サイトではお伝えできない管理人の心情を、絵日記をとおして皆さんにお伝えします。
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最新の絵日記ダイジェスト
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2005/06/13 最低限の『ルール』は守って・・・!
2005/06/12 新しい『Blog』を作りました・・・!
2005/06/11 『ひめさゆり/2005』今が旬です・・・!
2005/06/10 『ひめさゆり』ようやく見頃となりました・・・!

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2005/02/28(月) 会津の『春』の取材へ向けて・・・!
 今朝の冷え込みは厳しいものがありました。
車で計測した外気温は氷点下7℃、昨夜吹雪いた雪が今朝は凍結してアイスバーンになっていました。行き交う車は皆ノロノロ運転で、時速20km程度しか出ていません・・・!
今日で2月も終わりですが、この時期にしての路面凍結は珍しいことだと思います。
ダイヤモンドダストまではいかなくても、樹木には霧氷ができていました。
いつもこのような光景を撮影したいと思うのですが、会社への通勤途上ですので諦めるしかありません・・・。
今回の週末もお天気は芳しくなく、写真撮影はちょっとしかできませんでした。
プロ野球もオープン戦が始まりました。
低迷している私の写真撮影も、これから徐々にではありますが『春』の取材へ向けてウォーミングアップしたいと考えています。
先ずは、『彼岸獅子』それから『福寿草』の順になるのでしょうか・・・?
◇◇◇◇◇◇『彼岸獅子』について調べてみました。◇◇◇◇◇
会津の彼岸獅子
 彼岸獅子は喜多方市関柴町下柴にある「下柴獅子団」による「下柴の彼岸獅子」と松山町中村地区の「中村彼岸獅子保存会」による「中村の彼岸獅子」とがある。
毎年春の彼岸の3月18日から24日まで五穀豊穣や悪霊退散を祈願して戸毎にめぐって舞う。
彼岸獅子は舞いは獅子3名と弊小僧1名による。獅子は太夫獅子・雌獅子・雄獅子の3名で、衣装はいずれも獅子頭を被り。「着物といっている背には鳳凰を染めた上着、波を染め抜いた袴をはき、赤緑の白手甲、脚半(きゃはん)白足袋で、腰に太夫は黄色、雌獅子は赤、雄獅子は青のひっこきをさげ、「腰太鼓」をつけ、ばちを持つ。
獅子頭は張子で、いずれも牙があり、さらに太夫と雄の獅子には角が左右に2本ある。
 囃し方は笛と締太鼓で共に3、4名程度であたる。歌い手も数名つく、このほかに弓持ち1名がつく。
由来と沿革
下柴の彼岸獅子 地元の伝承では、天正年間に全国に悪疫が流行した折、下柴の古橋角(覚)太夫が京都の御所に鹿殿を建て、獅子舞を演じてその退散を祈願したところ、たちまちにして平癒したので「天下一鹿殿」の号を賜ったと伝え、大判の紙に「天下一鹿殿 関白村 古橋角太夫」と書いてある。この古橋角太夫は下野国(栃木県)の獅子太夫で、寛永年間(1624〜44)に旅の途中に下柴に住みつき、舞を伝授したというのである。角太夫の墓とも供養塔ともいわれる石造りの五輪塔が集落内の菩薩山安楽寺に残っている。
下柴の彼岸獅子は、会津の彼岸獅子の中でも最も古い歴史を持ち、しかも所作にも古風を良く残しているため、彼岸獅子としては唯一、福島県の重要無形民俗文化財に指定されている。
中村の彼岸獅子 地元の伝えによると、江戸時代に「関東火挟流」の池田方(満)太郎がこの地を訪れて、獅子頭を作り、舞を伝授したと伝えている。舞い込んだ家に配るお札には「天下泰平五穀成就 中村 鎮防火災祭獅子躍祈祷之牘 家内安全子孫長久 池田万太郎」とあり上中村の南方には、現在雑草地になったが太夫屋敷という地名がありここが万太郎の屋敷跡と伝えている。
ところで池田万太郎についても、明らかでない。関東火挟流というのは文挟流のことで、訛って「文」が「火」と変わったものである。福島県では下柴を初めとして、南会津郡田島町の高野と栗生沢もこの流といっている。
文挟は栃木県今市市文挟のことで、ここを本拠地とされる獅子舞を文挟流という。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
〔今日の写真は「胡蝶蘭の光と影」です。〕

