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2005/06/04(土)
女房としんやと3人でじいちゃんちに
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蚕室の改造の設計は 女房がする。親戚や義父までも 蚕室にお金かけるのなら、母屋を建て直せばいいのにという。しかし、母屋に対する価値観があって 簡単にはいかない。義父はそれなりのものを自分の知り合いの大工に頼んで建てたいという。叔父も自分の仕事のお得意さんに頼まないといけないという。どいすりゃいいのさ俺たちは。義父は母屋を建てるためのいい木材をとってあるんだ。知り合いの大工ならそれを使ってもらえるからと。この前 いっしょに田んぼの石拾いをした時 まわりの新しい家を指差しながら 「おとうさん、母屋が あんな家でいいですか?」 「だめた、あんな洋風な家は」 「じゃあ、あれは?」 「だめだ、あんな屋根の傾斜は」 などなど、やはりかなり母屋とはなんぞいやという価値観をもっている。 親戚の人は 簡単におやじに田んぼや畑 全部売らせて、その金で建てればいいではないかというが、それでは義父から仕事を奪うことになる。じゃあ 叔父と半分ずつ金を出し合ってつくればいいではないか?金出すのに自分たちが思い道理に作れないなんて、そんなことに金は出したくない。じゃあ、最小限度で 近くで暮し、義父と叔父とに 負担のない方法をと、そして自分たちも納得できる道として 蚕室の改造なのだ。それと蚕室で暮らすためにすぐそばの巨大豚小屋の掃除をしているのだ。しんやが遊んでも病気にならないくらいにきれいにしておかないと 何かあった時 後悔したくないから。なのに、義父は「骨折り損だ、こんなとこきれいにするのは」といつも いつもいう。何いわれたって やってやる。使いもしないくせに 20年以上のほこりをかぶった 木材を捨ててはいけないという81歳の義父の価値観も尊重しながら、きれいにしてやる。 いろいろ親戚に言われだしているだろう。強引にも前に進もうとしているよそ者の俺のことを。でも、俺にも意地がある。義兄が死んでから12年間、俺も含めてだれひとりとして もっときれいにしようとしなかったことを 今 俺たちがよろうとしてるんだ。そのことが供養になるんだ。今 そのままにして 義父が死に、叔父も死に、義父の兄弟たちがみんな死んだあと、自分たちの子供たちに片付けろというつもりなのか。俺はわが子たちに きれいな状態で残してやりたい。
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