ヨロコンデ ぶっちの日記でーす。
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最新の絵日記ダイジェスト
2006/09/05 みなさん どうも。
2006/08/29 あほや!
2006/08/27 ホリデーイン前橋
2006/08/20 グループホーム
2006/08/18 初振込み!

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2006/02/24(金) 砂利の整備が終わりました。
昨日は 土を少し掘り出して その上にあらい砂利というよりも コンクリートをこなごなにしたやつが敷かれ、今日 その上に細かいきれいな小石たちが敷かれました。これで 完成です。あとは荷物の運び込みです。まだ 妻や子はここで泊まっていない。ぶっちもここで寝ていない。風呂とトイレとパソコンと。でも ぶっちは自分の城だという感覚が芽生えてきた。愛着が湧いてきたのだ。やっぱり 広いよ。もう貯金もないのに 金持ちになった気分だ。
 ここで死ぬまで暮してゆこう。それもまたおもしろいではないか。
 義父はこのまま長生きするのであろう。親族の記録を更新中なのだ。お墓をみてよくわかった。82歳まで生きた人がいない。でも90までは無理だろうな。あと8年か。あ、俺の52才までと同じだ。そうか、そうか。

2006/02/23(木) 豚小屋に新しいトタン
 ソーラーの中古(お湯をわかす)の設置のために その部分の波板トタンを貼った。今までのトタンの上に貼ったのだ。水が入ると300キロにもなるというのだから 今までのトタンが持たないかもしれないし、設置したら 張り替えこともできないだろうから。波板トタンは義父が昔買ったもらしい。豚小屋の中でほこりをかぶっていた。まあ、あるものは使わないとね。使わないでさびていくより使ったほうがいい。そしたら、3枚余った。きれいなのが3枚。そこで他にもある汚い波板トタンを全部集めて 豚小屋の中の部屋の上だけでも貼ることにした。あとで色を塗るのだから、まあ、いいじゃないかと。あるものはやっぱり使わないと。ゴミで出すのも大変だしね。
 あ、そういいながら オークションで買ったバイオリンと和太鼓、ぶっちよ 使えよな。と、ぶっちがぶっちに言いました。
 ソーラーの設置は まだまだ先。だって 井戸が凍ったまま でないんだもん。
 そうか、もっともっと パソコンも使いこなして 地図とかも書けるようしないとな。
 こうやって 書いていても どこに設置するのかとかも なかなか分かりづらいやろうから。
 使えるものはおおいに使おう

 我が家の前に砂利がきた。これで少しは 雨のあと ドロドロでなくなるかな。
 
今日は義父と叔父のおとうさんの命日でした。叔父が2歳の時に、54才で他界しました。9人の子供をつくり他界しました。
 義父を連れて お墓に行きました。

 夜中に ちょうなんの 元彼女からメールがきた。なんと 別れた本当の理由は 長男に新しい彼女が出来たらしい。それを今ごろ伝えたらしい。なんだったんだ。でも 俺若いときはそんなんばっかりやったから血はつながっとらんでも よう似たもんや。今度は年下らしい。すぐふられてしまうんやろな。俺がそうやったから。長く付き合った人をふって かわいい年下に乗りかえたら、すぐにふられたもんな。高校の時からやもんな。まあ、がんばり。ふたりともわかいんやから。千葉のおじさんとこにどなりこみにいかんでほんまによかった。

2006/02/22(水) 絵を書いた
読み聞かせの会の会合にいったのだ。初参加。3月に何を読むのかを決めて ポスターを手作りする。ぶっちも1枚書きました。絵本をみながら書きました。色鉛筆とクレヨンで色をつけました。手作りポスター。小学校に貼られるそうです。なんかうれしい。集まりは朝の9時半から。44才の家族持ちが参加できる時間ではないだろうけれど、まあ、いい。新しい出会いなのだ。この地域で生きていくんだ。少しずつ少しずつ 地域の人たちとつながっていかないと。
 午後は ペンキ塗りをした。今日は 夏に使った白い水性ペンキをさびに塗りこむことにした。これが下地となって 油性の銀色や青色をその上に塗れば 二度塗りになるのではないかと考えたのだ。夏の当時も固まっていた白の水性ペンキ。缶切りであけて そこに水を入れて塗りました。

