ヨロコンデ ぶっちの日記でーす。
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2006/05/12(金) ない
近鉄ファンだった ぶっちは応援する野球チームがなくなってしまった。近鉄にいたメンバーがいる楽天やオリックスを応援すればという人もいるけれども やっぱりちがうんだよね。中村や岩隈、高村や磯部、北川とかがんばってるけれども 応援はしてるけれどなんかちがう。しかし今年 巨人戦の試合をテレビでよくみるようになった。今年の巨人はちょっといいんだよね、大スターがいない感じが新鮮なんだよね。キャプテンが小久保だし、そしてパウエルががんばってるし。パウエルは近鉄のピッチャーだった。あのヤクルトとの日本シリーズで投げて負けてた。そのパウエルが古田ヤクルトに勝った。「アノコロノ ワタシトハ チガイマース」といっていたらしい。なんかうれしい。また 調子をくずしてあの頃みたいにぼかすか打たれるんやろうけれど、それでもがんばってるパウエルがいる。ローズが巨人で活躍してもなんとも思わなかったけれど、パウエルが頑張ってるとちょっとなぜかうれしい。
 さて、今日は巨人VS西武。松坂が投げるという。テレビをつけた。探した。ない、ない、ない、ない、ない・・・・な、なんと 巨人戦の中継がないではないか。新聞の番組欄をみたら、ほんとうになかった。時代がかわったんだね。巨人戦のナイター中継がないなんて考えられなかったもんな。そうか、そうか。松坂でもだめなのか。そうか・・・
 なんかさびしい気もするが なんかうれしい気もしたりして。

 がんばれよ巨人、近鉄なんて ほとんど中継なしやったんやで。女優の吹石ちゃんのお父さんは 近鉄の選手やったんやで。けど、近鉄やから ほとんどねたにされへんけどな。これが巨人やったらいっつもいわれとったやろう。みんなしらんもん、吹石選手のこと知らんもん。がはは。

2006/05/11(木) ふるさとづくり賞
県が主催する賞で 活動レポートを 超特急でつくって出してみたのだ。たぶんだめだと思う。どうもこういうものって出してから、ああ書けばよかったということが多くて 自分がなさけない。
 そこで あとから気付いて書きたかったことを ここでちょっと書いておこう。それを元にして HPに活動指針としてアップしようと思う。

 ぶっちは45才、高齢者福祉施設に入居したり 利用したりしている人の息子かあるいは孫の世代だ。80歳の人にとっては35歳の時に生んだ子である。そのぶっちには22才の長男がいるから ちょうど まあ、子の世代ということになる。福祉現場の職員、しかも責任ある立場の人は 若いという傾向にある。それは資格社会だからだ。福祉の現場もどんどん様変わりし、新しい資格が出来たりする。そうしたら学校を出たまもない若者が資格者である確立が高くなる。しかし、見た目では年配者のほうが責任者だと思ってしまうことが多い。だから職場の人間関係に少しひずみがあるだろう。その中に高齢者たちがいるのだ。高齢者の生きてきた時代のことを若い職員は知らない。介護や福祉の専門知識は教えられても、その人の生きてきた時代のことをだれも教えない。まして核家族で育ってきたし、地域は崩壊しているしで・・・その中で本当に人間と人間として支えあったりできるんだろうか。そう考えてしまう。医者が患者を人間ではなく 物としてみていた時代が長く続いた。それが見直されて、人としての医療と近頃いわれて ずいぶんと変わったようだ。けれど、介護の現場は新しい分野。医療の歴史の長さからくらべたら、まだまだ時間のかかることだろう。
 そう考えたとき、外からの慰問者の役割が見えてきたような気がしている。若い職員と、入居者、利用者をつなぐことができるかもしれない。
 

  灰谷健次郎さんの詩
   あなたの知らないところにいろいろな人生がある
   あなたの人生がかけがえのないもののように
   あなたの知らない人生もまたかけがえがない
   人をあいするとは
   知らない人生を知ることだ