2005/02/27(日) うーん、今日も寒い一日でした・・・!
 今日も、吹く風は冷たく寒い一日でした。
逆に言えば、今日みたいな日は、珍しいのです。
何故って、カメラを全く私は持ちませんでしたから・・・。
うーん、風邪気味のこともありますが、お天気が全く良くありません。
 昨日は、絵日記にとんでもない短歌を書いてしまいました。
あとで気が付いて、失敗したと思いましたが、間に合いませんでした。
短歌のことはさておいて、『冬の訪れ・・・』のコーナーにアップしました、『雄国山麓の風紋』如何でしょうか・・・?
この時期にしては珍しいと感じますが、今日も氷点下です。
私の心の中に想像する『風紋』、それは写真では表現できないものです。
車を運転していて、急に横殴りの吹雪があったとします。
そこにできる自然の営み、吹雪と時間の経過が造り上げる自然の造形・・・。
風と雪が造り上げたものを私としては、イメージしています。
なかなか難しい表現です。この写真を撮影したときも遠くでは吹雪いていました。
〔今日の写真は「我が家の庭に積った雪」です。〕
※この雪は、昨日片付ける前に撮影しました。

2005/02/26(土) 寒さ身にしみる一日でした・・・!
 今朝起きてみたら、喉の辺に痛みが・・・、うーん、何となく風邪の兆候があるようです。
取敢えず市販の風邪薬を服用しました。
外へ出てみると、今週降った雪が屋根から落ちて山のようになっていました。
風邪をひいてはいますが、このままコタツに当っていたのでは芸がありません。
ちょっと『逆療法』を思いつきました。
先ず、身体の中から暖めるために、アルミのスコップを持って雪の山を、スコップ一杯ずつ何度も何度も片付けました。
ほど良く身体が温まってきたら、汗を掻かないうちに上着を一枚脱いで、黙々と雪を片付けました。
40分程度身体を動かしてから、パソコンに向かいました。
身体が温まっているせいか、上着を脱いだままファンヒーターにあたっていても、寒くはありませんでした。
ちょっとくらいの風邪でしたら、少し運動して身体を芯から温めた方が効果的のような気がしました。
午後に、ちょっと晴れ間がのぞきましたので写真撮影に『雄国山麓』方面へ出掛けてきました。
写真撮影している私に当たる風は冷たく、ピンと合わせをするのも億劫になるほどの冷たさでした。
2月も間もなく終わるのですが、氷点下1.5℃の気温でした・・・。
防寒着をまとわないで出掛けたものですから、写真撮影はそこそこに切りあげました。

◇◇如月の 終わりに近し 雄国山
◇◇我が身にあたる 風は冷たし

写真の出来はイマイチでしたが、本日のトップ頁と「冬の訪れ・・・」のコーナーに一枚アップしました。
よろしかったら、ご覧くださいね・・・。
〔今日の写真は「春を待つ心」です。〕
※我が家の垣根のドウダンツツジも新芽を伸ばして、春が来るのを心待ちにしているかのように見えました。

2005/02/25(金) Stop the『風邪』・・・!
 今日のお天気は、ドンヨリとした曇り空。
明日からの週末も雪になるような予報です。
今朝起きてから、何かいつもと変なんです。喉が少し痛くて、変な咳が出ます。
私は普段からアレルギー性鼻炎ですので、クシャミ・鼻水が出るのは当たり前なのですが、今朝に限ってそれらの症状は起きなくて、なんか背筋がゾクゾクするような感じでした。
うーん、二日前の通院でしっかりと風邪の菌をもらってきたのかもしれませんね・・・。汚い話で恐縮ですが、私のようなアレルギーを持っていますと、逆に風邪をひいたのかどうかのバロメーターにはなりますよ・・・。(^o^;)
取り敢えず、市販の風邪薬を服用して出勤しました。
 今朝のカーラジオで女子プロゴルファーの花粉症のお話を聞きました。
スィングするときにクシャミが出たり鼻水が出たりしたら困るのでは・・・?
スィングするときって神経を集中させているのでクシャミは出たことはないとのことです。でもパットを打つときにボールの上に鼻水が垂れたことはあったそうです・・・。
私はゴルフはしませんので詳しいことは分かりませんが、待ち時間等のときなんて花粉症の人は大変でしょうね、どこからでも花粉が飛んでくる素晴らしい環境にいる訳ですから・・・。
私がしょっちゅうクシャミをするのは、神経が緩んでいるからなのでしょうかね・・・?
一番困るのは車の運転のときですね、片手にティッシュを持ちながらの運転になりますから、危険です。
若いときはアレルギーなんてなかったんですよ、つい3年くらい前に突然起きました。
一度身体の中に抗体ができてしまうと、一生付き合うことになりますね・・・。
うーん、何としてでも今回の風邪の症状だけはくい止めなければなりません。
〔今日の写真は「胡蝶蘭」です。〕
※今回の上京の際に、東京ドームのらん展で購入しました。