2006/02/21(火) ああ、
 北側の小屋の屋根もブルーに塗り始めました。窓から見える風景を少しでも美しくしたいとの想いであります。壊せばいいのにと いろんな人にいわれますが、まあ、いいではありませんか。ブルーのペンキは2600円、シルバーは3600円。波板トタンをたくさん買うよりは安いのであります、はい。水性ペンキは油性ペンキの倍の値段です。塗れる広さはほとんどかわりがないと缶に書いてありました。まあ、油性の場合は 薄め液を購入しないといけないけれど。それでも油性のほうが安いのであります。あ、テキサスレッドという色なら 1980円なのですが、しんやママから ダメがでました。
 ケアマネージャーのTさんが 義父を送って来てくれた。介護の認定が出たので 今後のことを叔父と相談にきたのだ。デイサービスのお金は叔父の口座から引き落とされる。
 義父はいつになくにこにこしている。また、Tさんも義父の眼をみてニコニコ話をしてくれる。ときたま 足にふれたりして。そうか、長野の武石村の診療所の人たちがいってたもんな。いくつになっても男は男、女は女。家族になると なかなか眼をみて話したりしてないもんな、ああ。
 夕方 買い物にいったついでに 100均ショップにいった。カーテンレールが150円で売ってた。レールの中を走る車と真ん中で閉まる磁石と壁につける金具買っても450円で済む。しんやままが買ってきたNトリの799円よりも安いのだ。このことは 黙っていよう。死ぬまでいわないでおこう。と 思ってもすぐにいっちゃうぶっちなのであります、ああ、
 

2006/02/20(月) 介護1
介護の認定の通知が 今日郵送されてきた。ぶっちの名前で郵送されてきた。そうか 去年の3月に申請したのがぶっちだったからなのだろう。去年の3月は自立だった。今回は介護1。要支援の次の段階です。よかった。また 自立と判断されたらどうしようかと思っていたけれど、よかった。これで 国民のみなさんに甘えて 介護保険が使える。叔父の負担が少なくなる。義父も気兼ねなく介護サービスが受けられる。義父は やっぱり行きたくはないようだけれど、叔父のためにも行ってほしい。叔父は義父がいない時に 山歩きをしている。叔父はアウトドアの達人なのだ。
 東の小屋のペンキが仕上がった。
 ぶっちの部屋のリニューアルを始めた。片付けしていたら 昔書いた短編の台本がふたつ出てきたのだ。これをアップしたくなった。「密林行進曲」と「本当の絆を」だ。現代座時代に書いたものだ。現代座時代に もう一本「出会い」というKさんと書いて上演したことがあった。それはどこいったかな。それもアップしたいな。リニューアルしだして自分の書いた詩なんかを読んでいると なかなかおもしろい。まあ、ひとりよがりではあるのだけれど。

2006/02/19(日) 虫の音
今日は 「ユキとチエ」さん 主催の「虫の音(むしのね)ライブで歌わせてもらった。しんやとふたりで歌わせてもらった。1月の5日から、いっしょに暮していないので、午前中にちょっと練習をしたのだけれど、しんやは練習より 俺と遊びたがったので 少ししか練習できなかった。だから 15分のうち 前半はよかったのだけれど、後半は 今ひとつ。やっぱり 芸の道をなめてはいけないと少し反省した。歌舞伎の子役たちはやっぱりすごい。「ヨロコンデのテーマ」「しあわせになろうよ」「ヨロコンデンジャーの歌」「シンヤマンの歌」即興で「44才の決意」
 やっぱり俺も親なのだ。心配で心配だったようで いつものリラックスができなかった。シンヤマンの歌のあとのシンヤマンショーと称して 怪獣ごっこをやったけれど 今ひとつだった。活き活きした4歳のパワーはなかった。やっぱり ちょっと違う空間をかんじたんだろうな。あ、そうか 客電が消えた中で しんやはやったことがなかったんだ。そうだ、これは彼にとっても大きな違いだったのだろう。
 よし、もっともっと頑張ろうな。
 生まれて3ヶ月の娘を連れて 友達が夫婦で来てくれた。うれしかった。
 ユキとチエの大ファンのぶっち一家です。
 彼女らは若い。歌に生きようと仕事をやめて、全国の旅を続けている。その決意をして実行している彼女らを尊敬している。また、いい歌なのだ。嫁はんの車の中はヨロコンデではなく、いつもユキとチエの歌が流れている。だからしんやも大スキなのだ。
 「どこにだって行けるさ 今の歌を探してる 歌声は足音にかきけされながらも続いている」 太陽サンという歌の一節。この部分を車の中ではじめて聞いて 号泣してしまったぶっちなのだ。
 虫の音らいぶは 前橋市の中央アーケードの国際サロンで開催された。そのとなりの野外の芝生では PA設備が置かれて 「週末ライブ」と看板がたてられて だれかがギターを弾いていた。でも立ち止まる人はほとんどなかった。きっと 行政の予算を使い やっているのだろうなと思った。ちょっと哀しかった。

