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2004/11/11(木)
着物のきまりは
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着物の掲示板をまわって歩くと「xxに行くのにxxxを着て行って良いでしょうか?」とか「何を着ていくと良いでしょうか?」という話しがよく出てくる。 着付けの本などを見ると、時節とフォーマル度(行き先)によって、アレだコレだと書かれている。
冠婚葬祭やお茶の席の着物に関しては、それで問題がないようなのだが、問題は「観劇」「展覧会」「銀座でお買物」「お食事」「気楽な立席パーティ」「旅行」といった「おでかけ着」について。
もちろん、本にもアドバイスはあるが、祖母だの母親だのから「そういう場所なら、コレでしょ」ともっと格の上のものを指示されたりする。逆に「そんないいもの着ていく場所じゃない」とか(「着物を着ていくべきではない」というのは論外にしておく)。誰かのアドバイスとおりに着ていったとしても「行った先でまるで不適切なものを着てきたかのように見られた」という話しもある。
よく考えてみると、家の格とか伝統、習慣、土地の風習で、着るものにはキマリごとがあった。冠婚葬祭はかなり一定に近いようだが、「よそ行き」はかなり差があったのは当然である。 「一張羅を着ていく」といっても、家によってその程度には差があったのは当然で。(単に財力の差だけでなく、格とか土地の風習で、ナケナシでも無理することもあるらしい)
だいたい、洋服で見たって、銀座の某デパートに入ってくる人間を観察していれば、その洋服が千差万別であることがわかる。
気になるのは、結構多くの人が「自分の知っているキマリごとが唯一無二」を信じきって、人の衣類を間違いのように批難がましい目で見ること。 自分と異なる習慣の持ち主だと考えないのだろうかと思うと不思議、不思議。
「木綿の着物で歩くなんて」と思う人には、「木綿の着物しか着れない奴」と思ってくれれば良いし、「こんなとこに小紋で来るの?」と思う人は「小紋が普段着な奥様・お嬢様なのだ」と思ってくれれば良い。 少なくとも、行きずりの、そしてもう二度と会うことのない相手には、そう思ってくれた方がお互いに気持ちが良いと思う。
袴もねぇ、「なんで、卒業式でもないのに」という顔をして見ているのが沢山。「そういう習慣の人」と思ってくれれば良いのにと思う。会話すれば、それなりに納得してくれるのだから、聞かないでも「何か、そういう習慣の人なのだろう」と最初から考えて変な目で見ないでくれるといいのに。
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