては「そんなの、別に珍しくもない」と思うことなのだが、誰もがベルばらを読みふけっていたわけではない。そういう人にとっては、「そんなものまで頭に乗っけていたのか」とビックリだったようだ。同じ時代、帆船のほかに果物籠まで載せてたらしいけど、そこまでは出なかったようだ。

結構「みんな、そんなこと、知ってるよね」と思うことが、意外に知らなかったりする。
コンピュータのコマンドでも、苦心して探し出して「みんな、知ってたんだろうな、恥ずかしいゼ」なんて思ってたのが、誰も知らないことだったりもした。

また、「Aだ」と思うことが、別の場所で「B」だったりするのも、コトによっては衝撃だったりする。
生活習慣はお互いに「当たり前」と思っているだけに、相手のすることが「不適切!」と思う位に意外だったりする。
落ち着いて話せば、それぞれに由来のあることで、譲り合いなんかもできたりするのだが。

私にとって、その大きな期間「暮れ&正月」がやってくる。
家庭によってはスキー場だの海外だので過ごして伝統的な過ごし方をしない家も増えているようだが、我が家も夫の実家もそれなりの正月の迎え方、過ごし方を持っている家だった。地方だと割りと残っていそうに思うのだが、あの辺りでも、ここまできちんとしつらえるのは滅多になくなっているのだそうだ。
うちはうちで、都会の新興住宅地。当然、簡略化している家は多かった。
まさか、こんなことが大きな差異になってるなんて思わなかったから結婚したのだけど、私にとっては「ここは外国か」と思う程に習慣が違っていた。日本だから、どこでも同じ習慣だと思うのは、そりゃー間違いである。どっちが偉いとか「格が上」とかの話ではない、どっちもそれなりの伝統を持って引き継いできたものである。
問題は「違う」と判ってて、教えてくれればいいのだが、お互いに「程度の差こそあれ、大差はない」と思い込んでいるだけに、最初はそんなことはしなかった。

段々に話してきて、お互いの習慣の違いがわかって、折り合いがつくようになってきた。

大きな差は「正月には着物は着ない」だった。雪深い農村集落では着物を着て歩くなんて具の骨頂。
当然、初詣も防寒洋服。雪かきしてる筈なのに、5cmは埋まるような羽黒山に着物で行く奴はいない。御瀧神社の方は30cmは埋もれる中を行く。

「正月には着物を着るもの」だった私には大きな衝撃。
着物をきたことがない人が結婚して「正月 松の内はずっと着物で過ごすのですよ」と言われたのと同じ位の衝撃!

商人や武士のいた市街地はまた習慣が違うようだ。
市街のデパートに行くと「着物姿も少なくなりましたねぇ」と言い方になる。昔はいたらしい。2日の初荷に福袋を目当てに行くのもここに来てからの習慣。開店時間前に並ばないと手に入らないものもあるので、雪の中を立つにはやはり洋装で。

といっても家の中で着物を着ることまでは制限されなくなった。

もう一つが「元旦は寝正月」、この辺では大晦日の午前中まで普通に働く。門飾りも3時頃に立つ。「一夜飾りはいけない」と晦日までに立てなければいけない(実際は25日辺りに立てる)という街場の習慣とは異なる。そして、三が日は貴重な休養の日。寝正月は伝統的なものだった。また農家は今でもその年獲れた新米は食べない。それを元旦の夕食にだけ新米を食べる。収穫を感謝していただく。

そんなこんな、お互いに当たり前のことをひとつひとつ理解し、解消しながら、今がある。

お向かいの親戚の奥さん(茨城からきた)も正月には着物を着るので、着物仲間ができた。

2004/12/10(金) 着物は高い?
姫の友人が遊びに来ていた。
夕刻になって姫を塾に送っていくのに着替えているのをその友人は見ていた。
「いいなぁ、うち、着物は高いから、って買ってくれないんです」
「あら、この着物なんて5000円よ」昨日かってきたばかりの化繊の着物の糸を切りながら私は答えた。
「えーっ!そんな安いんですか?」
もっとも、長着だけで着られるわけではないので、「着物一式」となれば、結構かかるといえばかかるが。
といっても、親が想定しているような金額からは遥かに安い筈。

もっとも、親にとって面倒なのは「買う」ことだけでなく、「着せること」にもあるんじゃないかと思うけど、そのための「髪結い、着付け費用」なんて考えたら、ますますお財布が軽くなる。

子供って、案外と着物に憧れる。但し、子供向けの着付け教室だの体験教室だのって、まずない。
「お茶」だ「墨絵」だという体験も良いが、まずに「着物を着てみる」ではないだろうか。洋服だと、一見不要(いや、十分に不要)な立ち居の規則が、着物になると、必然になることがすぐに判る。