 

2006/02/17(金) ペンキ塗り 第2弾
今日は 西側の温室の波板トタン屋根をブルーに塗った。白で下地を塗ってなかったので さびが浮いてくるかもしれないけれど、それでもいい。2階の窓から見える風景を少しでも美しくするためだ。北側の窓から見える風景を美しくするためには北側の物置の屋根も塗らないといけない。
 第2弾ともなると はけの使い方がうまくなったのか なかなかいい。しかし、古い波板トタン、もし、踏み破ったら 張替えなければならなくなる。慎重に 慎重に。いい天気だ。風が少し出てきた。15時過ぎたら 風が強くなって 寒いくらいだ。でも やるんだ。がんばれ100均のハケよ。バケツ 2杯分のペンキを塗った。
 夜、義父とふたりで メンチカツと餃子スープ。叔父は詩吟の稽古に行く日なので 二人なのだ。30歳から詩吟を始め、今では指導者でもある。毎週金曜に出かけてゆく。
 むしょうにソースで食べるものがほしくて、昨日、閉店間際のBシアに買出しに行ったのだ。半額シールがしっかり貼ってありました。朝は 鳥のから揚げ、夜はメンチカツ。久々だった。うれしかった。飯代は叔父が出してくれているから、たまには買出ししたりしていかないと。あ、叔父に紙パックの日本酒も昨日買った。ささやかなプレゼント。叔父はアウトドアの達人で、自分で燻製をつくり日本酒に入れてチンして飲むのだ。
 今日の昼は叔母が焼きまんじゅうを買ってきてくれた。宮城の焼きまんじゅうは味噌たっぷりすぎるくらいたっぷりなのだ。

 あ、今日、有線放送の日だった。買い物に行ってしまった。閉店間際を狙ったから聞けなかった。よし、明日の朝 6時半に聞こう。録音もしよう。うん。

2006/02/16(木) 920円
今日は燃えないゴミの日。古いなべをいっぱい捨てた。古い調理道具も捨てた。義父は怒っていたかもしれないが そんなこといってられない。ほこりまみれなんだもん。地域のゴミの檻に入れにいったら、なんとおもちゃがいっぱい捨ててあるではないか。確かに燃えないゴミだ。でも もったいないな。あ、そうだ、と あたりを見回し、だれもみていないとわかると おもちゃ3袋、車に積んで帰りました。朝食後 全部 ひっくりかえし、選別して、いざゆかん 中古おもちゃやさんへ。あ、ついでに いらないCDと本も持っていこう。先日田口で選別したいらない本をいっぱいもっていったら、6000円になった。今日はいくらになるかな。
まず、CDと本・・・「410円です」がく、がく。次は おもちゃ 「あの、計算お待ちのぶっちさま」「はい」「あ、ぶっちさん」「え?}「O田です、しょうたろう君の同級生の」「あ!!いや、どうもどうも」顔から汗が少し出た。「しんやくんのおもちゃですか」「ええ、親戚がいっぱいくれるもんで、まあ、おさがりですが」「そうですか、はい、920円です」「あ、どうも」O田君はジャニーズ系でかっこよく かわいいのだ。いっしょうけんめい働いていた。ガンバレ、O田君、けっしてこんな大人になるなよ。
こたつの足を高くするやつと スケルトンドライヤーを買ってかえった。
 田口に戻ると玄関先に いっぱい紙袋。また 俺の本。女房がつめてくれていた。「あ、黒澤明の世界、あの人はプレゼントしてくれた本、あ、坂本竜馬の本だ、これで芝居の台本書いたのは 大学2年の時だった。あ、こっちは写真か、あああ、最初んぽ結婚式の写真や、かわいい」などと、また荷物。すべてを捨てる勇気がほしい。おもちゃをゴミの檻に捨てた人のように。

