ヨロコンデ ぶっちの日記でーす。
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最新の絵日記ダイジェスト
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2006/08/29 あほや!
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2004/10/10(日) 渋谷で公演
 3年連続で渋谷の児童館公演だ。1年目が「アシマ」2年目が「べっかんこ鬼」そして 今年が「おこんじょうるり」
今回は自分が出演していないので 東京の知り合いにお知らせをする熱がない。あかんたれやな、でも前の奥さんにはメールした。あんな想いしてきた 芝居仲間やから。息子連れて見に来てくれたらいいなって思う。返事が来て、息子の運動会が雨で延期になって10日になったと、だから行けませんと。残念。でも返事をくれたことがすごくうれしい。お互いに しあわせになっていることを確認しあえるのがうれしい。もし、何かあったら、群馬にきて 一緒に芝居をやれたらいいなって思う。うちの劇団なら あたたかく迎えてくれると思う。
 中島らもさんの「お父さんのバックドロップ」が公開されて、初日が台風でだめだったので 今日、渋谷へ行ってみてきたよ。よかったよと 夜 大切な親友がメールくれた。渋谷に」いたんだ、「おこんじょうるり」のこと 知らせればよかった。あー 反省や。自分にバックドロップや!!!

2004/10/09(土) べんけい狐
 K君がいなくなってから べんけい狐をやっている。
 けれど、今、若いH君に移行させる稽古をしている。
 短かったな。入団してずっと、裏やったから。他の作品では主演やらせてもらってるし、がんばってるつもりやけれど、うちで一番上演回数が多い作品の主演の3人組の一人がべんけい狐やから。なんか、屋台骨を支えている役やと、裏やりながらずーと思ってきた。それが K君がいなくなって 俺がやることになった。おやっさんの奥さんには「基礎がないから」とかいろいろいわれたけれど、俺がやることになった。なのにこんなに早く違う人にやらせるようになるとは。
 やっぱ チャンスを生かしきれんかったんやな。情けない男やと自分で思う。H君は期待されている。俺は期待もされとらん。おやっさんに嫌われている。反発ばっかりしてきたからな。かわいくないんや。K君みたいに泣きついていったこともないしな。そら扱いにくかったやろう。
 H君がやれるようにしておけば、俺がいなくなっても この作品さえなんとかなれば生き残れると思う。
 俺 この作品大好きやし、これをどれほどたくさんの先生に職員室で話てきたか。俺の入団してからおととしあたりは この作品を見てもらうことに 本気になっとったもんな。でもNさんの愚痴退団あたりから、おかしなってきて 本気になっている自分より 一歩引いている自分がいる。真也といっしょにいたいことはいたいけれど、そのことを口実にして逃げている自分がいることも事実なんや。あー こんな生き方がしたくてここまできたのか?
 いろいろ決断しなければならない2004だと思う。
 H君に やらせること 事前にだれも相談してくれへんねんもんな。普通なら相談してくれるんとちゃうかな。それが 突然の全体会 発表やもんな。そこで、ちょっと待ってくれと ごねればよかったんやろうけれど、俺 狐やりながら スクリーンに映る影絵に納得でけへん自分が存在していた。だから、子供たちのためには俺が裏やったほうがええんかななんて 考える自分もいたりして・・・
 やっぱ 俺は あほなんやろな。
 前の劇団でも おだてりゃ何でもやる あほやと陰でいわれとったらしい。
 でも、俺はぜったい 泣きつかない。自分がやめられないなら 中途半端であろうが やりつづけるしかない。
 あー 支離滅裂や。

