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2005/05/31(火)
劇団員最後の日
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明日から客演になる。今日は公演があってそのあとオルグにもいった。明日からオルグに行くこともなくなるのかと思うと いっしょうけんめいオルグした。3ヶ月くらいで 復帰しようかと思っているが、復帰したいからといったって復帰できる状況にあるかどうかは その時にならないと 分からないと代表からいわれている。去年から財政が厳しいのだ。週5日制になって 各劇団が 必死になっている。今までより競争が激しくなっているのだ。1000万減収したもんね。今年もあぶない。だからリストラせざるをえない状況にある。そんな時に 客演に格下げしてほしいと突然言い出したのだから 渡りに船だと 経営者としての顔はそう思っただろう。きっとこのまま やめることになるんだろうな。でも 後悔はない。いろいろあったからね。疲れている。陰でいっても表で100%いえない自分に疲れているから。 自分を見つめなおすいい機会なんだと思う。ヨロコンデもうまくいかなくなるかもしれない。やまちゃんと立場が違っちゃうからね。 でも、自分が選んだ道、前へ進む。
「土曜日に代表に少し話したのですが、運営委員会で決めていただきたく、文書にした次第です。 家族、親戚と話合い、今年中に宮城村の実家の敷地内で 私と女房としんやとが、暮せるようにしようということになりました。 昨年、大阪の親父が亡くなりました。84歳でした。しんやは親父にとっての初孫だったのに、ほとんど触れ合わせてあげることさえ できませんでした。自分の中で 後悔しています。 しんやにとって 祖父 祖母といえる人は 宮城村の義父 たったひとりになってしまいました。その義父も 近頃 弱ってきました。女房は たったひとりの子供です。12年前、跡取の息子を胃がんで亡くしています。義父の人生の最後をしんやと少しでも過ごさせてあげたい、そのことがしんやにとって 大きな宝になるはず。そう考えました。 でも 築90年の 母屋はボロボロで、お化け屋敷です。女房が18の時 悪性リンパ腫で 母を亡くし、それ以来 掃除さえしていない状態です。 母屋を建て直すと その間の義父の暮しが 心配です。ボロボロでも 暮らしなれた環境で ひとりで生きてきたわけですから、それがなくなると もっとぼけてしまいそうで。
そこで、敷地内にある 今 親戚の物置みたいになっている 建物を改装して 暮せるようにしようということになりました。その中には 死んだ義理の兄の巨大な椎茸の乾燥機があったり、12年間、処分もされずに さまざまなものが入っています。また、その建物の周りに、豚小屋が2つあって、12年前からのごみがいっぱいです。
改装工事に入る前に、義理の兄の供養もかねて、自分の手で 廃品の処分をしたいのです。 つきましては 6月より 公演のない平日には 劇団活動を休ませてもらい その作業をしたいのです。K君が 休団する時、家の処分のために動きたいといってたこと、今 よくわかります。劇団員としての責任をはたせないですから、どんな身分になるのか 給料カットのことも含めて相談していただければと思います。
突然の話で 申し訳なく思いますが よろしくお願いいたします。」 これは五月二十三日に、事務局に提出した文章だ。 代表に相談した時、 「そんな豚小屋、インターネットで放火魔さがして 火をつけてもらえばいいのに」と代表はいった。冗談とはわかっているが・・・ こんなことを日記に書いてはいけないんだろうけれど、遺書のつもりの日記なので おゆるしを。 さあ、いよいよ はじまる!!6月が始まる!!!
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