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2006/05/23(火)
唱歌
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デイサービスで まず最初に「浦島太郎」 を歌ったら えらくうけた。けれどそのあとが今ひとつになってしまったのがショックだった。やっぱり唱歌にはかなわないのか。慰問活動をはじめる時、ある人に「年寄りには唱歌を歌っておけばいいのよ」といわれたことに反発して、歌謡ショー形式をはじめた。それが今、芝居屋らいぶになっている。まあ そりゃそうだよね。子供の頃 ラジオもテレビもなかったんだもんね。学校で先生から教わって みんなでいっしょに歌った歌だもんな。親から教えられたり、祖父母からだったり、すべて人から人で伝わった歌だもんな。そりゃ、忘れないよ。明治44年の歌、浦島太郎。このまま歌っても今の子供はよろこぶだろうか。よし、今度やってみよう。あ、おれ 保育園でおそわったり 歌ったりした歌がなんだったのか 思い出せない。小学校で何を歌っていたのかもわからない。校歌は覚えてる。そうかそうか。保育園や幼稚園の先生から教わった歌をその子が80才になっても歌ってたらいいな、ねえ 浪漫だよ。そんな浪漫にかけてみたらいいね。 いま 現場でがんばってる人たちがそんな浪漫を持ってたらいいね。俺は保育園の時の先生の名前いえない。小学校はいえる。そうかやっぱり人と人だよね。 浦島があまりにもうけたので 最後に玉手箱をあけるところまで歌った。そして 浦島太郎になってあいさつした。お、いける これはあたらしいわざ。職員の人が 民謡をといってくれたので うるおぼえながら 黒田節 をうなった。酒のみながら よっぱらいなが 槍をふりまわすというのをやった。うけた いける。あたらしい わざ。そうか 芝居屋らいぶ なんだ。そうか そうか。
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