ヨロコンデ ぶっちの日記でーす。
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最新の絵日記ダイジェスト
2006/09/05 みなさん どうも。
2006/08/29 あほや!
2006/08/27 ホリデーイン前橋
2006/08/20 グループホーム
2006/08/18 初振込み!

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2006/01/31(火) 潔し
桜の花は潔い ぱっと咲いて人々の注目を集め ぱっと散る。散ったあとの桜を誰も見向きもしないけど しっかり生きてまた 必ず翌年に咲く。いや 桜だけじゃない、花はみんなそうだ、自然の中で生きている植物はみんなそうだ。 花になろうとは そんなことだ。 潔く生きたい。 八日から義父のすぐ隣のこたつでねている。洗濯をして 掃除して 飯つくって… その合間に豚小屋のリフォーム作業して。芝居はふつかしかしていない。退団したんだと実感する。潔く 出来るかぎり 客演であることをやめようと思う。そして 花咲くその日まで しっかり生きようと思う。自ら生きる力を信じて!

2006/01/21(土) 生きるってなんだろう
義父は三食食べて寝るだけ。やりたいこともないのだろう。体温30度まで下がってあのまま他界したほうが幸せだったのではないかと考えてしまう。九人兄弟の長男としていばってばかりいただけで自分では何もしてこなかったんだろう。家の障子を張り替えることもなく そうじをすることもなく すきま風を防ぐ工夫をするでもなく、俺にほこりまみれの木材を捨てるなとどなったくせに それを使って家を自分で修繕することもなく ただ生きてきたなにもできない男。かわいそうだな。

2006/01/14(土)
ひさびの雨。築90年の母屋の玄関の引き戸の戸車を ようやく変えた。ジャッキとかもいの間に角材をかまして ギコギコしたら 戸がようやくはずせたのだ。片方の戸車が全然だめだった。今日は今、義父の寝ている部屋のカーペットも変えた。この数日で障子の張り替えもおばさんたちがしてくれたし 少し小綺麗になった。 ぶたごやも少し進んだ。一番東の道具部屋がほぼ完成。 南のぶたごやの扉付け あと二枚の内 一枚分をやっているところで雨がはげしく降りだした。 義父はしっかり食べて よく眠る。

2006/01/13(金) 職安へ
失業保険の給付の初期講習に行った。次回から認定日に必ず行って 3ヵ月後に給付が始まる。基本給10万だったから 七万くらい給付される。今の俺には七万は大きい。 義父は今日初めて デイサービスに行った。風呂にも入れてもらえた。これから火 木 土と通所する契約を叔父がかわした。介護保険の認定はまだ。行政の調査官からの連絡がまだ来ない。書類がまだまわってこないのだろう。 デイサービスでリズムを掴んでくれると助かるな。夜 ほんとによく眠った。叔父が四時間おきに小便に起こさないいけないほどよくねた。あとは足腰を強化して ひとりでしっかり歩けるようになってくれればと願うばかりだ。

2006/01/11(水) 順調か
平穏な状態。今日もちゃんと大便をした。叔母が障子の張り替えをすると買ってきた。毎日 人が来てくれる。いいことだと思うが 少し目付きがおかしい時がある。 ひさびさに家に帰ってしんやと風呂に入った。そしてすぐに宮城に戻った。そうそう、ぶたごやのリフォームを再開した。蚕室のリフォームであまった建材をどんどん使っていった。早く屋根にかかりたい。 夜 目をぱちぱちさせてなかなか眠らない。ちょっとやばいか…

2006/01/10(火) つながった
八時間 しっかり眠ってくれました。つながったんだと思います。 朝 調子よし。卓上便器で大量に大便もした。 意識もしっかりしている。ケアマネが来てくれた。ちゃんと受け答えをしていた。介護認定を受けたいのに これでは 軽いのしか 受けられないか。まあ いいか。 親族で26年ぶりの大掃除が開始された。まず雨戸をあけられるようにした。誇り塗れのいらないものをどんどん捨てる方向で開始。150キロ捨てた。夜から叔父がいろりにまきをくべ出した。すごくあったかくなった。さらの下着が山ほど出てきた。古いのを洗濯しながら着続けてきたのだろう。

2006/01/09(月) 眠れ
五日、宮城の義父 低体温で入院 脈拍30 体温 30度 これで意識があった。すごいと医者がいった。血液を体外に出してあたためて体内へ戻す処置をICUでした。六日一般病棟個室へ移動。ところがぼけて脱走を試みるため 八日の夕方 強制退院。宮城の自宅へ。叔父とふたりで24時間体制。小便は体をふたりで支えれば自分でちんちんを出してする。約二時間おき。でも眠らない。いつも仕事をしている夢みているような状態で体を動かしている。九日の深夜12時 ようやく眠った。今 寝息をたてて眠っている。

2006/01/07(土) すごい男
今日の朝、嫁さんが 病院に寄ったら、なんと おかゆを食べていたという。すごい男である。義父よ、あなたはすごい生命力だ。叔父がいっていた。「80歳を越えて生きた親族がいない。兄貴は ある意味 希望の星だったんだけどな」ICUに入っている時にいったのだ。ところが おかゆを食べているのだから やっぱり希望の星なのだ。さあ、退院してからが大変になるだろう。叔父は定年を前に去年 仕事をやめた。義父は9人兄弟の長男、叔父は末っ子。叔父は親父の顔を覚えていない。幼い頃に亡くなるったから。義父が親父みたいなもんなのだ。5日も叔父がいなかったら確実に死んでいたと思う。体温30度、脈拍30だったんだから。

2006/01/06(金) 個室
持ち直しました。38度に体温が上がり、一般病棟の個室へ。一安心です。大正12年生まれ。

2006/01/05(木) 体温が・・・
宮城の義父が入院した。ICUに入った。体温が30度しかない。血液を 抜いて暖めて 体内に戻す処置が施された。持ち直してくれることを願った。
まだ 宮城に引越しもしていないし、完成もしていない。

1月絵日記の続き


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