現代座のオルグをしている時 この詩にであった。そしてこの詩に影響を受けた。この詩の精神をしっかりふまえて 芝居屋らいぶ をつづければ きっと、若い職員と高齢者をつなぐことができる。
 戦争の時代のこと、軍隊のこと、写真一枚で結婚したこと、満州、南方、ブラジルまで 写真一枚で結婚していった人がいること、貧しい時代、教育がすべてだった時代のこと・・・講演などのようではなく、寸劇のように芝居化して 立体化して らいぶの中で提示することにより 心で理解してもらえるのではないか。そのことが ひじょうに大切なのではないか。現代とその時代とではあまりにも違いすぎる。でも、その時代を生きてきた人のかけがえのない人生をもっと知ろうとすることで すばらしい人間関係が気付かれるきっかけになるのではないか。そう 考え出している。
 高齢者と同世代の人が 民謡歌ったり、踊りをみせたりしても 本当のところ心を開いてはもらえないのではないだろうか。元気に外の世界で生きている人と ここで暮さざるを得ない人。そこには同情と哀れみが存在してしまうような気がしてしまう。でも息子の世代なら、まして孫の世代ならどうだろうか。そして 高齢者の生きてきた時代の歌を孫の世代がいっしょうけんめいうたったらどうだろうか。自分が80になって 施設に入ってたとして、元気にライブ活動を続けている80のお爺さんが慰問に来て、浜田省吾やかぐや姫、吉田拓郎や サザンオールスターズ、長渕剛などを歌ってくれても自分はうれしくない。それより、息子や孫の世代がうたってくれたらうれしいなって思う。まして自分は男だから、80になってもきっと男だから、若いぴちぴちした女の子が ミニスカートで「こんにちは、いっしょうけんめい歌います。よろしくお願いします」といって 「なごり雪」でも歌いだしたら すごくうれしい気がする。いっぺんに心を開いてしまうのだ。だから、後継者を育ててゆくことを考えないといけない。
 この国では時代によって 音楽が違いすぎる。現在テレビから流れてくるのは売るための音楽で NHKや一部の民放を除いては 高齢者が理解できる歌が流れることはない。それほどちがうのだ。80代の人がラップをどのようにきいているんだろうか。そして歌に対する想いはひとりひとりちがう。音楽家の岡田京子さんが 思い出の中に歌があるといっておられたけれど まさにそれを実感する。ましてテレビなどない時代、貧乏でレコードなんか買えなかった人がいた時代、ラジオさえなかった農家があった時代を生きてきた時代の人たちにとっての思い出の歌にはすごいものがあるだろう。
ある施設でリクエストがあった。「暗い日曜日」「コロッケの歌」など。音源を探したがなかなか見つからない。県立図書館にあった。それを仕込んで歌った。それで思った。この世代の人たちが生きている間に 残っている音源をかき集めて 行政サイドで データ−ベースにして 残しておくべきではないか。そして福祉の職員がそれを利用して日常の業務などにも使えるようにしておいたらすごいことだと。その世代の人たちが死んでしまったら、その子や孫にとってはただのゴミにしかすぎない。中古屋にもっていっても値段がつかないくらいだろう。だからどんどん捨てられる。それを捨てられる前に データ−にしておいておけば どれほど価値あるものか。そんなことを活動のなかで考え出している。
 ヨロコンデ 芝居屋らいぶ はそんな想いで続けている。

