ヨロコンデ ぶっちの日記でーす。
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最新の絵日記ダイジェスト
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2005/12/17(土) マックス
ウルトラマンマックスにはまっている。今日は号泣してしまった。ウルトラマンマックスで これまでで二本の作品で号泣している。「おかあさんが亡くなった時も泣かなかったのに テレビで泣くな くそじじい」と嫁はんにいわれるが 感動してしまうんだから仕方がない。いままで生きてきて たくさんの作品で号泣してきた。「七人の侍」「ニューシネマパラダイス」「フィールドオブドリームス」「オーロラの彼方に」などなど。たくさんのいいものと出会ってきた。しかし まさかウルトラマンでとは…俺が号泣している時 俺のひざの上で しんやは俺の号泣による体の震えを感じていた。とにかく 感動した回の分はDVDに残しておこうと思った

2005/12/16(金) ちょっと苦しい
1998年 俺は 入団した。Mさんがやめるというので その後釜として。Mさんのやっていたことを引き継いで。Mさんは1991年から1998年までの8年間。
俺は1998年から2005年までの8年間 劇団員だった。
Mさんの長男はMさんが40才の時 生まれた。なかなかできなかったのが40才の時できたんだ。日赤で生まれた。主治医はI先生。実はしんやも日赤でI先生なのだ。俺が40の時。俺は親父が40の時の子供なんだ。おもしろいもんだ。
そのMさんは52才の時、スキルス性の胃がんで他界した。俺がすぐにでもやめていたら Mさんは劇団に復帰していたかもしれないと考えることがよくある。「舞台で死にたい」Mさんは奥さんに支えられながら 劇団納会でそういって「ひっよっこりひょうたん島」を歌った。それがおれがみた最後のMさんだった。
Mさんは 市会議員の選挙に出るためにやめたのだが 落選。そして福祉の仕事についたのだ。ストレスがいっぱいあったのかもしれない。もし おれがもっとはやくに やめていたら Mさんが復帰していたかもしれない。
俺はやめた。客演として続けているが 来年の8月に52才のベテランの人が入団してくる。俺は不要になる。さみしくもあるが しかたのないことだと思う。野球選手と同じで自由契約になるということだ。正式には話はないが、今俺のやっている役の稽古が1月から始まる。そう決まっているらしい。正式にいってもらえないけれど、ちらちらとみんなが伝えてくれる。それをきいてしまったら毎日の芝居が狂いだしている。やっぱり自分がかわいがって育ててきた役を他の人がやるんだなと思うだけで苦しい。自分が引き裂かれてしまうような感覚なのだ。でも仕方のないこと。劇団員は社員だもの 社員の生活を守るのが社長だもの。今以上に稼げる現実はないし、また、稼ごうという意志をみんながしっかり持てるわけでもないし。
 ただ、52という数字が気になるのだ。
52、あと8年だ。さて がんばんなきゃね。しんやに誇れる生き方をしなければ。金なんてなんとでもなるさ。金よりも まっすぐに生きている父を見せてやりたいんだ。そう思う。ぐじゃぐじゃいいながら劇団員でいることに疲れたのだ。だからやめたんだ。そうだろう。不安はいっぱいある、でもそれはほんとうにこまっていないから不安になっているんだ。ほんとうにこまっている人はそれどころではないはずだ。甘ったれている自分がいるだけなのだ。
世の中にはいろんな人がいる。
「年金をもらうより 生活保護をもらったほうが額が多いんですよ。どう思います?」ある、市の職員の人が話してくれた。そうなのか。「離婚したことにして 母子家庭手当てもらって 同居している人もいっぱいいるんですよ。まったく困ったもんだけれど、あなたはちゃんと払ってくださいね。52才まで国民年金払わないと資格がありませんからね。免除申請は却下されたんですからね。」
ここでもまた52が出てきた。52、しんやは12才、ショウタローは29才。あと8年、
昔、坂本竜馬にあこがれて33年人生説をよく語っていた。坂本竜馬のように太く短くなんて思っていた。33歳の時、しっかり生きていた、健康そのものだった。「おまえはまだまだ生きていない。だから生きなさい。坂本竜馬に及びもしませーん」と神様に言われたようだ。それから11年、まだまだだ。あと8年と思って、必死になってごらんとMさんがいっているような気がする。あと8年。
国民年金 しっかり8年間 払おうと思う。Mさん、応援してね。

2005/12/15(木) sayuri
タイヤを買いました。保育所のおかあさんが働いているスタンドで。なんかうれしかった。一番 安いスタットレス。いままでのは1997年に購入したものをはいていました。ようやく替えたのです。
さて、木曜日 映画1000円の日。サユリを見ました。いやあ、なかなかのもんでした。マイフェアレディだったんですね。しかし、すごいセット。すごかったけれど、少女時代のサユリがめちゃくちゃかわいかった。

