ヨロコンデ ぶっちの日記でーす。
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2005年7月
前の月 次の月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
最新の絵日記ダイジェスト
2006/09/05 みなさん どうも。
2006/08/29 あほや!
2006/08/27 ホリデーイン前橋
2006/08/20 グループホーム
2006/08/18 初振込み!

直接移動: 20069 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200412 11 10 9 月 

2005/07/31(日) 七月最後の日
 昨日の大雨で きっと雨漏りしているに違いないと、朝 様子をみにいった。すごいぜ、雨が9畳の部屋の床をぬらしていなかった。やった。よかった。すごい雨だったもんな。

2005/07/30(土) 稽古とらいぶ
朝、しんやは起きてこなかったので ウルトラマンを ビデオにとってやった。そしてみた。ピグモンが出てきた。なつかしかった。お、続くやないか・・・そうか 今日のは2話連続なんやな、それで怪獣3頭出せたんやなと思った。女性隊員のファンになりつつあるおれがいた。
 させ午後はBDの稽古。わーい、お金になる仕事や、1時から5時までで4000円。しかし、踊る人たちも集まるとすごい人数やな。でも自分の出番じゃないときはぺちゃくちゃおしゃべりしているから やっぱりアマチュアやなって思った。プロの世界において演出の言葉を聞き逃すなんてことはない、自分のために、他人のだめだしを聞いたり、人の演技みて盗んでやろうとか あれではだめだなとか考えて 稽古に集中するもんだけど、まして競争社会のマスコミを目指しているのなら なおさらなんだけれど・・・まあ、しかたないか。しかし、3歳児からいっしょに踊るんだから 大変な4時間だった。3歳の彼が出番のないときは走りまわってるやもんな。しんやと同じやから いっしょに廊下で 怪獣ごっこをして遊んだ。これが ぶっち流の稽古への協力なのだ。演出 いらいらしないで 頑張ってください!!でも 3歳の彼が 自分の出番になると ちゃんと踊ったのに感動してしまった。これはお客さん よろこぶで!!!8月28日が楽しみです。

 夜は大胡で ライブでした。大胡祇園まつりの協賛イベント!!5バンドのうちのひとつがヨロコンデ ぶっちなのです。今日は山ちゃんが都合悪いので ひとりでした。だもんで、オリジナルと即興歌でせめました 30分!!
 しんやも参加、となりで邪魔をいたしましたが、ハーモニカを吹きまして 拍手をもらいました。すごいやつや。「オリジナルやのに なんであんなにへたくそやの?即興歌はいいのに なんで?」と女房から帰りの車の中で 涙こぼれるほどのきついダメだしをうけました。わけはわかります。即興歌は客席をしっかり捉えてうたっているのに オリジナルは 視線を客席からはなしてうたっていました。演技と同じ。反省です。開き直ってうたわんかい!!と自分にいいました。日々前進!!
 すごい雨がふったりしたなかでのライブでした。ひさびさにたのしかったです。そうか、6月に高崎の路上で歌った以来や。もっともっと 歌わなあかんな、うん、やっぱり、人前で歌い続けないといけません。
 BDの人たち 頑張ろうね
 いっしょにライブやった仲間達 どうも おおきに!!

2005/07/29(金) 南の豚小屋の屋根もぬっちゃえ
雨漏りしていた屋根の反対側を白く塗った。しかし、途中で蜂の巣に刷けが当たってしまいました。こんなところに巣をつくるなよ!!慌てて逃げ降りました。さて せっかく溶かしたペンキ、そうだ、南側の豚小屋の屋根を塗ることにした。半分塗って 溶かしたペンキがなくなりまして丁度時間となりました。本日より ペットボトルに朝入れて 太陽にかざしていた水で 頭と体を洗うことにしました。水は井戸水。うん、あったかい!!やっぱり夏なのだ!!