んで、その着物は七五三や成人式のようなゴーカな一式ではなく、小紋だとかウール、木綿の気軽なものから始めると良い。
着物が普段着だった頃、晴れ着は普段着の園延長にあった。多少は着物が重かったり、帯がきつかったりするが、その程度。
ところが今や、普段はTシャツ、短パンなのが、いきなり、袖も長く、ギシギシと梱包物のように巻き込まれて、初めて履く「草履」も鼻緒が擦れるし歩き難い。頭もイロイロ載ってて重い。
ここから入れば嫌いにもなろう。

でも、案外とこの作業に懲りているのは親だけで、子供は「又着たいなぁ」なんて思っていたりする。

また、「若菜会」開催しようかなぁ。お正月ってことで。

※若菜会: お姫さんと同学年程度を対象とした「着物、もしくは平安装束」を着て、半日ほど過ごす会。
先の花見の宴を見る通り、案外とむちゃくちゃである。

2004/12/09(木) 重ね着
パソコンのキーを打つ手が氷のように冷えてきたことで、実は寒いのだということに気づく。
この部屋には暖房器具はない。
「気づく」という位に自覚がないのは「重ね着」をしているから。
子供の頃、「寒いから」とセーターなどを着重ねると、腕が動き難くなり、嫌だったが、着物はそういうことがない。
普通なら1枚の長着を2枚、3枚と着重ねると暖かくなる。
「寒さには不得手」という化繊でも重ねると暖かい。

平安時代に始まる十二単も、元は中国式な衣装の衣類を「寒い」という理由から何枚も着重ねて、着崩れた形状だった。

今の着物につながる小袖も「十二単を真似て着重ねるようになった」というが、つまりが「寒かった」だけではないかと。
「木は暖かい」なんてのは、程度問題であって、京都の冬には、木さえも氷と同様に冷たい。「住居は夏をムネとすべし」なんて住居はメチャ寒かった筈。長袴も指貫も「裸足で床板を踏まないで済ませるため」だったに違いない。

今の時代劇でも、冬の場面のお殿様の衿元は何枚も着たような衿の重なりを見せる。
今は「比翼仕立て」といって衿や袖口、裾だけにそれっぽいものをつけるだけに変わったのは、会場が暖かいからだろう。

下に防寒下着を着たりするもの一つだが、着物を複数枚持っているならば、着重ねるのも、防寒の一つ。

京都に出かけた日のイデタチ。
長襦袢、袷の友禅、単の白鷹御召、紗のコート、そして袴。
更に、伊達衿つきなので、衿元はすごい襲ねの状態。
これで暑くなかったこの日、きっとメチャ寒かったのだと思う。

同行した娘は、短パン、フリースのスパッツ、チノパンツという重ね状態で暑いともなんとも言わなかったし。

2004/12/08(水) 冠婚葬祭のきまりは
着物の定義の中でも、比較的日本全国一定らしいのが葬式と結婚式。
といっても、どうも、あちこちで「そうではない」というローカル・ルールがあるらしい。
そうそう回数を踏んでいるわけでもないから、一般的な方が多いのか、ローカル・ルールの方が多いのかさっぱりわからない。

親族が多くて、婚も葬も比較的頻繁に行われている場合は「この間のダレソレの時はこうだったから」と判断がつくが、「この前葬式出したのは50年くらい前」なんて場合は、誰も、どうするか覚えていない。そういうことに煩そうな御仁はとっくに墓の中にいて聞きたくとも聞けないとか。

相手が会社関係とか友人関係だったりすると、もう聞くしかないが、聞かれた当人がどれほど服装ルールに通じているかもまた危なかったりする。

「着物を着ていくならコレコレ」だとか「着物を着ないといけない」とか「着物は着てはいけない」とかいやはや。

ある意味、男性っていいなと思う。結婚式なら黒のスーツに白のネクタイ。着物なら黒の紋付袴に白の羽織紐。葬式ならば、同じ黒のスーツに黒タイか黒紋付に黒の羽織紐(グレーだっけ?)
同じもの着て、タイや羽織紐が違うだけ。偉い人も下っぱも同じ。
なんで、女性の場合は結婚式と葬式は別な衣類でしかも「親族だったらxxx」「友人だったらxxx」と立場で着るものが変わる。

