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2003/09/19(金)
親族とは −兄弟はアテになるのか −
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田舎においては、本家をトップとするピラミッド構造はまだまだ健全に機能しているところがある。 冠婚葬祭やら跡継ぎ問題、婚姻といったものが「親族会議」で決まる。 昔ほどは独善的ではなくなり、親族間に迷惑の及ばないという範囲において寛容な対応をするようだ。
たとえば、恋愛結婚の相手の男が結婚を前に遠隔地に転勤になることになった。なぜかここで結婚をこのまま進めるかを決めるのが親族会議だったりする。一時は「そんな男は止めた方が良い」と迄話は進む。しかし、結局、当人同士がよければとなった。
子供のいない家の財産を誰に引き継がせるかもここで決まる。 養子縁組するなどで親族の中から跡継ぎを割り当てて継がせる。 優妃の親族には、このパターンが結構ある。さしたる財産では ないが、零細企業にとって、なけなしの財産の散逸は危機。 わけのわからない配偶者の縁者などに渡って二束三文で処分だれてはたまらないから。
似たような考え方で「子供は一人っ子よりも兄弟が居たほうが良い」と思っている人間は多い。なんとなれば、「兄弟でしか話し合えないもの、負えないものがあるから」だという。 優妃は一人っ子。最初から兄弟がいないので、いたらよかったと思うことはない。知人の例を見れば、兄弟がいたって、あてになるとは限らん奴もいる。なまじ兄弟で、それなりに責任があるんじゃないかと思うだけに腹の立つことおびただしい。 「兄弟でしか話せないこと、頼めないこと」をどうするか? 私の場合は、赤の他人でそういうことが可能な相手を求める。 愚痴を聞きあう相手あり、子供の面倒をみてくれる相手あり。 およそ、こちらから見て「兄弟にしか話せない」ことについては、ちゃんと相手がいる。従兄だったり、赤の他人だったり。
実はうちの親族は綺麗なピラミッド構造をしていない。 母方は上が女2人、下が男3人の5人兄弟。今は亡き祖母を看取ったのは末っ子。末子相続みたいなものだ。 更に祖父には従妹がいて兄弟同然にしていた。この世代で一人っ子同士で他に身寄りがないというのも希少だ。 この祖父の従妹は単なる伯母的存在を超えたつきあいをした。 中でもうちの母は娘同然の扱いで、引き続き私が孫同然。 実の祖母の方には母の姉の娘がべったりと孫どころか娘然とついた。こちらの葬儀の際に喪主やその兄弟をさしおいて孫が遺骨を運ぶという一般ならわしにはないことを実行した。
対する父方。優妃の父は長男。元は祖母と同居しており、弟夫婦が隣家に住んでいた。引っ越す長男一家に対して居残った次男夫婦は必然的に祖母の面倒をみるようになった。 実質、本家家長の座は次男の上に。ただし、性格的には次男の方が家長向きであった。そしてこの叔父と性格が同調するのが私。棟続きの隣家に住んでいたこともあり、親子に近いつきあいをしていた。性格的にも私は父よりもこの叔父の方に近い。 そして、叔父の娘息子よりも叔父に近い。 かくして父から叔父に移った家長権の継ぎ先は実質私状態。
傍から見れば複雑怪奇である。「親の面倒を見ない長男」「親より叔父と仲のよい娘」「母親をさしおいて祖母と睦む孫」「祖父の従妹という『大叔母』」単純ピラミッド構造からは理解できない構造である。 その中で、ちゃんと診るべき人も相談する相手もいる。
でも、単純ピラミッド構造の親族体制の中にいる人には見えないこともあるようだ。
今日はどちらの家の紋もしょいたくないから、おしるしの「水に橘」
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