2006/02/15(水) ついに屋根のペンキ塗りだ
あったかい、もう春がそこまでという感じだ。引越しはまだまだかかる。カーテンさえ、まだついていないもの。でも ぶっちひとりの暮らしは始まっている。朝、5時半に起きて 薪ストーブに火をおこす。そして 米を2合とぎ、炊飯器のスイッチをオン。湯を沸かし、義父が慣れ親しんだ旧式のポットに入れる。朝食のおかずを考えて作る。6時30分、有線放送を聞く。今日は何のゴミかの確認をし、準備をする。母屋、豚小屋、蚕室、そのまわり。とにかく 出来る限り捨てる。歩いて捨てにいく時と車で 捨てにいく時とがある。車でゆくのが望ましい。いっぱい用意できたということだから。8時、義父と叔父と3人で朝食。朝食のかたずけ、洗い物は私の役割。以前は次に義父のものを洗濯していたのだが、近頃は自分でするようになった。やっぱり他人に下着などを洗われるのはいやなのだろう。いいことだ。火、木、土は9時から16時まで 義父はデイサービスにいっている。1月の10日にケアマネージャーが来て、介護保険の申請を行なった。行政から調査員が来たのは 1月27日だった。そして、まだ、認定が降りてこない。自立か要支援か介護1か。それにより、デイサービスに払う料金が決まる。お金は叔父の口座から引き落とされることになっている。9時ごろから 作業を開始。叔父は燃やすための木をもらいに軽トラックで伊勢崎の知り合いのところへ。ぶっちは自分の家に行き、残り湯を使い洗濯をして 風呂掃除をして、豚小屋の片付け。ファクトリー(北の豚小屋)は ほぼ完成した。このほぼが曲者なのだが・・・そして 南の豚小屋の屋根をシルバーに塗り始めた。「雨になるからよしたほうがいい、それにまだ、寒くて、ペンキが伸びないぞ」と叔父にいわれたけれど、こんなにあったかくていい天気なんだからと始めた。6月か7月に豚小屋にあった そうとう古い白ペンキを一度塗ってあるので、油性のシルバーを上から塗った。100円均一のはけで塗った。やったぜ、きれいになるもんだ。光ってる!!などと喜んでいたのもつかのま、だんだんと曇り空になっていった。18時に終わった時点では 片面の90パーセントが塗れた。夕食は叔父が作ってくれる。18時半、義父の夕食。叔父とぶっちは薪ストーブを囲んで 酒を飲む。叔父は日本酒、ぶっちは焼酎の健康茶割り。20時過ぎ、義父は寝る。その日の義父の様子を語り合いながら酒を飲み 最後にご飯を食べる。21時、叔父は隣の自分の家に戻る。ぶっちは自分の家に戻って 風呂に入り、母屋に戻って 義父の隣で眠る。夜 すごい雨になった。

 ここまで書いて アップさせたら 11日に 同じようなことを書いていることに気付いた。まあいいか。実は 今 17日の23時21分なのです。インターネットが開通したのです。ADSLです。Y電器でパソコン買って 3万円引きで開通しようと思っていたけど、パソコンを買う金がなくなってしまったので、あのノート型でがまんすることにした。そして インターネットの料金払うために タバコをやめる!とい言い切りたいが減らすことにした。今まで、田口の時は光熱費など いろいろなことを妻は負担してくれていたが、宮城は俺が負担する。電気、水道、電話、浄化槽の管理費、いろいろかかる。緊張するな、ちゃんと払っていけるだろうか。宮城で暮すということはガソリン代も今までよりかかるのだ。さあ、金がいるぞ。ずしりと ずしりと。あ、保育料も俺だった。国民健康保険も国民年金も滞納している。やばい、長男のほうが 収入は多い。あはは。
まあ、なんとかなるでしょう。

2006/02/14(火) バレンタインデー
手作りチョコをもらった。
こんなことを書いてはいけないのかもしれないが、俺は有名人ではないので たくさんのひとたちがこの日記を読んでいるわけではない。この日記は遺書みたいなものだから、書きたいことをマナーを守って書き続けようと思う。