頼みの「冠婚葬祭マナーブック」も通り一遍のことを書いた上で「その場に応じて異なりますので、関係者に確認下さい」ときた。

そのために、いくつも持っています葬式対応衣類。
黒紋付は言うまでもなく、裾丈のワンピ、膝下丈のワンピ。
厳寒用に黒の三つ揃い、ツーピースと。黒のコートも。

黒紋付着たのは今年の春先の祖母の時。
後は父母のときになるでしょうか。殿の方の両親の葬儀も家族は着物だというので、このときも。計4回位ってとこでしょうか。

2004/12/07(火) 12月は南天
南天はお正月のものかと思ったら、12月なんですね。
京都の南天は既にまっかっか。

2004/12/06(月) 酉の市
行田の酉の市は、この近辺でも一番最後にある。普通11月内なのだが、いつも12月の最初の頃にある。
「酉の市だから」と殿はいつもよりも早く帰還。
どういうわけか「後半ないから迎えにきて」と塾にいるお姫さんからもTel。
というわけで、お姫さんを迎えに行って酉の市に直行。
参道のほとんどないこの神社は行田市街中心を走る国道125号線を通行止めにして行われる。
すぐ裏は通れるし、バイパスもあるので、問題ないらしい。
屋台は食べ物やがやたら多い。夏と違うので、かき氷やジュースの屋台はない。たこ焼き、いか焼、たい焼、から揚げ、お好み焼き、じゃがバタ、がかわるがわる表れ、その間に牛串屋、あゆ塩焼、クレープ屋、べっこう飴などが並ぶ。最近のべっこう飴はその場では作らず、出来上がりを売る。ちょっとつまらない。
さて、まずはお参りなのだが、神社の境内からはみ出した行列!ひぇ〜! しかたがないので並ぶ。いつもは芯から冷えるような寒さだが、今年はやはり暖かい。袷の着物を着流しで済む。

酉の市の主役はやはり福くまで。店舗や中小企業は次々と大きな熊手を買っていく。
我が家は今年はシンプルに神社のを買う。

おみくじは伏見大社と同じく、「待ち人来る」「縁あり」と好調に転ずるご託宣。

これで今年の神事は終わり。あとはクリスマスだ。

2004/12/05(日) ドルパ12
前日が雨天でドキドキ。天気予報が「明け方までは雨」と言っていたので、出かける頃には晴れるだろうと、期待。
期待通りに家の上は晴天。ほぼ無風。が、駅に行く途中の車の窓から見えた東京方面の空は、おどろおどろしい雲が渦巻く。
「あっち、雨降っていないよね」と。先ほど見たばかりの天気図を疑いたくなる。

予定よりもちょっと早めに駅に着くと、「次の湘南新宿ラインは運休します」と。今日は上野行きなので、問題ないが、東海道線で何か事故でもあったのだろうか?
などと思いながら、一本早い上野行きに乗ると、前の湘南新宿ラインの運休分、人が乗っていて座れなかった。ブツブツ。
大宮に近づくと、「強風のため埼京線、湘南新宿ラインは間引き運転」の旨、アナウンスがあった。同様に京浜東北線にも遅れがあると。赤羽で乗り換える予定だったが、そのまま上野に行くことに変更。
今日は友達との待ち合わせは東京駅。相方は総武線か京葉線で出てくる筈だが、どちらも遅れている旨の駅アナウンスが入る。
いつもならばゾロゾロと出てくる京葉線の通路から出てくる人はほとんどいない。遅延どころかほぼ運休状態のようだ。
それに起因するのか相方は30分経っても来ない。
先に行こうとバス乗り場に行き、バスに乗ったところで携帯が鳴る。向こうは携帯を持っていないので秋葉原に着いたところで電話をしてきた次第。行きかたを教えて後から来るように伝える。

合流して判ったことには、やはり総武線は「風待ち」でほとんど動かなかったらしい。より海沿いを走る京葉線はましてのこと。

そしてドルパ。サイトには「朝7時に行列の抽選をします」なんて書いてあったので、コミケ並の人ごみを想定して11時に入ったが、西2のスペース1つのみで、しかも比較的空いていた。
(といっても、相方にすれば「人ごみで疲れた〜」と)
限定ドールも別行列を作る程だから、何もなかろうと思っていたけど、残っていた。
といっても最後の1体だった『黒衣の巫女 ピレーゼ・クロティール』をゲットする。SDでなく27cmドール。限定SDも残っていたが、SDは大きい上に高すぎる。素体で1万8千円、カスタムで3万近くする。別途男性素体の27cmもゲット。1500円。メチャ安!

そして、ピレーゼはあっという間に、一般ディーラーが売っていた白小袖&緋袴に着替えさせられてしまった。黒髪ロングのピレーゼには普通の巫女さん装束が似合う!
って、平安装束を着せようと思うのだけど、白小袖や袴って結構面倒臭いので、購入してまったというわけ。

そして、それを腕にチョンと乗せて会場を歩く。SDをこういう風に乗せている人がいる。ドルパならではの風景。
顔の作りも髪型も衣装も皆すばらしい。
和裁士が正絹で作った着物、舞台の衣装さんが作った衣装、ゴスロリやカントリー、お姫様、ポップ・カジュアルと様々。
家具や食器、武器といったものも売られている。

「昨年は十二単も売ってたわよ」というが、今年はなかった。狩衣を売っている店が数軒。が、休憩コーナーにすっごい綺麗な装束の男女ペアのSDがいた。今年は店出ししなかったみたいね。

そして、白雪ママのお店に行く。さくらもちの実物と初対面。
よいこよいこ。びっくりしたのがゆうさん。まるで本人がお人形みたいだった。ゆうさんの作ったドレスは残念ながら完売。さすが有名売れっ子ね。
白雪ママは赤っぽいのに水玉の先染め織物の着物。お昼には一緒にお食事。ここは着物談義。

さぁて、来年は十二単で参加しようか!

12月絵日記の続き


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