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2004/11/27(土)
おやじ
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朝、兄貴から電話があった。「親父 あぶないんや、体温が32度に下がってしもたんや。医者は覚悟してくださいといいよった」 親の死に目にあうためには大阪にもどらんといかんのやけど、何かあったらすぐ知らせてやっといって電話を切ってしもうた。今すぐ 帰るとは言わなかった。 親父 ごめんな ほんまにごめんな。 月に一度は帰ると決めたはずやのに、帰ることより、ヨロコンデや金を選んでしもうた俺を許してや。 真也が3歳になった翌日にこんなことになるとは・・・ やっぱり 真也が3歳になるまで 守ってやってくれてたんやな。ありがとうな 親父
小さな工場で 働き続けた 大きな手の平 とても硬い
幼い頃にはその手に引かれて どこへでもついていった俺だったのに
父さん ゴメンよ 父さん 長生きしてよ
やっと生まれたよ 父さんの孫だよ 80過ぎて 初孫なんて あまりにも遅かったよな
この子が大きくなるその日まで どこへでも連れて行ってほしかったのに 父さん ゴメンよ 父さん ありがとう
今 28日も1:17分 まだ兄貴から死んだという知らせはない。
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