ヨロコンデ ぶっちの日記でーす。
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最新の絵日記ダイジェスト
2006/09/05 みなさん どうも。
2006/08/29 あほや!
2006/08/27 ホリデーイン前橋
2006/08/20 グループホーム
2006/08/18 初振込み!

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2006/05/31(水) 5月が終わる
さあ、5月が終わる。がんばらんと。4月に比べてらいぶの数が少ない。これは助成金申請の書類をいっしょうけんめいつくるために 減らしたことと、群馬町まで内職の仕事をとりに行かなくなったことが原因だ。連休明けたらいこうと思っていたんやけど、書類つくらなあかんなとか思って。そしたら5月が終わってしもた。まあ、締め切りとかくならんとやらんくせしてあかんたれやで。ちゃんと時間の管理ができるようにならんと ほんまあかんで!!しっかりせえよ。ぼさーとネットでいろいろみてるのやめにして 箱を1日2時間つくったらどないや。書類作るといったって ほんまに間近にならんとやらんかったやろ。それとな、1日1回の畑の見回りはどないしたんや。ちゃんとやっとったら あそこまで虫にやられへんで。それとな、最近、豚小屋のことを全然ふれへんけど、完成したんか?屋根も全部やったんか?いろいろ中途半端やろ、あかんで、しっかりせな。1日はあっというまに終わるで。しっかりでけへんねやったら ちゃんと就職しなさい。お金稼ぎなさい。そうやろ、4歳の子どもがおるんやで、長男の結婚話でも ふってわいてきたら 相手の女の子の父親に殴られてしまうで。そうか、いややったら、いろんなとこに顔だして頭下げてでも 仕事つくっていかんとあかんで。時間はあっというまにながれるで。ほら、また何みてんねん。そんなんみてんと 歌の練習し、ギターの練習し、もっともっと うまくなりなさい。教えられるくらいになりなさい。「ゴーシュ」はがむしゃらやったんやで。せやからうまくなったにゃで。忘れたらあかんで。

自分で自分に叱咤しました。まだ、単身赴任です。保育所では母の日と言わずに家族の日というそうです。今、いろいろあるからだろうと思います。それで家族の顔をみんなして書いたようです。そしたらしんやは女の人1人と それよりちょっと小さい女の人ふたりと大きな男の人ひとりと それより小さな男の人ふたり、そして目玉も眉も髪もない人 ひとりを書きました。それを見てしんやに聞きました。そしたら大きな女の人は「おかあさん」あと二人の女の人は長男の前の彼女と今の彼女でした。大きな男の人がおとうさんなんだろうと思って聞くと なんと長男でした。そして小さな男の人ふたりが「しんやとね、おとうさん」といいました。おとうさんはしんやと大きさがほとんどかわりませんでした。すごいもんだ。1月5日から母の日まで、いつもいないお父さんは小さかった。責任を感じます。いなければいない分だけ かかわらなくちゃいけないのに それを怠っていた自分が確かにいます。ごめんなしんや。来年の母の日にはおとうさんも 大きくかいてもらえるようにがんばるよ。あと、輪郭だけの人はだれ?ときいたら「わからない」と答えました。いつも家族に寄り添ってくれている きっとご先祖たちの霊魂なのかもしれないと思いました。俺たちには見えないけれど しんやには見えるんだなって思います。
俺の親父の父方と母方 俺のお袋の父方と母方
女房の親父の父方と母方 女房のお袋の父方と母方

その4通りのそのまた上があって 俺にもわからない。でも、たくさんのご先祖たちのその末端に自分もいて しんやもいるんだ。そんなことを しんやの家族の絵をみて思った。

さあ、やれるだけ はちゃめちゃにやらんかい。同じ収入なしなら めちゃくちゃがんばってなしのほうがいい。どんどん持ち出してでも出かけていかんと 種まきにもなれへんで!!!

