ヨロコンデ ぶっちの日記でーす。
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最新の絵日記ダイジェスト
2006/09/05 みなさん どうも。
2006/08/29 あほや!
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2005/02/27(日) 新田荘と尾島の人々
3月の19、20日に 尾島町の閉町記念に 町の有志の人たちでお芝居をする。その稽古に顔をだしました。新田義貞が決起するための武将たちの会議の場。おもしろかった。すごいもんだな。やっぱ芝居はおもしろい。いろんな世代の人が、公演という目的にむかって いっしょうけんめいがんばっている。いいなあ。細かいこといえばきりがない。細かいことにしばられず、そこに生きてほしいと思う。だって閉町記念だもんね。町が合併でなくなっちゃうんだもんね。。この町の歴史を追体験するなかで 明日への生き方を考察してゆく、そんな取り組みがみえた。合併しても どうか義貞のように 我を失わず 長いものに巻かれず生きてくだされ。そして宋の国に修行にいってえらくなって帰ってきても自分が修行した日本のお寺に心から礼拝できる人であってください。

2005/02/26(土) 真也と遊ぶ
昨日、中古のおもちゃやにいって電車のレールをたくさん買った。ひとつ30円だって。なんかだまされた気分だが、まあ仕方ない。プラrレールなら山ほどあるけど 私がほしかったのは、お菓子付きおもちゃのレール。それを探し出して購入したのである。家にすでにあるものとつなぎあわせて 長い線路にした。狭い居間の端から端まではつながったのだ。そこに電車くんを走らせた。ぜんまい仕掛けの電車くんはいっしょうけんめい走ってくれた。真也はよろこびましたです。でも私が一番よろこんでいました。

2005/02/23(水) sayonara2
「メールをもらった、メールだしたら返事がきた。ホームページなんかほとんどのぞいてくれていない人からここまで書かれたよ」と健二は笑った。私は健二にさよならをいったから、健二に対してもう心を動かさないようにしよう。でも健二にいってやりたいことをいえなかったのでここに書こうと思う。
「あんたの子供のこととかあんたのページみて心配してくれている人もいたりするからね。きれたりしちゃだめだよ。雫井脩介さんの火の粉という小説を読んで ちょっとあんたに似ているような気がしたよ。変わりなさい、あんたなりにかわりなさい。ためないでね。さよならいったけど あんたを無視したりしないからね、いつでもおいで」私のいいたかったこと。私の名はケンジ。健二は以前の私、トラブルばっかり起こす奴だった。姓名判断したら0か100かの人生とあったので、50になるように ケンジとしたのだ。sayonara2は ケンジから健二へのさよならだったのに。まだまだ 健二が追いすがって来ている様だ。反省しよう、心から反省しよう。

2005/02/22(火) 大正12年
大正12年生まれの義父を車に乗せて 病院へ行った。検査してもらうために。後悔しないように。「脳梗塞の初期段階ということもあるからね」と グループホームの人たちが教えてくれて、あわてて、昨日予約をとったのです。そして 義父のところへ行き いっしょにいってくれとたのんだんだ。いやがっていた義父にいっぱい言葉を使ってわかってもらったんだ。今日も早めに義父のところにいって 義父がつくってくれたご飯をいっしょに食べて 出かけました。脳のCTもとりました。だいぶ耳が遠いようで 通訳としてついていったみたいなものです。ドクターは 脳に異常なしといいました。次回、脳波と心電図24時間とってみましょうといいました。義父の家にもどり いっしょに大根と人参を抜きました。義父と真也と二人で大根や人参をぬいているところを 空の下で想像していました。

2005/02/21(月) 真也の検査
22000から29000に 
でも これでよろこんではいけない、誤差の範囲です。もっとふえないと。でも入院にはならなかった。2万きったらなんていわれていたからね。

2005/02/20(日) 選挙
長男が選挙にいってくれた。我が家の投票率は100%になりました。俺ははずかしいけど 27まで選挙にいったことなかった。27から群馬にくるまでは不在者投票ばっかりしていた。群馬に来て 初めてちゃんと投票所にいったみたいなもんです。そして思った。選挙に行ったことのない人は 近所のひとたちが受付してくれることや、10人に3人しかひとが来ない選挙でも1日そこで待ってくれてることを知らないんだろうなって。だから長男には白紙でもいい、選挙いきなさいといった。まずそこから始めよう、そして権利のこととか伝えよう。長男20、初めて選挙に行きました。

2005/02/19(土) 風呂のふた
女房のオヤジが一人暮らしをしているが風呂から4時間出てなかったそうだ。風呂のふたをドアだと思ってあくせんくとうしていたらしい。大阪のオヤジがなくなってからいろんなことが続きます。不思議なくらい続きます

2005/02/18(金) sayonara
「彼がやめたのは おまえのせいだと」みんなの前ではっきり言語化された。それはちがうよ。彼は本当のことをいえなかったんだよ。と言語化はしなかった。すごくさびしい、俺もさびしいし、あなたもさびしい。お互い振り回されて こんなにこじれてしまいましたね。やっぱ直接 ぶつかることを避けて お互いがすごす時を長く持ちすぎましたね。みんなは 私自身が変わらないとどこででもやって いけないよなんていいましたが わたしがただほしいのは、「ちょっといいすぎてごめんな」の一言であったり、「あれはわたしのまちがいだったのごめんね」であったりするだけで、ただそれだけなんだけど、人を信用したりするということはすごく大変で、でもみんなは「あの人はああいう人だから、あ、またいっとるはというくらいで流していかないとやっていけないから。あんたみたいに ためていたらやっていけないよ」そうすればいいんですよね。そうすればうまくやっていけるんですよね。いろんなことが気にならないようになるし、泣きついたりもできたり、なんでも相談できたりするんですよね。みんなそうして自分のことを守りながら生きているんですよね。なんか分かりました。みなさん悪かったです。しっかり働きます。うん、0か100かじゃないように いつでも50でいられるように プチ改名もしたんやから。けど 長かったな、あのこにふりまわされてしもてたんやな、
と健二はまたわけのわからんことをほざきながら いびきをかいてねむってしましました。私は健二をあわれにおもいながら 自分の進むみちをしっかり考えねばならないなと思っています。わたしがほんとうに守らなければならないもの、そしてなぜ、長野のY氏に負けたくないのか、あんなに燃えようとするのか。答えを私はもう知っているのだ。健二にさよならを告げる時がきたようです。さようなら 長い間 ありがとうね。さようなら、ほんとうにさようなら。健二よ さようなら。

