ヨロコンデ ぶっちの日記でーす。
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2006/04/19(水) 熊本松橋町
今日、電話があった。九州の熊本の松橋町のお坊さん夫妻から電話があった。1989年、松橋町で現代座が公演したんだ。ぶっちがその担当オルグだったんだ。まだ28歳、オルグなんて簡単にできると思っていた。現代座のオルグは まず熊本市内に一軒借りて そこを熊本事務所にして暮しながら 方々に市や町や村を訪ねて それぞれに実行委員会を結成するというやりかただった。出会って話を聞いてくれた方々が 実行委員になってくれるのだけれど、初めてのぶっちはなかなかうまく実行委員になってもらえなかった。青年団でぼろくそいわれ、ようやくなってもらえたという老婦人に翌日 やっぱりできませんといえわれ、どんどん落ち込んでいくばかりだったのだ。事務所には他の劇団員もいて 毎晩集まって報告会をしていたのだ。だけど、どんどん落ち込んでいくぶっちなのだった。ある日、「もうやらなくていいのよ、ぶっちは役者としてもいい味だしてるんだから、ここでご飯つくったり、みんなの送り迎えしたらいいんだから」と責任者にやさしくいわれ それは楽でいいなって思ったけれど 口から出てきた言葉は「もう少し やらせてください」だった。そこで責任者は 松橋町だけ担当しなさいといったんだ。そしてその後 ある夜の報告会で 先輩がお寺のお坊さんが実行委員になってくれたんだよときいて そうかと次の日 電話ボックスにこもって タウンページで町にあるお寺に片っ端から電話したんだ。そしたら「明日なら 若いものがいるから来なさい」といってくれたお寺があって よかったアポがとれてと事務所に帰ったんだ。そのことを報告したら 「そんなことでは仕事になっていない!」って怒られたけど、次の日 そのお寺にいった。あいさつすると 作業ジャンバー姿の男の人が出てきて 「あ、あんたかいな」っていったんだ。関西弁だった。京都の大学に行って お坊さんになる勉強をしたと話してくれて 奥さんが 「あ、わたし、大阪の生野やの」「え、ぼく東住吉なんです」「ほんま」って いうことになって うれしくなっていっしょうけんめい話をした。芝居のこと 劇団のこと。そしたら劇団の映画「同胞」を何回もみていることがわかって「え、そうなんですか!!僕が倍賞千恵子なんです」「ほんなら わしが寺尾聡かいな」ということになって 実行委員にふたりともなってくれたんだ。あとできいたら「自分たちが断ったら 帰りに自殺しそうな感じやったから」と。でもようやく実行委員になってもらえたんや。その町では過去にも公演していて その時に実行委員をやった人たちに「新しい人がだれか見つかったらやってもいい」といわれていて その新しい人がようやく見つかったんだ。うれしかった。その日から毎日お寺でご飯をごちそうになって 毎日 泊めてもらったりして まるで家族のように接してくれたんだ。ありがたかった。そのご夫婦から 今日電話があった。娘さんが結婚して群馬の高崎で暮すことになったと。うれしかった。電話もらえたことがうれしかった。あれから17年になるんやもんな。
あの日がなかったら もう芝居なんかやっていなかったと思う。あの日があったから こうして生きてこられたと思う。九州の熊本には そうやって出会えた方々がたくさんいる。死ぬまでに一度 しんやを連れて 歌いにいきたいと ほんまに思う。
松橋 そして 宇土のみなさん、ほんまにほんまにありがとう。
ぶっちは 生きるしています。金は全然ないけれど、しんやにはずかしくないように生きるしています。劇団はやめましたが 役者です!!


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