夜は カウントダウンの実行委員会
「ああ、議会庁舎は 人なんか集まらないよ、全然 心配することはない」これは おれの目の前で 県の職員の係長がいった言葉。目の前でだよ。陰ではなく目の前でだよ。くやしかった。まあ、いやいや31日に動員かけられているんだろうけれど、県民が主体になってやっているイベントという大前提があるのに、目の前でそれをいえる神経を疑うし、こんな人が県の職員かと思うと哀しくなる。けんかしたい気持ちをぐっと おさえた。おさえろとやまちゃんがいったからね。
でも くやしい、くやしかったよ。

2005/12/14(水) 仰木監督
近鉄 オリックスの監督だった。死んでしまった。肺がんだったらしい。野茂やイチローは かれが監督だったから 今があると ファンのひとりとして思っている。野茂の投げ方を変えさせたいといろんな人が思ったらしい。でも野茂は変えたくないとがんばった。監督は「いいよ、好きにやりな」と野茂をみとめたらしい。そしたら 開花した。監督がやめて 違う人になったら また衝突。それで メジャーに行ったんだ。そして大成功。イチローも巨人からきた監督とうまくいかなかった。ふりこ打法をかえさせようとしたんだ。でも、イチローはかえなかった。そしたらほされていたんだよね。それで仰木監督になって、「それでいいよ、好きにやりな」ということになったら開花したんだ。そんな仰木さんだった。
さようなら。近鉄戦士が またひとり・・・
中村が帰ってくるらしい。パウエルが巨人に行くらしい。巨人にいってだめになるだろうな。

2005/12/04(日) 蚕室
ひさしぶりに行ったら もう浄化槽は埋め込まれていた。二階に上がる階段も設置されていた。ベランダの屋根が出来ていた。少しずつ完成に向っているのに 豚小屋はちっとも進んでいない。少しあせりを感じてしまった。

2005/12/03(土) 最後の雨
中西やすしさんのらいぶにいった。知人がそのらいぶの始まるまえに ベースを弾いていた。かっこよかった。そうか、照明 音響 ばっちり決めて こういうホールでやれたらいいな。ヨロコンデではなく イサム ヤマコシ スペシャルライブとして おやじロックの仲間やカウントダウンの仲間とバンドを結成して 俺がプロデュ-スして 1000円のチケットを600枚 実行委員会を結成して 手分けしてなんとか出来たら 60万あるから 照明も音響も業者さん頼んで。いや 照明は俺がなんとかやって お金浮かせて。ポスターやチラシをつくってなどと考えながらライブをきいていた。そうなのです。2001年から5年経つのです。やまちゃんにとってのこの5年。その記念に ちょっとやってみたいななどと考えながら・・・
 中西さんが「歓送の歌」をうたってくれた。涙がでそうになった。2002年に やまちゃんが歌いたい歌なんだと テープや歌詞をくれたのに まだ一度も 練習さえもしていないのが「歓送の歌」なのだ。カウントダウンで 歌おうと思う。
 韓国からきたZEROさんも歌った。おばちゃんたちが 大盛り上がりだった。韓流ドラマの歌らしかった。俺は何をきいても 愛はかげろうに聞えてしまう。聞けてよかった。

2005/12/02(金) カウントダウンのポスター
大きなポスターが出来た。写真入りだ。なんかうれしい。今日は みんなでポスターを1枚づつ棒にしたりする作業をした。おもいだすなー1989年から1997年まで こんなことばかりしていたんだもんな。現代座の公演を成功させよう。700枚のチケットを売って 満席の劇場をつくろうと実行委員会をつくって みんなで作業したりしたもんな。いっしょに何かを作業したりすることが大事なんだよな。やっぱ カウントダウン議会庁舎組も 一度集まってみるかな。そして いっしょに作業したりするかな。15日が当日の案内パンフレットの最終締め切り日だから その前に集まってみるかな。うん そうしようとちょっと思った ぶっちでした。

2005/12/01(木) いざ 議会庁舎へ
カウントダウンの会場の打ち合わせにいったのです。当日 仕込みをしてくださる ワイ・ビー・ファクトリーの人を連れて。残響をとるために布を金具でつる許可をしてくださいました。夢が広がります。ガラスのところに 白樺の木をあしらった幕を 両サイドに空色の幕をつってみようかと考えました。舞台な30センチ高。照明は舞台あてに2灯、セットがわりの階段を色で染めるための可変で3灯。これならできるか。組み立て式の舞台はトラックで搬入してもらい、赤いじゅうたんをいためないように コンパネをまず敷き その上に。だんだん大掛かりになっていくけれど 県の予算より すごくオーバーするだろうけれど、12月31日に ダンスではなく こちらにきてくれた人にせいいいっぱいのものをみせてあげたいから。30日から準備しようと打ち合わせた。県の人はいい人で 電気のことを調べるために私たちを地下までつれていってくれた。


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