2005/07/28(木) 木曜日はレンタルも半額
 朝8時50分から上映の「HINOKIO」を見ました。泣きました。お客さんは自分を含めて たった4人。母を事故で亡くし、自分も怪我をして歩けなくなった少年が不登校。変わりにロボットが学校へ行く・・少年はロボットを部屋から操縦しているという映画なのです。
 さて、昨日から始まった 屋根の修理。今日は反対側の屋根の前面を白く塗ったのだ。さびをかくすだけでも 雰囲気は変わる。白い屋根の建物って見たことないなってちょっと思った。白のペンキ 1缶終了、かたまりは 残ったけれど・・・ほとんどを屋根の上ですごした。熱中症にならないように気をつけないといけないのに 帽子をかぶるのを忘れていた。水分は補給したが 塩分は 不足。あ、柿の種でも食べればよかった。

 浜田省吾の新しいアルバムが レンタル解禁!!さっそく借りました。木曜日はレンタルも半額なのです。おおおお、やっぱり浜省なのだ。4年ぶりの浜省のアルバム、おおおお、「初恋」という歌 ジャクソン・ブラウンっていってる。おおお、娘は20歳なって歌ってる。「花火」という歌もええな なんて しんやを迎えに行きながら 車で大音量で聞きました。

 「隠し剣 鬼の爪」も借りて見たのだ。あ、しんやのために「ジェラシックパーク」も借りた。恐竜の恐さを しんやに伝えるのだ。

2005/07/27(水) 屋根
ついに 屋根の修理を始める。ブリキの波板のつなぎ目の重なった部分に透明アクリルの波板の歯切れを突っ込む。田口の家の裏の波板を交換した時に はまらなくてカットした部分をキープしていたのだ。人のことはいえない。俺もいつか使うとキープする悪いくせがあるのだ。このアクリルはしんやの生まれる前だったから4年以上捨てずにキープしていたことになる。
 12年以上前の 白い水性ペンキの缶が3缶ある。12年以上前というのは義理の兄が12年前になくなっているので、その兄が購入したものにちがいないから。缶のふたをあけてみた。水分と分離して かたっまっていた。棒を突っ込んでみるとカチカチではない。かきまぜてみたら なんとか混ざる。あ、熱湯で溶かせばいいかななどと考えながら、さびて気になるところに塗ってみた。そうやさびを隠して、その上から防水塗料を塗って その上からまたペンキを塗れば 4重構造になる。うん、そうしよう。
 さびにしみこませるようにペンキを塗った。屋根の上にいたら、あ、今の屋根の上に屋上を作りたくなった。鉄パイプがいっぱいあるから それを クランプで閉めて、その上に角材を置いて、防水塗装して その上に・・・・いや、3点は下からたてられるけれど、あと1点は屋根に支えを置かないといかんな。などなど考えながらの屋根の上!!
 帰りは しんやと図書館へ。しんやの図書カードを作ってもらった。

2005/07/26(火) 東京で公演
東京で セロひきのゴーシュの公演でした。朝6時出発して 13時30分開演。帰ったのは夕方の6時半。12時間半の拘束でした。お客は50人。300席の客席に50人でした。まあ台風だからということもあって、来てくれるはずの32人の幼稚園児が来なかったということもあるのですが・・・。まあ、台風のせいにできるということでよかったのではないかと思っています。現代座にいた頃は お客さんのためにも 客席をなんとかいっぱいにするんだと必死だったけれど、今は そんなこと話すと嫌われ者になっちゃうからね。300席なら8割はいいたとしても240人。それぐらいの目標立てて 300枚のチケットをどうやって売るかをいっしょうけんめい考えていたあの頃が ちょっとなつかしい。1997年まで そればっかりやってたんだもんね。
 台風なので ヨロコンデ豚小屋の様子だけを見に行きました。ずぶぬれにはなっていなかったです。釘穴から水がしみているようなので、釘にコーティング剤をして 全体に防水塗料を塗ってみることにしようと考えました。新しいトタンを上から貼るとまた釘穴が増えるし、まあ、二度手間になるかもしれないけれど、やってみるんだ!と自分にいいました。

