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2005/06/02(木)
『新・会津の風土』を下書きしました・・・!
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会津の風土を考えるとき、大きく分けると自然と文化そしてそこに暮らす人々との関わりを書かなければと思います。 会津は云うまでもなく雪国ですから、冬の季節は厳しいものがあります。 来る日も来る日も降り積もる雪との闘い、そんなことも珍しいことではありません。 長かった冬が終わる3月の彼岸には、独特な囃子方の音色に合わせて3匹の彼岸獅子が無病息災・家内安全・商売繁盛を願って街中を舞歩きます。 喜多方の春一番を告げる歴史的価値のある獅子舞です。 会津の各地には色々な彼岸獅子がありますが、他と一線を画しているのが喜多方下柴の彼岸獅子。 ひとくちに会津を語ることはできませんが、雪融けの中から芽生えてくる山野草、樹木の芽吹き、どれをとっても素晴らしい感動を私達に与えてくれます。 飾り気のない素朴な自然を自分なりの眼で確かめて、田んぼの畔に咲いてる小さな花にも、ちょっとした風景にも感動を覚えるような感性を養うように私は心掛けています。 感動の心を忘れてしまえば、皆さんにその素晴らしさを伝えることは出来なくなるからです。 8月盛夏の候、喜多方を二分する「小荒井/小田付」の夏祭りには独特の囃子方と数寄屋造りの山車〔太鼓台〕が街中を練り歩きます。人々はyosakoiという新しいリズムに心躍らされます。 稲刈りも終わって周囲の山々が紅く染まり秋も終わりに近付く頃、樹齢800年を越える大銀杏が黄金色の絨毯を敷き詰めて「新宮熊野神社長床」の前に神々しく輝きます。 正に千年の浪漫が今ここに蘇るような錯覚に陥ります・・・。「長床」は鎌倉時代の修験者の道場だったと聞いております。 喜多方市内及び近郊には約2,600棟もの蔵が点在しています。 構造も粗壁、白漆喰・黒漆喰壁そしてモダンな煉瓦蔵と様々です。蔵は耐火性そして物資や財産の貯蔵性に優れていることから、明治の時代には一生懸命汗を流して働く姿こそ「蔵を持つことは、男一生の浪漫」とまで云われたのでしょう・・・! そういう意味では蔵は形として現存するものばかりでなくて、人々の心の中にも『無形の蔵』があったのかもしれません。 また素晴らしい技術を誇る職人が居たことは、モダンな煉瓦蔵のアーチ構造からも推測されます。 素朴な蔵の街をあなたの足でゆっくり歩いて散策されては如何ですか・・・。 きっと私も気付かなかった、素晴らしい光景に出会えるかもしれません。 終わりに北西には秀峰飯豊連峰〔父〕が、そして東には稜線穏やかな雄国山麓〔母〕が、喜多方の風土をいつの世までも守ってくれていることを書き忘れてはいけません。 〔今日の写真は「ダイアンサス」です。〕 ※平成15年の春にポット植えの苗を10個購入して以来、多年草で毎年素晴らしい花を咲かせます。
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