ヨロコンデ ぶっちの日記でーす。
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2006/05/11(木) ふるさとづくり賞
県が主催する賞で 活動レポートを 超特急でつくって出してみたのだ。たぶんだめだと思う。どうもこういうものって出してから、ああ書けばよかったということが多くて 自分がなさけない。
 そこで あとから気付いて書きたかったことを ここでちょっと書いておこう。それを元にして HPに活動指針としてアップしようと思う。

 ぶっちは45才、高齢者福祉施設に入居したり 利用したりしている人の息子かあるいは孫の世代だ。80歳の人にとっては35歳の時に生んだ子である。そのぶっちには22才の長男がいるから ちょうど まあ、子の世代ということになる。福祉現場の職員、しかも責任ある立場の人は 若いという傾向にある。それは資格社会だからだ。福祉の現場もどんどん様変わりし、新しい資格が出来たりする。そうしたら学校を出たまもない若者が資格者である確立が高くなる。しかし、見た目では年配者のほうが責任者だと思ってしまうことが多い。だから職場の人間関係に少しひずみがあるだろう。その中に高齢者たちがいるのだ。高齢者の生きてきた時代のことを若い職員は知らない。介護や福祉の専門知識は教えられても、その人の生きてきた時代のことをだれも教えない。まして核家族で育ってきたし、地域は崩壊しているしで・・・その中で本当に人間と人間として支えあったりできるんだろうか。そう考えてしまう。医者が患者を人間ではなく 物としてみていた時代が長く続いた。それが見直されて、人としての医療と近頃いわれて ずいぶんと変わったようだ。けれど、介護の現場は新しい分野。医療の歴史の長さからくらべたら、まだまだ時間のかかることだろう。
 そう考えたとき、外からの慰問者の役割が見えてきたような気がしている。若い職員と、入居者、利用者をつなぐことができるかもしれない。
 

  灰谷健次郎さんの詩
   あなたの知らないところにいろいろな人生がある
   あなたの人生がかけがえのないもののように
   あなたの知らない人生もまたかけがえがない
   人をあいするとは
   知らない人生を知ることだ

現代座のオルグをしている時 この詩にであった。そしてこの詩に影響を受けた。この詩の精神をしっかりふまえて 芝居屋らいぶ をつづければ きっと、若い職員と高齢者をつなぐことができる。
 戦争の時代のこと、軍隊のこと、写真一枚で結婚したこと、満州、南方、ブラジルまで 写真一枚で結婚していった人がいること、貧しい時代、教育がすべてだった時代のこと・・・講演などのようではなく、寸劇のように芝居化して 立体化して らいぶの中で提示することにより 心で理解してもらえるのではないか。そのことが ひじょうに大切なのではないか。現代とその時代とではあまりにも違いすぎる。でも、その時代を生きてきた人のかけがえのない人生をもっと知ろうとすることで すばらしい人間関係が気付かれるきっかけになるのではないか。そう 考え出している。
 高齢者と同世代の人が 民謡歌ったり、踊りをみせたりしても 本当のところ心を開いてはもらえないのではないだろうか。元気に外の世界で生きている人と ここで暮さざるを得ない人。そこには同情と哀れみが存在してしまうような気がしてしまう。でも息子の世代なら、まして孫の世代ならどうだろうか。そして 高齢者の生きてきた時代の歌を孫の世代がいっしょうけんめいうたったらどうだろうか。自分が80になって 施設に入ってたとして、元気にライブ活動を続けている80のお爺さんが慰問に来て、浜田省吾やかぐや姫、吉田拓郎や サザンオールスターズ、長渕剛などを歌ってくれても自分はうれしくない。それより、息子や孫の世代がうたってくれたらうれしいなって思う。まして自分は男だから、80になってもきっと男だから、若いぴちぴちした女の子が ミニスカートで「こんにちは、いっしょうけんめい歌います。よろしくお願いします」といって 「なごり雪」でも歌いだしたら すごくうれしい気がする。いっぺんに心を開いてしまうのだ。だから、後継者を育ててゆくことを考えないといけない。
 この国では時代によって 音楽が違いすぎる。現在テレビから流れてくるのは売るための音楽で NHKや一部の民放を除いては 高齢者が理解できる歌が流れることはない。それほどちがうのだ。80代の人がラップをどのようにきいているんだろうか。そして歌に対する想いはひとりひとりちがう。音楽家の岡田京子さんが 思い出の中に歌があるといっておられたけれど まさにそれを実感する。ましてテレビなどない時代、貧乏でレコードなんか買えなかった人がいた時代、ラジオさえなかった農家があった時代を生きてきた時代の人たちにとっての思い出の歌にはすごいものがあるだろう。
ある施設でリクエストがあった。「暗い日曜日」「コロッケの歌」など。音源を探したがなかなか見つからない。県立図書館にあった。それを仕込んで歌った。それで思った。この世代の人たちが生きている間に 残っている音源をかき集めて 行政サイドで データ−ベースにして 残しておくべきではないか。そして福祉の職員がそれを利用して日常の業務などにも使えるようにしておいたらすごいことだと。その世代の人たちが死んでしまったら、その子や孫にとってはただのゴミにしかすぎない。中古屋にもっていっても値段がつかないくらいだろう。だからどんどん捨てられる。それを捨てられる前に データ−にしておいておけば どれほど価値あるものか。そんなことを活動のなかで考え出している。
 ヨロコンデ 芝居屋らいぶ はそんな想いで続けている。


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