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2006/07/16(日)
ハンセン病
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1984年に韓国のハンセン氏病の定着村にワークキャンプで、いった。むこうの大学生たちといっしょに 村の入り口の坂を舗装したのだ。当時はハンセン氏病だった。今はハンセン病という。日の丸のしみだと、明治政府は 隔離撲滅のための法をつくった。このことでこの病気に対する差別と迫害がはじまる。その法律が1996年までこの国に存在していたのだ。戦後の憲法制定、基本的人権の尊重などとうたったなかで、1996年まで この法律が生き残ったことに この国のダメさを想い知る。情けない国だ。その国に自分は住んでいる。1984年にもこの法が存在していたのだ。 そして2001年に 補償問題の裁判で 元患者たちが勝訴したのだ。長い時間が経っている。今 現在 ハンセン病は すぐ治せる病気になっている。それでもまだ、差別はあとを絶たない。 今日、勝訴した原告の方の講演会にいったのだ。 子供ができないように、断種させられ、できたら、中絶させて ホルマリンにつけて 標本として どこかに保管されているらしい。
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