ヨロコンデ ぶっちの日記でーす。
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2005/06/01(水) 客演者 1日目
今日から 劇団員ではなく、客演者になりました。収入は公演があった時のみのステージギャラ制です。1ステージ1万円、交通費なし。6月に公演が3つしかないと 私の収入は3万です。それに社会保険料などを全額払わないといけません。それが約3万。となると 無収入ということになります。宮城村移住計画のために 平日に時間がほしいと希望したらこうなりました。でも、これですっきりしています。自ら生きる力を信じたい。
 1991年、私は生まれて初めて群馬に来ました。現代座の「風は故郷へ」の上演準備のため、前橋に暮らしだしました。この芝居は北海道の山奥の開拓農家の話で、満蒙開拓義勇団に志願して満州に渡った主人公の誠三がシベリアに抑留され、帰国、新天地を目指して、北海道に。ところが戦後入植の地は土地も悪く苦労して、開拓の仲間たちと 子供たちのためにと分校までつくったのに、高度経済成長の中で長男はエンジュニア、長女は札幌で教師、次男はおちこぼれで職を転々としている。だれも村に残らなかった。
 もう、5家族しか残っていなくて 廃村寸前。
 そんな中、誠三がぎっくり腰で倒れてしまった。退院はしたものの、今までどうりにはいかない。そうわかったら、農協が「もう 営農計画書は 後継者がいないので 通すわけには いきません」と宣言される。久しぶりに母親の法事で兄弟たちも顔をそろえた。おちこぼれの次男は今 無職だという。
「そうよ、哲夫、あんたしばらくここで暮して お父さんの面倒みなさい、どうせ暇でしょ?」
「いやだよ、おれ、親父と相性わるいもん、姉さん、札幌に引き取りなよ」
「だめよ、うちのマンションじゃ、お父さん 居場所ないのよ。それに娘が受験だから」
「じゃあ、兄貴は?」
「俺はだめだ、また、海外勤務になりそうなんだ。海外を転々としてたから 娘が日本の学校でうまくなじめなくて、どうしたらいいのかと困っているところなんだ。哲夫、おまえしかいない」
「おい、待てよ、俺に押し付けるなよ。日本の農業に明日なんてねえよ。それに・・」
その時 誠三が現れる。
「俺はだれの世話ににもならん!!!」
と、また大喧嘩。
兄と姉に丸め込まれて、しぶしぶ一緒に暮らしだす。親子ふたりに会話もなく、目も合わさない。
そんな時、長男の不登校の娘が家出してきたと、ひょっこり現れる。奇妙な3人暮らしが 始まる。残った5家族の人々と触れ合うなかで 娘は再生してゆく。
 ある日 次男と孫は 畑の真ん中で隣のおじさんとふたりで酒のみながら話しているのをきいてしまう。
 それは ふたりの人生をたどる話だった。満州のこと、シベリアのこと、戦後のこと 戦後入植当時のこと、自分たちの人生とはいったいなんだったんだろう。
「しかし、誠三さん、あんたはここにくることはなかったんだよ。あんたには仕事の誘いがあったんだ。なのに、俺たちが連れてきてしまったんだよな。あんたの知識と技術がほしくて。ほんとに苦労させちまったな」
「いやわしはそうは思わん。ここにきてみんなで何でもやった。力あわあせてな。苦労はあったが実に楽しかった。後悔はしていない」
「なあ、誠三さん、あんたの土地は農協に借金の方にくれてやれや。土地なら俺のがある。なーに、金にはならんが、二人で生きてゆくぐらいのことはなんとかなる。また、うまいそばでもうえようや。子供なんてあてにせずに。子供たちは こんなところから出ていけたんだからよかったじゃないか、なあ」
「そうだな、なんとかなるか。土に生きた者は土に還る、それが自然の道理だな」 

 その話をきいて、哲夫はここで生きてみようと 思った。孫娘も思った。
 主題歌の歌詞   
あてのない旅を続けるよりはあの緑の谷へ帰ろう 
小さな校舎は今はないけれど 
校庭のポプラが変わらずあるはずだ 
あの頃の谷は明るさに満ちていた 
歓声がこだまする 谷間の運動会 
暮らしはどの家も 貧しかったけれど 
おおらかな笑顔を だれもが持っていた 
風は故郷へ 新しい歌を運ぶ 
風は故郷へ 新しい暮しを運ぶ

 この芝居を見て 女房が号泣したそうだ。その舞台に私はちょい役で出ていたが 記憶にないという。
 芝居のラスト 哲夫は5家族全部が生き残れるように 共同化を考える。そして実行しようと農協にかけあい 営農計画が通る。そしてみんなの前で 誠三に技術顧問として力を貸してほしいと頭を下げる。誠三は 沈黙する。あとは継いでほしいけれど、後を継いだら どれほど大変かを分かりすぎてる誠三。かわいい息子に 苦労はさせたくない。けれど、頑固親父は素直をその気持ちを話すすべさえ知らない。
「こんな時代に若いものが わざわざこんな山奥で農業やるなんてまったく馬鹿な話だ!!!しかし、本人たちがやりたいというのでは仕方がない こんな馬鹿が世の中にいてもいいとわしは思う。わしら年よりは なにかと迷惑かけることになると思うが よろしくお願いします」と頭を下げた。

 こんな芝居だった。女房の父と兄はけんかばっかりしていた。まさにこの芝居の通りだった。その兄が1993年、胃ガンで死んだ。
 宮城の親父は頭を下げることはなかった・・・
 宮城の親父の人生は 芝居の誠三にかなりだぶる。

 今、宮城村に移住しようという中に この芝居のことが原点になっているんだと思う。かなり思う。

そして 今日からしんやを 公立の保育所に行かせることにした。急な話になってしまったが、3歳の子がいっぱいいるところにいかせるべきだと、この何日間かで 肌で感じてしまったんだ。血小板はまだ45000だけれど、見切り発車だ。

 夜おそくに前の嫁はんから電話があった。前の嫁はんは 孫娘の役をやったのだ。

 ごみ60キロ 処分 無料。宮城の親父とふたりで 田んぼの石ころを拾い、水を張った。

 「風は故郷へ」を思い出したから 前の嫁はんから電話があったのいだろう。
 6月1日は すごい日だった。


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