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2006/05/16(火)
さよなら 鬼んべ
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今日 最後の鬼んべでした。1998年の夏から今日までずっとやってきた役でした。今日が最後。次からは違うだれかがやるでしょう。けれど、薄っぺらな鬼んべになるでしょう。ぶっちも最初は薄っぺらでした。でも子ども達に育てられて 弱虫 泣虫 鬼んべになれました。「強いんじゃない。弱虫が強くなろうとしてもがいている姿に子どもたちは共感するんだよ、だってみんなそうなんだから」師匠の言葉です。今、師匠のところは大変です。でも、「やめるなよ」とは 師匠はいいませんでした。そうです。やるかやらないかを決めるのは自分なんだから。自分できめた奴だけが、本物として子どもの前にたてるんだから。ぶっちはやらないと自分で決めたんです。遠ざかりたいと師匠にいったんです。出来る限り遠ざかりたいというぶっちの想いを察してくださいとまでいったんです。でも、師匠のところが大変だと知ったら揺れるのです、揺らぐのです。あほですね。「しばらく休んで また戻ってくればいい。時が解決してくれるよ」と師匠の言葉。「こっちが大人になればいいのよ。そういう生き方しかできない人もいるんだから。期待したあんたがあほなの。最初からわかってたことでしょ」これは嫁ハンの言葉。「あんたみたいなこといってたら どこいったってやっていけないよ」「その生き方 かっこいいと思うけど、世の中うまく表と裏を使いわけてやっていかないと。まあ、あなたには運がない、私にはあったということ」だれかがいった いろんな言葉がぶっちのまわりでゆらゆらゆれています。それを消し去るためにも、お天道さまみたいにニコニコするためにも 遠ざかる道をえらんだのだから。そう、ぶっちはぶっちを失うために生きてきたんじゃないから。 「どこでもやっていけないのなら やっていかないよ、自分でいきてゆくよ」「運がないことを知れたことは ほんとうに運がよかったんだと思えるよ」
鬼んべよごめんな。だから最後になってしまいました。ほんまにごめんな。 あ、最後じゃない。そうか、自分で役者集めて やればいいんだよな。ちゃんと筋を通してやればいいんだよな。そうだよ、鬼んべ。そんなこともできるよ。ニコニコや。 真っ直ぐ生きていけば きっと 真っ直ぐな仲間ができたりするやろう。そしたらその仲間と やればいいやんか。子どもたちのためにやればいいやんか。ね、そうやろ鬼んべ それまで お休みや。タイトルとちがってしもたけれど
おやすみ 鬼んべ
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