2006/05/30(火) 日記
この日記をどれくらいの人たちが読んでるんだろうか。そんなことちょっと考えた。ヨロコンデのトップページから入れないようにしてある。ぶっちの活動の創造倉庫まで来て ようやく日記が出てくるようにした。だから読んでくれているひとは ほんとうにぶっちのことを心配してくれている人なんだ。そう思う。3月の修正で カウンターもなくした。一喜一憂したくないからだ。だれもきてくれないなとか考えるよりも もっと自然体でいいかなって。自分のためにどんどん更新してゆけばいいのだから。それが生きた証になるのだから。HPを置いている会社がつぶれない限り、残っていくのだ。そのつもりでやってゆこう。日記を読んでくれてるみなさん。ほんとうにほんとうにありがとう。よくここまで来てくださいました。感謝します。

2006/05/29(月) まいど〜お〜
今日、情報誌を配りながら 子どもの頃からよくテレビで見ていた 宮川左近ショーを思い出した。

まいど〜お〜
みなさま おなじみの〜

との オープニングソングで幕をあける 三味線とギターと歌い手の3人組み 浪曲ショー だ。

男同士で いたって色気はないけれど
熱と力で今日もまた
あ、しかりやりましょ時間まで
あ、あ、あ、あ、つとめ〜え〜ま〜あ〜あ〜しょ〜

途中がわからないけれど メロディーは憶えている。
今 やってる 芝居屋らいぶ は このラインなんだなって バイクで走りながら思った。俺の中に ある原点。だから ヨロコンデのテーマ なんかもつくったんだろうな。

明治生まれのばあちゃんと いっしょによく、漫才や藤山寛美や吉本をよく見たな。そうか、宮川左近ショー  

まいど〜〜
みなさまおなじみの
ちょいとでました私は
大阪生まれのヨロコンデ
芝居屋らいぶ 届けます〜
男 ひとりでいたって色気はないけれど
熱と力で今日もまた
あ、しかりやりましょ 時間まで
あ〜あ〜あ、つとめ〜え〜え〜ま〜あ〜あ〜しょ〜

よし、今度ためしに 歌ってみよう。

しんやがスイミングにいきたいといっているらしい。そうか、泳ぎたいのか。それで 明日までなら入会金の6000円が無料で 水着などのスイミング一式が無料でもらえるらしい。それで しんやママが あせって電話してきたのだ。週一回で月6000円くらいの月謝らしい。一回1時間。そうか、そうか。いくがよい。あ、俺もつきそってみよう。そして インストラクターの若い先生にドキドキしよう。なんてね。

さあ、もうすぐ5月も終わります。
夏に榛東村の地球屋さんで オリジナルソングのコンテストがあって それに応募しようと 夢有民さんと計画中です。作詞は彼、作曲は ぶっち。さあ、歌は誰が歌う?歌ってくれる人 募集中!!