チョコをくれたのは 長男の彼女。千葉で暮して働いている。先月 長男は千葉に行った。彼女の親戚にもあいさつしたらしい。彼女は群馬で仕事を見つけて 長男のそばに行こうと考えていた。ふたりとも真剣だった。ところが親戚の人が「バイトではだめだ。ちゃんと仕事をしないと」と いったらしい。長男は今のところが大好きで頑張っている。でも身分は確かにバイトだ。長男は考えたらしい。今のところを続けたい、だから 彼女とは別れたほうが彼女のためではないかと。そして、別れを告げたらしい。彼女は会社に退社届を出したあとだったらしい。おお、なんということを。彼女は長男に内緒でおかあさんと話がしたいと わざわざ群馬に来てくれた。そして上記のような話をしてくれたらしい。「チョコ、わたしてください。手作りです。もし、彼ともうだめでも、しんやくんやおかあさん、おとうさんとつきあいを続けたいです。しんやは彼女が大大スキなのだ。ふたりでしんやを保育所に迎えにいったらしい。しんやは大喜び。そして3人で高崎駅までいったらしい。別れるとき、「さいごまで 送っていく!!」とだだをこねて泣いたらしい。小さい命が心を開いている、誰にでも開くものではない。神に近い小さな命が開いている事実。
 長男は小学2年生の時、両親が離婚。6年生の時、俺が養父になった。4年間の間に長男の実父は2人の女性と付き合っている。一人目の人はとってもいい子で 長男も会いに行くのを楽しみにしていたらしい。二人目の人とはうまくいかなかった。「もう来ないでね」というようなことをいわれたらしい。それ以来、長男と実父とは交流がなくなった。そんなことを思い出した。
 俺は父親失格だ。好き放題 やりたい放題 言いたい放題 生きているくせに、大切なことを長男になにひとつ教えていない。「バイトでなにがだめなんですか。うちの親父は役者です。金に縁のない、運もない不器用もんです。今は無職です。そんな父親もだめなんですか?あなたの価値観でいくと、会社員が偉いみたいにいうけれど、自営業の人はだめなのですか?ずっと、バイトでいる気はありませんが 自分はまだ21です。大学生なら遊んでいます。それを いっしょうけんめいバイトしています。毎日働いています。両親もいます。親父は無職ですが、お袋はちゃんとしています。弟もいます。それなのにだめなんですか?21歳の僕を自分の価値観だけでみないでください。今のバイトは高校の3年間 続けたバイトです。その時をあわせると 同じ職場に5年以上勤めていることになります。これは認めてもらえないのですか?その前のバイトは深夜勤務でしたが、2年近く続けました。ふらふらしているわけではありません。それでもだめなのですか?僕は彼女といるだけで幸せなんです」と、その親戚にいいかえせるだけの力を俺は親父として教えてやっていない。すまん、後悔しないよにな。男はへんなプライドかなぐり捨ててでも ほしいものをゲットしなければならないんだ。
 親父は無職になってしまったけれど、後悔はしていない。ぐじぐじいいながな 会社員でいて楽して金もらおうとしている自分がいやになってたんだ。運営委員がいやになった時点でやめるべきだったんだ。いっしょうけんめい劇団を大きくしようとしてたんだもん。いっしょうけんめいオルグして、公演とって、でも、みんなからは浮いていた。だってみんなは社員として存在していたんだ。俺だけ 前の劇団時代にもった持論、「ひとりひとりが経営者」「自分の給料は自分で稼ぐ」を実行しようとしていただけだったんだ。世の中はむずかしい。表と裏をしっかり使い分けてみんな生きている。それが俺できないんだ。裏でいったことは表でもいいたくなる。でも裏で100言えることが 表で30しかいえない自分がいやになったんだ。すごく中途半端な自分が。あ、俺のことはどうでもいい。おまえの出した結論でほんとうに後悔しないのか。今の彼女と次に出会う彼女とを比較しない自信があるのか?「前の彼女のほうがよかったな」なんて、考えたりしたら どちらにも失礼になるんだよ。さあ、親戚のおじさんにいいかえしてこい!まだ、21じゃないか。若気のいたりでゆるしてくれるよ。40過ぎたらゆるしてはもらえないけれどね。

 だから真っ直ぐ 真っ直ぐ もっと 真っ直ぐ生きたい

2月絵日記の続き


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