ヨロコンデ ぶっちの日記でーす。
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最新の絵日記ダイジェスト
2006/09/05 みなさん どうも。
2006/08/29 あほや!
2006/08/27 ホリデーイン前橋
2006/08/20 グループホーム
2006/08/18 初振込み!

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2005/09/28(水) 運動会
雨が降ってたのに止んだ。しんやの運動会なのだ。かけっこ 一着だった。お遊戯 ひとり違う踊りをしていた。でんぐりかえりもできた。あと二ヵ月で四歳になる。自分のことを「俺」と呼び、ウルトラマンマックスが大好きな しんやが運動会。見にいけてよかったと心から思った。お母さんたちが若かった。やっぱり、俺たちはおじいちゃん、おばあちゃんに近いんだよな。でも 頑張って ビデオをまわしたよ。親馬鹿だよね。みんな 三脚を持って来ていた。しもた、忘れた。まあ、いいか。親たちのラジオ体操の時間。俺 ひとりビデオを持って まわしながら ラジオ体操をしながら わが子に近づいたり、他のお父さんには とれないアングルでいっぱいとったぞ。がはは。
 

2005/09/27(火) ソーラー
ソーラーシステムの下取り品を格安でゲットしました。豚小屋の屋根につけるんよ。将来 露天風呂をつくるんよ。なんて 思っているけれど、うまくいくのだろうか。露天風呂は 「北の国から」の田中邦衛がつくっとった。やってみたい。薪で沸かす風呂にするんや。廃材はいっぱいあるから それをもやすのだ。うまくいくんやろうか。雪が降ったら雪見風呂よ。あ、さくらの木も植えよう。
 しかし、水が入ったら300キロになるという。豚小屋の屋根がもつのだろうか。

2005/09/26(月) ゴミすて
朝六時半に宮城に行って 要らなくなった古い古い建具を解体して切り刻んで ゴミ処理場に搬入した。100キロ あと99キロあっても無料やったのに。でも大きなダンボールにいっぱい角材つめて五十キロという基準がわかった。軽トラックは800キロというのもわかった。よしこれからや。どんどん捨てるで どんどんどん。 午後は稽古やったんよ。ひさしぶりの ゆきと鬼んべの稽古

2005/09/25(日) ヨロコンデファクトリー
今日が鮎の塩焼きの最終日。片付けまでやりました。お盆と秋と春のお彼岸にこの仕事をやっているとTさん。春のお彼岸にもやらせてもらおうと思った。いろんな経験をもっと積んでいこうと思う。 ヨロコンデファクトリーを設立しよう。そしていろんな活動をしていこう。よろこんでをつくっていくという意味でファクトリーなのだ。歌の活動も 芝居も 掃除も 鮎売りも お金になろうがなるまいが ヨロコンデファクトリーの活動なのだ。

2005/09/24(土) 節目
今日もまた 鮎の塩焼きと いかの姿焼き とフランクフルトとアメリカンドックを売った。 朝から 途中までふたりだった。楽しかった。忙しいほうが楽しい。 終わってから渋谷へ。大学の演劇部の仲間六人で飲んだのだ。大好きなあの人もきた。会えてうれしかった。それぞれの暮らしをかかえて生きている。みんなに会えてほんまによかった。ありがとう。よき節目の年になる。

2005/09/23(金) 保冷庫
蚕室から保冷庫がなくなった。高崎から職人さん 三人来て 解体して ヨロコンデ豚小屋に移動させてく組み立ててくれたのだ。その間に 昨日の続きでアルミサッシづけを俺はしたのだ。 保冷庫の移動がすんだら 嫁はんが乾燥機の移動もやっちゃおうといいだして 電気職人さんたちが帰ってから 単管をつかってころがして 蚕室からヨロコンデ豚小屋に移動させた。

2005/09/20(火) さあ、本格的に
21日から 解体工事から始まる。リフォ−ムのための解体工事。アルミサッシ一式は捨てないで置いといてもらうのだから その場所をヨロコンデ豚小屋のなかに確保しておかなきゃいけない。あ、掃除機もかけておこう。23日に保冷庫の移動。保冷庫 乾燥機を移動させるのだから、1階の設計の手直しもしておいてもらわなきゃいけない。あ、3ヶ月あったのにと悔やまれるが、まあ、仕方ない。やれることをやってきたのだから。5月の豚小屋の中の写真を撮っておいたらよかったなと いまさらながらに後悔する。もう、すごかったんだから。それを空にしたんだから。そして部屋をつくったんだから。電気も仮設したんだから。いろいろやってきたんだから。

2005/09/19(月)
生まれて初めて 鮎に串を刺した。親方はうまい。鮎が泳いでいるようにみえる。俺はだめだ。まだまだだ。親方がいないあいだに備長炭の火は消えてしまうし、巨人の星を思い出した。野球しか知らないと悩んだシーン。俺、なんにもできないよ。よし、なんでも挑戦や。車の免許とって、兄の車を運転した時、こわかった。でも今はあたりまえになっている。最初からなんでもできるわけはない。

がんばや とうちゃん。

9畳が6畳になった。あれだけ、ああでもないこうでもないとかんがえながらつくったのが うそのように簡単に 6畳になった。
あとは掃除して 保冷庫を迎えよう。

今、女房から 露天風呂をつくろうよといわれている。手作りの露天風呂。廃材を燃やして沸かす露天風呂。「北の国から」 で宮沢りえと田中邦衛が入っていたような露天風呂。できたらいいな。ほんとうにいいな。休みの日には露天風呂。廃材燃やして露天風呂。

2005/09/17(土) 足場
蚕室に足場が組まれた。いよいよなのだ。始まる、始まるのです。

鮎の塩焼き フランクフルトなどを売る店の手伝いをした。
よく考えたら、とうもろこし売りや えべっさんの笹売りを昔やったな。あ、家具の売り子をしたけど ほとんど 売れなかったな。いろんなこと思い出しながら 1日を過ごした。

9畳の部屋を6畳にすることを始めた。やっぱり、保冷庫と乾燥機を移動させるのだ。簡単に作ったから簡単にこわせるだろう。

夜の10時に ヨロコンデ豚小屋に ひとりで入れた 3畳の間(大きな車輪がついていて可動式。胃ガンで12年前に死んだ義兄が 娘のためにつくったもの。蚕室にあったのを よいしょよいしょとぶっちが豚小屋に入れたのだ)を やまちゃんとふたりで外へ掘り出した。足場が組まれてしまったら 解体しなければ掘り出せない。だから今夜しかない。重かったけれど、短時間で出せました。やまちゃんありがとう。

2005/09/16(金) 高速道路
北関東自動車道の上三川インターから乗って すぐに トラックの後輪右外側のタイヤがパンクした。俺たちは後ろのワゴン車でその様子を見ていたから興奮した。高根沢の小学校で公演したかえりだ。タイヤ」があんなふうになるなんて。壬生で降りてスタンドでスペア-タイヤにかえてもらって また高速に。あ、携帯がなった。「あー、やっと出た」「あれ、どうしたの?」「俺、後ろ走ってたんだよ」「えー、ほんまに?」「高根沢に納品した帰り」「あ、おれたちも高根沢」「前のトラックがちょっとふらついたなって、思ったんだ。追い抜く時見たら 劇団の名前が書いてあったんだもんな。それで何度も電話したんだぜ。なのに出ないんだもんな」「すまん、興奮してて マナーモードで気付かなかった」「そうか」電話を切ってから 携帯みたら 何度も何度も着信があった。
ありがたい友である。佐野のSAで ほんの少しの再会をした。ありがとう。

9月絵日記の続き


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