2006/05/26(金) 情報誌宅配
先月から 情報誌の宅配を始めた。嶺町と金丸町。先月は車でやったのだが、それはそれはたいへんなことだった。一軒一軒の間隔が広く、一軒ずつの敷地が広い。ポストまでたどりつくのが大変なのだ。とにかく前橋全戸配布を掲げている情報誌なので、ひとり暮らしの85歳のおじいちゃんの家のポストにも拒否されない限り配布しなければならない。車を敷地内まで乗り入れるのは失礼だろうから 道路に車を停めて、そこからポストまで歩く。そのポストが母屋の玄関のそばにしかない可能性が大なので そうとうの距離がある。その地域のだれもやりたがらないのがわかる気がした。ガソリン代自分持ちだもん。割りがあわないと考えるだろうしね。
 今月は先月の反省にたって、叔父さんが修理した、ホンダのモンキー(50CC)というバイクを借りてやることにした。郵便屋さん、新聞屋さん方式の導入だ。久しぶりの50CCバイク。18歳の時、大阪で50CCの免許をとって、兄貴のダックス借りて 予備校に通っていた。そのダックスより小さいのがモンキーだ。叔父さんは自動車整備士だったのです。今、ダットサン1000を修理中。今度写真をアップしますから お楽しみに。
 ぶっちはバイクで何度も免停になっている。昔、スクータータイプのバイクの足元にギターをはさんでいろんなところを走っていた。その頃を思い出す。
 国道353を西へ、風の中を走る。時速40キロくらいしか出ない。大型ダンプがすぐ横を走っている。こわい。でも現地につくと やっぱり便利や。早い、新聞屋さんもきっと ポストのそばまで乗り入れているんやろな。そうか、そうか。あ、もしもの時は歩道も使える。お、これはいいぞ、これはいい。二度目ともなると やっぱり道を覚えているもんやな。順調、順調。
 無事、金丸町修了。1時出発、5時15分帰宅でした。127冊。
あとは 嶺町と田口町。がんばろう。この情報誌にぶっちのことがひとことでも書いてあればうれしいんやけど、まだまだ未熟モンやから、これからです。
 4月に締め切られている ホリデーイン前橋。もし、許されるのなら、子どもたちのために即興歌らいぶを会場のいろんなところに出没して やらせてもらえないかと 勇気をもって電話で問い合わせてみた。担当の方が不在なので 後日返事を下さることになった。やれたらいいな。そうか、もっともっと いろんなところに顔だしていかないとな。
 「自分に知り合いが少なくても、自分の知り合いの知り合いとか いろいろ考えれば いろんなつてが出来るはずよ。幼稚園なんかの引き馬大会の司会とらいぶでコラボしたりしたらいいのよ。馬を待ってる間が長いから。園も子どもも馬を引く人もみんなよろこぶよ。あ、馬はどうかはわからないけど。がんばって!!」
励ましの電話をもらった。ありがたい。
 さあ、がんばろう!!
 今日の夕食が鳥のから揚げをつくりました。100円の小さなフライパンであげました。
 巨人のパウエルがロッテに打たれた。まるで近鉄時代を見ているような気がした。ほんの少しのことで ひとは崩れて行くもんなんだね。でも、ほんの少しのことで また元気になったりもするんだから。おもしろい。52才まであと7年、せいいっぱい、めいっぱい肩の力を抜きながら。

2006/05/25(木) 青虫、毛虫
一つ60円で買ったキャベツの苗、順調に育っているのだけど、穴だらけなのです。「毎日、見なきゃだめ」と叔母さんにしかられ、ようやく毎日 チェックするようになった。つまり、毎日 青虫 毛虫を発見し、殺生をしている。以前は「あ、チョウチョだ」などとよろこんでいたが、近頃は ちょうちょがキャベツのあたりをひらひら待っているだけで 「あ、卵 産むなよ!」と思うようになった。
 無農薬だからおいしいのだろう。
 完全 無農薬なのだ。しかし、こんなに穴だらけでは商品価値なしといわれる時代。でも自分たちが食べる分だから 見た目は気にしない。無農薬でいく。だって農薬だって お金かかるもんね。
 青虫くん、負けへんで。
 あ、青虫 ビンにとって スーパーで買ってきたキャベツをえさとしてあげて育ててみるかな。

2006/05/23(火) 唱歌
デイサービスで まず最初に「浦島太郎」 を歌ったら えらくうけた。けれどそのあとが今ひとつになってしまったのがショックだった。やっぱり唱歌にはかなわないのか。慰問活動をはじめる時、ある人に「年寄りには唱歌を歌っておけばいいのよ」といわれたことに反発して、歌謡ショー形式をはじめた。それが今、芝居屋らいぶになっている。まあ そりゃそうだよね。子供の頃 ラジオもテレビもなかったんだもんね。学校で先生から教わって みんなでいっしょに歌った歌だもんな。親から教えられたり、祖父母からだったり、すべて人から人で伝わった歌だもんな。そりゃ、忘れないよ。明治44年の歌、浦島太郎。このまま歌っても今の子供はよろこぶだろうか。よし、今度やってみよう。あ、おれ 保育園でおそわったり 歌ったりした歌がなんだったのか 思い出せない。小学校で何を歌っていたのかもわからない。校歌は覚えてる。そうかそうか。保育園や幼稚園の先生から教わった歌をその子が80才になっても歌ってたらいいな、ねえ 浪漫だよ。そんな浪漫にかけてみたらいいね。 いま 現場でがんばってる人たちがそんな浪漫を持ってたらいいね。俺は保育園の時の先生の名前いえない。小学校はいえる。そうかやっぱり人と人だよね。 浦島があまりにもうけたので 最後に玉手箱をあけるところまで歌った。そして 浦島太郎になってあいさつした。お、いける これはあたらしいわざ。職員の人が 民謡をといってくれたので うるおぼえながら 黒田節 をうなった。酒のみながら よっぱらいなが 槍をふりまわすというのをやった。うけた いける。あたらしい わざ。そうか 芝居屋らいぶ なんだ。そうか そうか。