2005/07/25(月) いつか、いつか・・・
別のちいさな倉庫から、アルミの雨戸が出てきた。そこには ふすまや障子がいっぱいあった。いつか使うと思って だれかにもらってきたんだろう、けれど保管状態はめちゃくちゃ悪く、ほこりまみれで 腐っているのもある。いつか、いつかと 人はよく考える。俺もそうだもんな。アルミの雨戸を水で洗った。これを天井の板がわりに設置しようと考えた。表は木目調で裏が白。白を下にして 設置しよう。とりはずせるようにもしようと考えた。その倉庫に大きなサッシ窓が二枚あって あ、豚小屋の中にあった枠の窓だと気付いたので なんとか使うことにして これも洗った。ところが1枚はガラスが割れていた。まあ、べにやでもはさんで使うさと決意。そして引き戸の壁の上部、鴨居の上に枠を設置。ところが、すっと入らない。柱が太いのを使いすぎたのだと ちょっと後悔。柱を電気のこぎりで削った。4センチかける6センチを削ったが まだ入らない。義父のノミを持ち出して さらに削った。まだ入らない、あ、枠の端を切らないと斜めの柱にあたってる!!と発見。ほんまに 計画性のない男だと自分を笑う。脚立にのぼっての作業だから 疲れる。また腰がいたくならないかと不安になりながらも電気サンダーでアルミを切る。すごいもんだね、12年以上使っていなかった電動工具がちゃんと動くんだもんね。ようやく入った!!

 しかし、文章へただな、と ここまで打って思った。ログハウスの本の人はもっとうまかったな、

 午後は明日の 東京公演に向けての稽古。1時に来てくれといわれ、12時過ぎから体拭いて、飯食って、1時5分前にいったら、「あ、メール見なかった?1時半からになったんだ」と。それで携帯みたら 12時30分の時点で変更していいですかのメールが入ってた。そりゃないよ。30分前に変更してそれで 通用するわけがないやんか。やっぱりうちの集団には常識がないんだなって思った。結局、昼飯を食ってないからと稽古が始まったのは14時20分から そして16時半まで。1時から拘束された自分であります。でも、いろいろあるからね、打ち合わせが長引いたり いろいろあるからいいんだけれど、事前に決めたことを 30分前に変更なんて不可能だということを理解しておかないと 客演者の確保は難しいと思ってね。と、心で話して、顔は笑顔。

2005/07/24(日) うれしかった
長野の松代のMさんが電話をくれた。現代座時代にすごく世話になったのだ。長野市の公演は 松代地区だけにしぼろうと 劇団での方針が決まったのだけど、それをM氏に報告したら 「なんで なにもしないうちにあきらめるの?それが現代座?」といわれ、結局 両方やることになったのだ。そしたら両方とも 大成功して すごくいい実行委員会になったんだ。思い出深い 長野の日々。1992年のことだもんな。あれからもう13年だ。人間には いろんな可能性が眠っている。なんとかなると なにかをすれば なんとかなるもんなのだ。そう肌で感じた。
 今日は午後また ビードリームの稽古でした。
 午前中はしんやとふたりで遊園地。
 ひとりで 車 運転して ひとりでまわりました。今までは すぐそばについていてやったのですが、今日はひとりで。しかし、遊園地しか連れていってやっていない。海も山も川もない。大阪の葬式と墓参りくらいだ。それでも 新幹線は乗れたしね。まあいいか。
 夜、長男の彼女が来て、5人でらーめんを食べにいった。初体験だった。しんやは大喜びで おねえちゃんにいいところみせようといっしょうけんめい食べていた。ほんとうにおねえちゃんが好きなんだな。「俺は3歳くらいの時、こんなんじゃなかった」と 長男がいった。お金を払う時、ご主人の弟さんですかと 店の人にきかれたらしい。あはは。

http://www5.kcn.ne.jp/~musubi/
大学4年の時 韓国にワークキャンプに参加した。ハンセン病の定着村の舗装工事だった。そのグループがNPO法人になって ホームページを立ち上げたと 電話がきた。なつかしい。

今日は うれしかったことがあったんだなって 思った。

2005/07/23(土) ヨロコンデ豚小屋の入り口
ボロボロの入り口をサッシの引き戸にかえたのだ。やったぜ。写真でもとればいいものを、いつもうっかりしてしまう。蚕室に使われていたサッシを捨てないで利用しようの第一弾なのだ。我ながらうまくいったと思う。
 
 午後は久しぶりのビードリームの稽古だった。ブナの木が協力して 8月28日に高崎の音楽センターで公演をするのだ。午後と夜の2回公演。俺は大阪弁をしゃべる猫の役で出演する。
 ひさしぶりの参加。ブナの木の劇団員は毎週参加しているけれど、俺は客演になったから、久しぶりなのだ。「なんで来なかったのよ」と、ビードリームの女の子がいってくれたのがうれしかった。あ、小学生です。

