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2006/08/11(金)
戦争の夏
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はい、大変です。80代の男性は生き残ってしまった人たちなんですよね。だから、ふるさとに戻って、いろいろあったと思うんです。自分はどんな目で見られているのか。しかも軍人恩給をもらい続けているんですよね。義父は 兵役年数がたらなかったとかで もらっていません。遺族年金をもらっている人もいるわけで、それで母屋をりっぱに建て直した人もいるそうで、いろいろ、陰口の世界がいっぱいあったらしいです。ただ、はっきりといえることは 戦争で死ぬかもしれないというリアルな体験をしたという事実があります。それが伝えられる最後のチャンスがこの数年なんですよね。天皇陛下は生き長らえました。身代わりに軍部が処刑されました。ある会社がありまして、部長クラスが悪いことをした時、社長はそのままで部長クラスが解雇されたとして、それで、国民は納得できるだろうか。悪いことをされた人たちは納得できるだろうか。できないと思います。そのことをタブーのようにマスコミではいさっさいふれられることはありません。昭和天皇のメモ、まるで、自分は悪くないといっているようなメモのような気がして ちょっと哀しい。君が代だって むりやり歌わされた人たちにとってはきくだけで 虫唾が走るだろうし、支配者が日本のお札になっているんだから たまらないと思います。いろんなことの上に2006年はあるのです。 今も、世界のどこかで戦争は続いています。子供たちにうそをついてもいいんだよと言い続けてきた この61年間。笠木さんの あの日の授業 、あの歌のあの日、あのときは真実である一瞬がリアルにあったんでしょうね。軍隊という名前じゃなかったらいいんじゃないのと自衛隊。憲法ってなんなんだろうか、あの日の授業のあの日・・・ 世の中にはいい人もいるし、悪い人もいる。ミクロネシアの人たちは当時、日本人の移民を歓迎したそうです。それまでの白人とは違い、貧しい人たちが 志を果たしていつの日にか帰らん といっしょうけんめい働いている姿をみたからだと、ある書物には書いてありました。でも悪い人もいました。「コドモ ウマレタ、ニホンノ イイナマエ ツケテクダサイ」「お、そうか、つけてやるよ。えーと、あ、そうだ 『下駄』 どうだ いいだろ」「アリガトゴザイマス、アリガトゴザイマス」こんな ことが事実としてたくさん、あったそうです。
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