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2006/04/29(土)
4月
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もうすぐ四月も終わる。この日記を読んでくれている人は何人いるのだろう。おつきあいしてくださってありがとうございます。45歳のおっさんのこと これからもよろしく頼みます。この日記は わが子たちに 将来 読んでもらえたらと思っています。俺がこんな男やったんやと。1月には、自分が何をしているのかわけがわからんようになることも多々ありましたが、不思議なもんで3ヶ月も経つと 慣れるものですね。でも、やっぱり婿の私は親戚中からみたら他人なんです。それはよく感じます。蚕部屋を大金はたいて改装したけれど、名義を変更したわけでもなく、登記をしたわけでもありません。だから、自分のものではありません。義父名義の建物をリフォ−ムしたということです。その費用は大阪の親父が死んで残してくれた金を全部つぎ込みました。大阪の親父に対しての最後の親不孝になったような気もします。だからローンはありません。 でも設計士とうまくいかなくて 生まれて初めての施主は 嫁はんと設計士と建設会社との板ばさみで言いたいことも言えず、気にいらんこいっぱいの建物になりました。でも、それにも慣れました。 このまま、一人でここで暮すのもいいかなと思い始めています。父と娘の今までのこと、親戚との関係、嫁はんは 本当のところ、ここには来たくないのです。わかります、その気持ち。3ヶ月ここにいて ほんまによくわかります。1月は、はよ来いよと思ってましたが、今はこなくてもいいよ、なんといわれようと俺が人質になって飯つくったりしてるんだから、長男やしんやのために一番いいことをしたらいいんだから 無理してこなくてもいいよと思うようになってきました。嫁はんにとってこの土地にはいい想いがないのです。とくに義父に対して。だから 無理することはありません。ひとり暮しには広すぎるけど、金もかかりすぎたけど。 叔父さんがいてくれるおかげで切れることなく やれてます。もし、叔父さんがいなかったらどうなっていたか。やっぱり他人なんです。義父にはっきりいわれたもんね。「他人のお前にえらそうにいわれる筋合いはない」そうだ、他人だ。ほんとの父と母になんにもしてやっていないもん。それなのに他人の面倒をみている。ご飯を作ってやっている。複雑だ。しかも不器用モンの大正生まれの男は「おいしい」ということもなく、「ありがとう」ということもなく、まるでけらいをひとりゲットしたごとくにいるのだ。でもまあ、それも介護なのだろう。他人だからうまくいってるのだろう。 昔 塾の先生をしていた時、生徒とうまくいった。それで 長男の家庭教師になったら うまくいかなかった。やっぱり、自分の子だったんだ。他人の子の将来に対しては無責任でいられるから。だから 俺だからうまくやれるのさ、他人だからね。多分 義父が死んでも涙もでないだろう。さあ、もうすぐ五月だ。
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