2006/05/10(水) 神童
「神童」という映画が今撮影中です。今日 高崎駅西口の商店街のアーケードの中でロケが行なわれた。閉館したオリオン座のとなりのテンポ2軒を 美術スタッフが八百屋と用品店に完璧に変身させてのロケ。高崎FCが協力して ここが選ばれました。プロデューサーはスマップの「シュート」や 「リンダ リンダ リンダ」をつくった人です。そのロケにエキストラで参加させてもらいました。時間があるのだから いろんなことをやってみたい。参加させもらえてほんまに楽しかった。こんなにもたくさんのスタッフのひとたちがいるのかと思うくらい たくさんいて やっぱり映画はすごいなって思った。レールの移動、簡易クレーン撮影、音響機材、照明、すごいすごいと心の中で いいながらその場にいたのです。映画のクレジットで 音響助手、照明助手、撮影助手、演出助手とかいっぱい名前が出てきます。その人たちみんなが撮影に参加してるんですよ。今日は 美術も衣装もメイクもきておられました。何度も何度もテストして そして本番。カチンコの音 生まれて初めて 生で聞きました。やっぱりいいな。ロケ弁食べて コーヒーをご馳走になって 映画のTシャツをもらいました。そして 今日きたエキストラの人たちと知り合えたことがうれしかった。また現場で会いたい。病み付きになりますよとみんな 何度もやっている人たちで、ほんまに うれしかった。
 ぶっちは お巡りさんに選ばれて 柄本明さんのすぐそばで出てきます。編集でカットされない限り 確実に。
 また、やろ。病み付きになりそう。家族が日記を読んでいないことがありがたい。読んでたら、働けということでしょう。でもぶっちにとっては仕事なのです。JOBですが

2006/05/09(火) 鬼んべ
今日は古巣へお手伝い。鬼んべ役です。「ゆきと鬼んべ」(くわしくは ぶっちの創造倉庫に 作品内容アップしてますからみてくださいね)また数回でこの役ともさよならだ。夏には違う人で稽古が始まる。俺はいないほうがいい。いないほうがお互いのため。ね、俺 今 楽だもん。金はないけど らくだもん。1998年の夏からやってきた役だから、この役と共に育ってきた歴史があるから さびしくないといえばうそにばる。ヒーローみたいにやっていた初期、強がりばっかりいって 本当はなにもできない、でもなんとか強くなりたいとする 泣虫鬼んべ まさに自分じゃないかとやっていた近頃。

 傷つけることをさけようとして
 傷つけないようにした
 そのことで もっと傷つけていることにも
 気付かないで

ああ、鬼んべよ ほんまに ありがとう。あと 何回かはわからないけど もう少しがんばるからね。俺でなくても 演出はなんとかするんだ。「おまえじゃなきゃ だめだ!」と 演出にいわれる役者になりたかったな。そういわれたら頑張れるけど、演出はそういわない。他の作品もどんどん ほかの人がやっている。
さあ、がんばろう おれじゃなきゃだめといってくれる人たちがいてくれる場を探して 旅を続けよう。

2006/05/05(金) 田んぼ
草を刈りました。草刈機で。叔父さんはトラクター。2枚の田んぼを耕しました。日に焼けました。
昼飯にスパゲッチーをつくりました。トマトソース味です。義父はもくもくと食べていました。「田んぼ、おつかれさん」とか「このトマト味はわしの口にあわん」とか 「ごちそうさま」とか なんかいってもらいたいけど いわないんだよな、この年頃の男たちは。でも、まあ、いいや。

2006/05/04(木) しんや 山に登る
生まれて4年と5ヶ月。しんや はじめて登山いたしました。赤城の長七郎山です。リックをしょって登りました。達人の叔父さんとぶっちと3人で登りました。頂上で 味噌汁を飲みました。
山はでかい、人間は小さい。そのことだけでもわかってもらいたい。ほんとうの強さを身につけるためにも 山に登ってもらいたい。
もしかしたら将来 エベレスト冬季単独登頂をしんやはするかもしれない。その第一歩が今日だった。よかった。ちゃんと頂上までいけて。途中でおんぶしないとだめかなと思ってたけど ちゃんと歩きました。えらいぞ しんや。

