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2010/02/19(金)
みけちゃんは永遠です
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やっと気持ちが落ち着いてきました。 しばらくは思い出しては泣いていましたが
実は愛するみけちゃんが1月末、私が帰国する少し前に永眠しました。
22年も生きて、私を癒してくれた娘のような、親友のような猫でした。
うちの裏庭に現れたノラ猫で、すで子猫ではありませんでしたので、うちに来て22年。 超長寿の愛しい子でした。 やってくるなり、私の膝の上でごろごろしてくれて、人懐っこい性格でした。
一瞬でこの猫を飼おうと 思った理由はまだあったんです。 その半年前に、広島に来てなんか淋しくて初めて飼った、ニャン太郎と名付けた、目がくりくりして、 私のあとをいつも着いてくるような可愛い猫が亡くなったんです。 それで落ち込んでいたところに、そっくりな顔と性格で現れたんです。
ニャン太郎が帰って来た!と嬉しくて。 みけちゃんは女の子でしたけどね。 一瞬で仲良くなれたんです。
それからずっと我が家にいてくれました。 いつも癒してくれて、楽しませてくれて、 可愛いくて仕方ない子でした。
22年めに発覚した癌。 すでに乳腺癌から、肺や全身に転移していました。
いつから癌だったのか……猫だから、何も言わず我慢したんでしょうね。。。 顔にできた腫瘍を心配して病院に連れて行ったら、 その当初は20年目でしたが、高齢だし、悪性でないから、手術はやめましょうといろんな病院でいわれました。
でも昨年春、 顔の腫瘍がだんだん大きくなるので、気になり別の病院へ。 その時、癌がわかったんです。 しかしすでに高齢なので、それからの悪化は遅いだろうし、手術はどこの先生もされませんでした。
しかし顔にできた腫瘍は、取っていただき、身軽になり、相変わらず食欲もものすごくあり、本当に癌の末期とは言えないほど、 元気に見えていました。
昨年四月には、いつ亡くなってもおかしくないほどだと、一ヶ月もたないかも……などと宣告されてからも 食欲は衰えず、 癌末期なんてウソみたいだったのに……
昨年12月半ばから少し食欲が落ちてきましたが、それでも普通の猫と同じくらいは食べていました。 ただ年末、あまり食べていない日があったり、食べていたり、 あまり食べてない日は私がスプーンであげるとペロっとひと缶は食べてくれたりしたので、気にはなりましたが、私はNYに行ってしまったんですね。
留守中面倒を見てくれてる友達から、 食欲が本当になく、ふらついていると連絡あり、 私がNYから病院に連絡して、 入院。
毎日病院とコンタクトをとって様子を聞かせてもらいました。
酸素室に入り、点滴をしたら、 自ら食べはじめたと、
だから、私が帰るまで大丈夫かもしれませんね、と看護婦さんから聞き、ちょっと安心してました。
しかし、入院して3日目だったか、 NYから電話をしたら、 "すみません、みけちゃんが亡くなりました…" と。
朝6時にはすやすや眠ってたのですが、7時に行ったら、亡くなっていました、と。 帰国されるまでもたせてあげられなくて、すみませんと、看護婦さんがすごく気の毒そうに謝ってくれて、帰国したら会えると期待しただけに、急な展開にショックで、思わず涙がこぼれましたが、 でも とにかく有り難い気持ちが大きかったです。
一昨年天国にいった20年生きた黒ちゃんも、私がNYに行っている間に急に亡くなりました。
私がいない間に二匹とも。。。。。 それが私にはとても悔やまれ、情けない気持ちになり、悲しみも倍増します。 最期側にいてやれなかったことを謝っても…… 間に合わないんだから。
でも留守中に大変お世話になった、まきこさんにも本当に感謝でした! 帰国して千葉で仕事して、 広島へ帰りました。 悲しみがどっとやってきて、 みけちゃんがいなくなった現実をようやく 受け入れなければならないので。
部屋に入ったら、まきこさんが、 きちんと供養してくれていました。 ろうそくや線香、水や御飯など、ミニ仏さまを作っていてくれたんです。 それが救いでした。 お骨を受け取ってきてくれていて、写真までちゃんとあって……。 そこまでしてくれた有り難さをしみじみ感じ、まきこさんの優しさがものすごく嬉しく、 なぐさめられました。
未だに涙がでそうになるときもありますが、 だんだんみけちゃんがいないことを受け入れられてきました。
いまは一匹になってしまった、よまちやんに慰められています。
みけちゃんは私の中に永遠にいてくれると思います。
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