2004/10/08(金) ヨロコンデの稽古
 24日の大胡のライブに向けての稽古をした。まず、選曲、して練習。ふたりでいろいろ話をしながら。
 話題は やっぱりk君のこと。
 彼はいったい何を考えているのだろう。あれほどおやっさんにかわいがられたのに・・・
 人はみな 出会いと別れをくりかえすものだけれど、あの日、東京に出て武者修行をしたいと彼が直訴したから おやっさんはすぐに了解して 期待していたのに。そして、彼の穴を埋めるために新しい人材を発掘したのに。ところが 2ヶ月ほどしたら、やっぱり東京へはいかないという。そして、県内のアマチュア劇団に参加してみると・・・ところが、参加してみてつまらなかったと おやっさんに 最近報告したらしい。そんなことあたり前、どっぷり漬かって、演出とけんかしようが何しようが、いい作品にしようとしない限り、お客様の立場でいたら アマチュア劇団ではつまらないのが当たり前だ。何を期待していたんだろうか。
 かわいがられていた彼、きらわれもんの俺。あーあー。
勝手にしたらいいわと思うんやけど、やっぱり心配やな。
 彼の奥さんは 金持ちのいい男を見つけたんやろな。彼は捨てられたんやろな。彼が何にもはっきりしたこと話さない分だけ 想像は拡がるばかりや。
 あー、あー、K君よ、もし これ読んで 腹立てたんなら なんかいいにきてくれや。長いこと いっしょに仕事してきた仲やないか。でも俺のせいで 腰が悪くなったと おやっさんに話したらしいけどな。おやっさんが 5月のメールそのまま読んできかせてくれたで。俺のこと呼び捨てにしてた あのメール。
 なんやかんやいうても やっぱり心配やな・・・・
 あー 俺もあほや

 大胡のライブは 彼のために 長渕の「泣くな そんなことで」「人間」を歌う。彼は来ないやろうけど、俺は彼のこと考えながら歌うつもりや

2004/10/06(水) 稽古
今日の稽古に H氏が見学にきた。彼はアマチュア劇団を 20年以上も主宰している人なのだ。その彼が 1日 うちの稽古を見ていった。どんな風に 思ったんだろうか。ぶっちはうちの演出から いっぱいいっぱい学んでほしいと心から思った。子供たちに見せるために、子供だましではなく、本物を30年以上も追求し続けてきた演出の想いをいっぱい いっぱい感じとって 自分たちの芝居に生かしてもらえたらと 心から思ったんだ。東京からくる演出よりも この群馬にこれだけの力のある人がいるんだから、もっともっと相談したりして 上を目指してもらえたらって 本当に思うんだ。

2004/10/05(火) 雨の中 東京へ
 来年に向けて東京の学校にパンフレットを持っていった。すごい雨だった。午前 稽古に参加して 午後からだったこともあり、こちらのテンションがなかなか上がらず、しかも雨。運さへも味方はしてくれなかった。担当の先生と会って話したい。
 ほんとうは 人として話したい。人として接してもらいたい。でも、そうはなかなかならないのが哀しいけれど、現実でもある。たくさんのたくさんの劇団があって、みんな同じようなことをしてるんだから いやがられるのは当たり前。ほんとうになさけない業界です。だからこそ、本物になりたいと思うんです。本当に思うんです。
 1991年、新潟の熊さんに「有名になるよりも本物になってください」といわれた。あれから13年、本物になっているだろうか、そう自分に問いかけつづけなけりゃならないと思う
  