2005/02/17(木) 特発性血小板減少性紫斑病
1. 特発性血小板減少性紫斑病とは
 特発性血小板減少性紫斑病とは、明らかな基礎疾患・原因薬剤の関与なく発症し、血小板数が減少するため種々の出血症状をひき起こす病気のことをいいます。推定発病または診断から6ヶ月以内に治癒する「急性型」は小児に多く、6ヶ月以上遷延する「慢性型」は成人に多い傾向にあります。

2. この病気の患者さんはどのくらいいるのですか
 昭和57年に厚生省研究班で登録を開始して以来、毎年約200名前後の発症が報告されています。人口100万人当たり11.6人の発症があると推定されます。特定疾患医療受給者証交付件数は平成14年度末現在で31,429件です。

3. この病気はどのような人に多いのですか
 昭和60年に発表された全国集計の結果によりますと(15歳未満を小児、以上を成人とします)、小児では男女同数、成人では男女比1:3と、女性に多く発症します。

発症年齢は、小児では5歳未満がもっとも多く、次いで5〜9歳、10〜14歳の順に多くみられます。成人では20歳代後半と40歳代後半に多いようです。

4. この病気の原因はわかっているのですか
 血小板に対する「自己抗体」ができ、脾臓で血小板が破壊されるために、数が減ってしまうと推定されています。しかしながら、なぜ「自己抗体」ができるのかについては、未だはっきりとしたことはわかっていないのが現状です。

5. この病気は遺伝するのですか
 ある特定の遺伝子によって発症するような疾患ではなく、今までに遺伝家系の報告はありません。

6. この病気ではどのような症状がおきますか

 血小板は、出血をとめるために非常に大切です。ですから、この数が減ると、出血し易くなり、次のような種々の程度の出血症状がみられます。

   点状や斑状の皮膚にみられる出血
   歯ぐきからの出血
   鼻血
   便に血が混じったり、黒い便が出る
   尿に血が混じって、紅茶のような色になる
   月経過多
   重症な場合は、脳出血

ただし、いずれの症状もこの疾患に特異的なものではありません。

7. この病気にはどのような治療法がありますか

 昭和63年度に厚生省研究班で作成された治療指針があります。第一に副腎皮質ステロイドが使われ,血小板数や症状をみながら徐々に減量していくのが一般的です。副腎皮質ステロイドが無効な場合や、副作用のために治療の継続が困難な時には、手術で脾臓を摘出することもあります(「摘脾」といいます)。摘脾が無効の時にはアザチオプリンやシクロホスファミドなどの免疫抑制剤を用いることがあります。また、ガンマ・グロブリンを使った治療も、一過性の効果しかないことが多いのですが、有効率は高いので、摘脾など手術の前や緊急時などによく用いられます。また、胃十二指腸潰瘍の原因となるピロリ菌という細菌を保菌する場合、抗菌薬で除菌することで、半数以上の患者さんで血小板数が増えます。

8. この病気はどういう経過をたどるのですか

 小児に多くみられる急性型の大部分は自然に治癒し、慢性型に移行するものは10%程度です。慢性型でも約20%は副腎皮質ステロイドで治癒し、さらに摘脾で60〜70%が治癒します。ただし、それでも残りの約10〜20%は治療に抵抗性(あるいは難治性)で、出血に対する厳重な注意が必要とされますが、致命的な出血を来して死亡する例はまれなようです。

真也が6ヶ月以内に 治癒して慢性に移行しないことを祈るのみです。ヤフーで血小板で検索したらいっぱい出てきました。文字でみるとやっぱり大変やなって思った

2005/02/16(水)
もうすぐ市会議員の選挙です。ある候補の個人演説会に顔を出してみた。33人しかいなかった。年寄りたちの挨拶がつまらなく 立候補者の声は5分間だけ。初めて参加した人のためになんてことちっとも考えられていなかった。行ったら座布団がいっぱい並んでいて ひとはちょっと。雪で集まらないなと思ったら、会場を小さく設営しようとか、来た人に座布団をわたしてゆくとか。なんかそんな感覚もないんやろうかと哀しくなった。候補者が2人から3人に増えて厳しいと語っていた。20代、30代の人が選挙に行ってくれないと嘆いていた。そりゃそうだよ。この場に20代30代のひといないもん。引っ張ってこなきゃ。なんとかしても応援する人たちが必死になって引っ張ってこなきゃ。お年寄りのお偉方たちはなんで自分の家族でさえつれてこれないのだろうか。やばいよ、やばい。そんな思いになりました。わたしは1票いれますよ。約束します。でも落選するだろうな。応援している人たちにエネルギーがなかったもん。それに立候補者は 以前あったとき「今度 歌って協力してね」といったのに その後一度も連絡もなく 今日、俺の顔さえ覚えていない様子だったもんな。やっぱり口だけなんやろうな。人の振り見てわが振りなおそう!!!

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