優妃 讃良の着物についておもうこと
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2004/12/09(木) 重ね着
パソコンのキーを打つ手が氷のように冷えてきたことで、実は寒いのだということに気づく。
この部屋には暖房器具はない。
「気づく」という位に自覚がないのは「重ね着」をしているから。
子供の頃、「寒いから」とセーターなどを着重ねると、腕が動き難くなり、嫌だったが、着物はそういうことがない。
普通なら1枚の長着を2枚、3枚と着重ねると暖かくなる。
「寒さには不得手」という化繊でも重ねると暖かい。

平安時代に始まる十二単も、元は中国式な衣装の衣類を「寒い」という理由から何枚も着重ねて、着崩れた形状だった。

今の着物につながる小袖も「十二単を真似て着重ねるようになった」というが、つまりが「寒かった」だけではないかと。
「木は暖かい」なんてのは、程度問題であって、京都の冬には、木さえも氷と同様に冷たい。「住居は夏をムネとすべし」なんて住居はメチャ寒かった筈。長袴も指貫も「裸足で床板を踏まないで済ませるため」だったに違いない。

今の時代劇でも、冬の場面のお殿様の衿元は何枚も着たような衿の重なりを見せる。
今は「比翼仕立て」といって衿や袖口、裾だけにそれっぽいものをつけるだけに変わったのは、会場が暖かいからだろう。

下に防寒下着を着たりするもの一つだが、着物を複数枚持っているならば、着重ねるのも、防寒の一つ。

京都に出かけた日のイデタチ。
長襦袢、袷の友禅、単の白鷹御召、紗のコート、そして袴。
更に、伊達衿つきなので、衿元はすごい襲ねの状態。
これで暑くなかったこの日、きっとメチャ寒かったのだと思う。

同行した娘は、短パン、フリースのスパッツ、チノパンツという重ね状態で暑いともなんとも言わなかったし。


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