 しんや ひさしぶりにおしっこちびりました。布団にもしてしまいました。今日 初めて、土曜日の保育に預けたんです。いつもと勝手が違うから きっと緊張したんだろうな。

2005/07/22(金) ログハウス いいな
 女房の代わりにお中元を持ってまわった。Sのおばさんが寝たきりになっていたのがショックだった。脳梗塞で話すことは出来るけれど、起き上がった姿勢をキープするのさえ、むつかしいらしい。おばさんは テレビもつけずに ひとりでいた。「はやく 死にたい」といった。大阪の親父の話などした。
 ゴミも捨てにいった。大胡に30キロ、荻窪にソファや さびさびの大きな缶などを捨てた。荻窪の女性職員の方が親身になってくれていて、荷物を見て「計量なしでいいですよ」といってくれた。まあ、200キロ以上はないと思う。子供たちが見学に来ていた。テレビ局も来ていた。
 
 
 「ねえ、豚小屋 こわしてしまわない?」
 「え?」
 「せっかく蚕室をきれいにするのに、目の前に汚い豚小屋があるのよ」 
 「だから、今 廃品を使ってきれいにしようとしてるんや。それに 今こわしたら 俺の今までしてきたことはどうなるん?」
 「ほら、親父と同じじゃないの。捨てたくないんでしょ?」

 こんな会話をしてけんかをしたのだ。実はログハウスを自分で作った人の本を昨日の夜中に読んで あ、って思ったんだ。そのログハウスのコンクリートの基礎が180センチくらいあって、その上に二階建てのログハウスを仲間たちと180日かけて建てた記録の本なのだ。その基礎が豚小屋の基礎によく似ている気がして、朝一番にその話をしたんだ。
 「馬鹿じゃないの、あんなブロックを積み上げただけの基礎に建つわけがないでしょ!」
 「だから 補助の基礎も増やして」
 「問題外!!」
 「おい、そんな言い方ないやろ!」
 「いまさら 何考えてるの?豚小屋は豚小屋用の基礎にしか過ぎないのよ!!朝の忙しい時間に・・・」

 あらためて現場でみたら確かにブロックを積み上げた基礎だった。でも、自分でログハウスを建てるのっていいなって、夜中にひとりで興奮していたんだ。650万で購入したログハウスを自分たちで立てた人の本。
 
 夜の会話で 「捨てたくないんでしょ?」は応えた。確かに 廃材で作った部屋を捨てたくない。
 群馬に来る前の11年間、俺はいろんなものを拾ってきてはくらしていた。ビデオデッキ、扇風機、テレビ、ラジカセ、棚、洗濯機、自転車、小さい冷蔵庫、コート、ステレオセット、机、本・・・東京の3月は、学生さんが故郷に帰ったりするために いろんなものを捨てていく。それを拾って 使っていたのだ。けっこう使えた。群馬に来る時に たくさん処分したけれど、俺には捨てられない血が流れている。
 でも 豚小屋の9畳の部屋とかをそのままに 上に住居があったらいいなと 夜中にほんとうに思ったんだ。そして蚕室は手を加えずに ただ 広いままにしておいたら。つまり、蚕室が大きな納戸になる。これは名案!!と思ったんやけど。
 廃材を使って いろいろやっていると、東京にいた頃の自分に近くなっているのかもしれない。
 捨てるんだ、いろいろ捨てるんだ。
 豚小屋は蚕室が出来てから、こわすか 存続させるかを決断することにした。壊すとしたら 全部捨てると約束した。もっともっときれいにして 存続になるようにしようと心で思った。もっとペースをあげて 捨てるものをどんどんすてよう。まだまだ、捨てられるものはある。建具は有料になるのなら、電ノコで切り刻んで 出せばいいんだから。ゴミ置き場はつくったんだから。
 何を書いているのか わけがわからんようになってしまったけれど、やらないといけないことがまだまだあるということなのだ。
 蚕室のサッシを豚小屋に再利用するけれど、決断したら,それも捨てる、とにかく今頭に描いていることを 全部やってから壊す。ほんまに幸せな男やで。

7月絵日記の続き


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.