 わが子に恥じない仕事をしたい
 人として存在したい
 人の中で存在したい
 自分でないと出来ない仕事をしたい

 自分自身のかけがえのない人生を愛したい

 まだまだ未熟なんだ。心を開いてもらえないということは こちらに非があるんだ。まだまだ 未熟。もっともっと本物になりたい。そう思いながら 雨の中、走って帰った。


  前橋市ボランティア団体連絡協議会 10周年記念イベントの実行委員になってしまった。ヨロコンデが歌うのです。ステージのコーナーがあって 7団体がやりたいといっている。今日はその第一回目の実行委員会だった。東京からなので1時間遅刻してしまった。遅刻しないようにと仕事をはやく切り上げるわけにはいかない。ついたらもう分散会になっていて ステージ部門の部屋にいった。はいって すぐに副実行委員長になってくれという。あほかいな。形だけつくりたいんかいな、7団体のうち2団体しか参加していないのになんで そんな大事なこと決めれるねんと ぶっちはごね出して 延期となった。嫌われもんや。世の中には断り方があるやろうに、ほんまぶっちはガキやで。自分はどれほど 過去においてだれかを実行委員会の役につけてきたか。現代座時代、そうです。実行委員会をつくることが仕事だった あの10年間。でも たくさんの人がいて体制は決めていたし、いっぱいいっぱい言葉を使って やってもらいたいということを伝えたし、それさえないのに突然 部屋にはいっていすにすわったらいうんやもんな。
 あー 実行委員か。10年間出会ってきた人たちよ。ぶっちは 実行委員として思いっきり力を発揮するべきですか?実行委員会が楽しかったところは大成功しましたね。人も集まらずに細々とやっていたところは大失敗しましたね。7団体のうち2団体しかきていないんだから どんな意識かはもう見え見えです。自分たちがステージで やれさえすればいいと思っているだけで、自分たちが作り上げていこうなんてことは ひとつも考えていないんです。そんな人たちを実行委員にしてはいけないんです。
 ただやりたいだけの人と 実行委員として作り上げてみたい人とを分けて はっきりさせていくことがほんとうに大切なんです。名前だけの7人よりも 本気の2人だと、ぶっちは思う。

 

2004/10/04(月) 巻町で公演
新潟の巻町での公演だった。会館でも2ステージ。巻町は原発で有名な町。「起きっせい、だいだらぼっち」この命のテーマが伝わっただろうか。久々のだいだら公演で、みんなかたくなっていた。ぶっちもそうだった。声がのどにひっかかり、なかなか腹に落ちなかった。でも2ステージ目は少し落ちた。こどもたちは正直で、腹から声が出てないと、熱演しすぎる役者と察知して、引いていく。リラックスしてのびのびやればついてきてくれる。自分の子供の頃もそうだったと思う。
 家にもどったら、今日、真也がヨロコンデの「ナガサキに雨よ降れ」を保育園で先生たちに 意味のわかるようにちゃんとうたったらしい。すごいことだ。脳に刻み込んでおいてほしい。命のこと。

2004/10/03(日) 昨日 コントをみた
足利まで車走らせ芝居を見にいった。長く仲間だった彼が客演しているので 彼から誘われてなくても見ようと心に決めていた。そしたら前日に誘いのメールがきた。ワハハにいた人が作った劇団の芝居で 笑った。中途半端でないのがよかった。彼はデビルマンをやっていた。幼稚園児をやっていた。赤塚マンガのベシをやっていた。いっしょうけんめいやってた。お客さんもいっぱいで 盛り上がっていた。 お疲れさま。コントはむずかしい。素の自分で勝負だからね。でも芸達者の人達が何人かいて 若い素朴な女の子らがいて。二時間長くはなかったよ。

2004/10/02(土) 冷蔵庫
15年使った冷蔵庫を買い替えることにした。奥行45センチという冷蔵庫で重宝していたのだが ちと調子が悪い。それで決意した 真也ママだった。「電気代がめちゃくちゃ安くなるんやから!」確かにそう思う。しかし 奥行45センチのは店にはなかった。あることはあるが取り寄せで そんなに安くはできないという。仕方なく 奥行60センチのにした。しかし、今の場所に置いたら 人が通れない。それで今日 ダイニングのレイアウト大変更とあいなりました。そしたら すっきりしてなかなかのもんです。もっと早くこうしておけばと思うことしきり… あー 冷蔵庫よ おまえは来週ゴミになるんやね。もっと早くこうしておけば 買わないでおこうということになったと思う真也パパとママでした。さようなら 奥行45センチ

  写真はうちのちびまるこです、わん。


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