2006/05/02(火) くびになっちゃいました
今日 ラジオをきいていたら 4月の25日に録音したパチンコやさんのCMが流れました。「お、今日から放送だったな」しかし、よく聞くと声が違いました。違う人で撮り直してあったのでした。ショックでした。何がショックかというと、だれからも教えてもらっていないということ、そして知らずにラジオを聞いてしまったということ。しかも運転中だった。でも仕方ないこと。スポンサーさんが 違う人がいいといったんだろうし、そういうことって あるだろうし、でも連絡はほしかったな。メールでいいのに、
もらったギャラ たたき返してやる と、ラジオ局の前に立った、いや、だめだ、現金書留で 送ろう、郵便局へ。いや、まず調査だと、かわりに読んだ人に電話。そうか、そうか。そうか、そうか。
広告社の担当の方にも 力不足のわびのメール。そしたら返事を下さいました。そうか、そうか、そうか、そうか。撮り直しは 一部分聞き取りにくいのでとスポンサーさんから。でも別の人にというのは スポンサーさんからじゃないことがわかりました。それだけでもよかった。やっぱり自分で自分の道歩いてゆくしかないもんね。もらったギャラ、もらうわけにはいかん、こんな扱いをうけてこれで飯を食うわけにはいかん。あ、ちゃんと連絡をもらっていれば別だよ、誰も教えてくれなかったんだから。しかし、返すとまた大変。迷惑するひとがたくさんいる。だから 寄付することにした。そしてここに書いた以上のことはもうなにもない。『お天道様」のようにニコニコしていよう。そう、自分の力不足を恥じよう、それだけのこと。自分に力があったり、人間的に魅力があったり、花があったりしたらこんな扱いは受けなかったはず。こうなるのは自分に力がない証拠。人間扱いしてもらいたかったらまず自分が人にならなければいけない。まだまだ虫けらなんだ、だから連絡してもらえないんだ。そうだろ、虫けらに連絡する?そう、雑誌の写真のこともそうだしね、まだまだ虫けらなのだ。東京で BIG目指してバイトしながら頑張っている役者たちはこんな想い毎日当たり前のようにしているのだ。あ、昔 テレビ局で オーディション受けて 合格したけど、その夜に電話があって やっぱり背が低いので他の人になりました、申しわけありません と電話をもらったことがあったじゃないか。あ、でも電話もらったんだ、今回のは電話なしだもんな、落ち込むよ、あはは。おしまい、もうおしまい。広告社の方をぶっちは応援しています。なんか応援したくなるんです。がんばれMさん。よし、Mさんのためにも 人間にならないとね。自分を磨いて人間になって ちゃんと連絡もらえる人にならないとね。がんばろう!!!今回のことは ぶっちが悪い。力不足のぶっちが悪い。

2006/05/01(月) 誕生日
今日は栃木県で実行委員をやってくれた人の誕生日なのだ。もう ずいぶんと前になる。公演中止になりそうなところだったんだ。その人の笑顔に本当に支えられました。
 そうなんだ、いろんな人にさせられてやってこられたんだよな。 現代座のオルグの夢を今もよく見る。公演班が来る日なのに実行委員会さえ出来ていない夢。10年近く オルグしてたんだもんな。いろんな人たちに支えられてやってこられたんだから 今度はいろんな人たちを支えないと。がんばらんといかん。
 ほんまにがんばらんといかん。あ、肩の力を抜きながら。

いつも未来におびえ 人生を幻想の中に覆い隠す
ぎらぎらとあふれる豊かさの中で
むなしく時代は通り過ぎて行く
 いつまで続くのか あてのない旅
 いつまで続くのか あてのない旅   詩 木村快さん

内職の明細をもらいました。化粧品のサンプルは単価1円でした。初日、すぐにできちゃうよと 車の中ではじめて、結局 家にもって帰っても終わらなかったことがなつかしい。時給100円未満だったもんな。あの日に比べたら要領はよくなったけれど、まだまだ。でも なつかしい、あの日の車の中での作業。
 


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