2006/05/22(月) 電化上手
宮城の家はオール電化にした。契約は電化上手。時計がついていて 時間帯によって値段がちがうのだ。朝七時から十時 十時から夕方五時 五時から十一時 そして十一時から朝の七時 に別れている。深夜は七円で普通の半額以下。しかし朝と夕方は20円と 五円高い。そして昼間は25円と十円高く 夏には30円と倍になるのだ。これは大変なことなのだ。クーラーでも昼間に使えば 倍かかる。給湯器が深夜に湯を湧かすので すごく特なのだけど その他は高いのだ。ちゃんと調べないといかんかった。そうきせんな仕組みだったんだとわかってから 深夜に活動することになった。でも 深夜は電気を消して眠ってしまうのがいちばん電気を使わないのが 一番安い。

2006/05/16(火) さよなら 鬼んべ
今日 最後の鬼んべでした。1998年の夏から今日までずっとやってきた役でした。今日が最後。次からは違うだれかがやるでしょう。けれど、薄っぺらな鬼んべになるでしょう。ぶっちも最初は薄っぺらでした。でも子ども達に育てられて 弱虫 泣虫 鬼んべになれました。「強いんじゃない。弱虫が強くなろうとしてもがいている姿に子どもたちは共感するんだよ、だってみんなそうなんだから」師匠の言葉です。今、師匠のところは大変です。でも、「やめるなよ」とは 師匠はいいませんでした。そうです。やるかやらないかを決めるのは自分なんだから。自分できめた奴だけが、本物として子どもの前にたてるんだから。ぶっちはやらないと自分で決めたんです。遠ざかりたいと師匠にいったんです。出来る限り遠ざかりたいというぶっちの想いを察してくださいとまでいったんです。でも、師匠のところが大変だと知ったら揺れるのです、揺らぐのです。あほですね。「しばらく休んで また戻ってくればいい。時が解決してくれるよ」と師匠の言葉。「こっちが大人になればいいのよ。そういう生き方しかできない人もいるんだから。期待したあんたがあほなの。最初からわかってたことでしょ」これは嫁ハンの言葉。「あんたみたいなこといってたら どこいったってやっていけないよ」「その生き方 かっこいいと思うけど、世の中うまく表と裏を使いわけてやっていかないと。まあ、あなたには運がない、私にはあったということ」だれかがいった いろんな言葉がぶっちのまわりでゆらゆらゆれています。それを消し去るためにも、お天道さまみたいにニコニコするためにも 遠ざかる道をえらんだのだから。そう、ぶっちはぶっちを失うために生きてきたんじゃないから。
「どこでもやっていけないのなら やっていかないよ、自分でいきてゆくよ」「運がないことを知れたことは ほんとうに運がよかったんだと思えるよ」 

 鬼んべよごめんな。だから最後になってしまいました。ほんまにごめんな。
 あ、最後じゃない。そうか、自分で役者集めて やればいいんだよな。ちゃんと筋を通してやればいいんだよな。そうだよ、鬼んべ。そんなこともできるよ。ニコニコや。
 真っ直ぐ生きていけば きっと 真っ直ぐな仲間ができたりするやろう。そしたらその仲間と やればいいやんか。子どもたちのためにやればいいやんか。ね、そうやろ鬼んべ それまで お休みや。タイトルとちがってしもたけれど

 おやすみ 鬼んべ

2006/05/15(月) 不思議なもんだ
以前、意見が対立して「あなたとはやれない」といわれた人と近頃話せるようになった。「なんでちゃんとそのときいわなかったのか」とおこってくれた。そうなんだ、守らなければいけないことを守ろうとしていた自分がいた。でも、守るべきものをまちがっていたんだと伝えた。「よくわかるといってくれた」
 いろいろあった。だれかを傷つけたこともあった。俺の携帯の伝言メモには異常なほどの怒りの声が今もちゃんと残ってる。でも俺も傷ついた。そのことは間違いない。でも傷ついてよかったと思う。いいたいことを少しでも伝えることができてよかったんだと思う。そのことによって自分の居場所が狭くなっても、そのほうがいいと思う。そういう生き方を選びたい。そう思う自分がたしかにいる。
 金に縁のない人生になるだろう。それでもいいではないか。それでも。いま、ちゃんと生きている、いきているやんか。両親のおかげ、兄夫婦のおかげ、家族のおかげ、親戚のおかげ、そして友人のおかげでちゃんといきているやんか。
 それでいいねん。それで。
 俺 師匠のことを悪くばかりいってた時期があった。それは師匠がある人をひいきしてた時期だ。でも。ひいきされていた人はあっさりとやめてしまった。なんやねん、あれほどひいきされていてあっさりと これかよ、って思った。ひいきもされないで いつもぼろくそいわれながら へたくそといわれながら それでもがんばってきた人が今 仕事を支えておる。そのこともまた見てきた。ひいきされておる人よ、たのむからそのひいきに応えて、本物になってください。そして本気になってください。頼みます、よろしくお願いします。
 遠ざかりたいとちゃんと伝えた日から、すごく楽になった。そしてもっともっとさみしくもなった。嫌いなものは嫌いとはっきり伝えてしまったし、そのことでまた居場所がせまくなったしね。それでいいんだ。それでいい。
 今、長野の宿屋の寝言といびき部屋で 師匠が酒に酔って熟睡しています。子供たちを裏切らない仕事をしてくだない。そう祈りながら 夜空を見上げた。

2006/05/13(土) サンルーム
昨日から ベランダのサンルーム工事が始まった。いや、風がものすごく強いのと、鳥がうんちをするんです。とりのほうが先住民だったからね。この蚕部屋が出来てから ずっと鳥は遊び場にしてたんだもんね。40年ちかくもだもんね。急に雰囲気がかわって鳥のほうがかわいそうに戸惑っているに違いない。風も、ただ強いだけじゃない、周りが土だからね。土ほこりを含んだ強い風なのです。だから 最初から他を削ってでも そうしておけばよかったやんけと またけんか。このリフォ−ムは なんやかんやいっても失敗やったんやな。とおもいしらされますが、1月からひとりで暮し始めたぶっちは愛着がどんどんわいています。不思議なモンです。それで サンルームにもOKを出しました。お金はもうだせません。俺がやったるわいというと 絶対いやといわれたので ここをリフォ−ムしてくれた方にまた頼みました。ほんまにいい人なんです。この人の奥さんもうちの嫁ハンと同じ職場なんですよ。その縁もあって 逃れられないと覚悟してくださっているみたいです。アルミサッシを入れました。白いアルミサッシ。そのために柱を立てて。屋根はアクリル波板のまま。隙間はコーキング剤で埋めるというプラン。ここをやってくれた大工さんが来てくれて 今日でほぼ完成。あとは月曜に仕上げ。ああ、ここまでやれば床がほしくなる。また、廃材があったらもらいたいな。そしたら自分で木の床にしちゃうんやけどなと ぶっちがいったら業者さんは笑っていた。そうなのだ。蚕室のリフォ−ムの床材のはぎれを全部とっておいてくれたので 豚小屋の6畳間に床が貼れたのだ。コンパネの上にだけどね。だからそれをすればいいんだ。あ、コンパネだけでも貼るかな。まあ、これで 鳥さんはベランダの中でうんちができなくなりました。でも、サッシのガラスにうんちをいっぱいすることでしょう。ごめんね 鳥さんたち。義父はあんなことしないほうがいいといった。「おとうさん、娘にやったんでしょ、あのたてもの娘にやったんでしょ。そしたら娘の好きにさせてやりなさいよ。そこで暮らすのは娘であって おとうさんではもうないんだから」とはっきりと俺はいった。

5月絵日記の続き


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