2005/02/24(木) 『耳鼻咽喉科』は今、大変です・・・!
 昨日も夕方から吹雪の荒れ模様になり、今朝は15cm程度の積雪がありました。
もちろん道路は凍結状態のアイスバーンでした。
今朝の通勤の車窓から見えた景色も、昨日同様の素晴らしいモノトーンの世界でした。
実は、昨日は私にとっては大変なことがありました。
夕方1時間早退して、喜多方市内の耳鼻咽喉科へ行きました。受付を済ましたのが17:00で、受付番号57番でした。診療の受付は18:00で終了するのでどうしても1時間の休暇を取って来ました。私が受付を終えたときの診察番号は33番でした。
この時期はインフルエンザに罹ったり、風邪をひいた患者さんで待合室は混雑していました。順番が来るまで待つしかありませんので、取り急ぎマスクをして風邪の菌等が私に移らないようにするのが精一杯の防護策でした。ただ待っているだけでも病気になりそうな雰囲気です。
私は一年中アレルギー性鼻炎(花粉症ではありません)に悩まされ、汚い話で恐縮ですが人前で鼻水等が流れるのを見せたくないために、マスクは何枚かバックに入れておきます。今回はその定期通院で訪れたわけです。
診療は丁寧に患者さん一人一人の症状に合わせて先生からの診察があります。
ある程度の時間が掛かることを覚悟はしていましたが、結局私の診察が終わったのは20:00を過ぎていました・・・。
まだ私の外には、10人位の患者さんが待っていました。
ようやく診察を終えて外へ出ると大粒の雪が吹雪いていました。
帰宅してから「手洗いとうがい」をして食事を摂りましたので、今のころ私には風邪の兆候は出ていません・・・!  
福島県内のインフルエンザの患者数が2,900人を越えたとの感染症報道が今朝のラジオから流れていました。これからも増加の傾向とのことですので要注意ですね・・・。
東京を中心とした関東地方では、『春一番』が吹いたとのニュースを病院のテレビで見ましたが、そのときの気温は19.5℃と報道されていました。
我が会津地方を含めた東北地方で春一番が吹くのは、いつ頃になるのでしょうか・・・?
春はもう・・・そこまで来ているのに、見え隠れしています。
〔今日の写真は「シクラメンとサクラソウ」です。〕
※我が家で一番元気な花のようです・・・。

2005/02/23(水) 『疾風のように現われて』・・・!
 今朝も起きてみたら20cm程度の積雪がありました。
気温の関係があるのでしょうか、綿飴のようにフワフワとした雪でした。雪の結晶が見えるような大粒の雪ではありましたが、そんなにも重くはありませんでした・・・。
逆に気温が低かったために、この時期としては珍しく樹木に着雪して華が咲いているように見えました。
朝の通勤途上ですから、写真撮影できなくて残念でした・・・。
そういえば、毎日私の絵日記をご覧になり、隔週ではあっても私の掲示板に書き込んで下さった『どんぐりやま』さんは、いまどうされているのでしょうか・・・?
ぱったりと私の前から姿が消えてしまったような感じがします。
♪♪疾風のように現れて、疾風のように去って行く・・・・まるで昔(1958年)流行った『月光仮面は誰でしょう』の主題歌のような人でしたね・・・!
あの当時私は小学生、学校の映画教室でも月光仮面を上映してくれた記憶が今甦ります。
最近、お陰様で壁紙写真のダウンロード数は順調に伸びてはいますが、皆さんからのお便りやご意見が掲示板にさっぱり記入がありません。
サイトを運営していく、私としては本当に寂しい限りです。
なんていうのか、心の中にポッカリ穴が開いたような感じです。
でも、考えようによれば、サイトを揚げているのは私の勝手、見るのは貴方の勝手なんですよね・・・!
でも掲示板に書き込むのって、いくら匿名でも勇気がいることだと思います・・・?
♭♭しっかりしろよと なぐさめる 誰でも好きに なれる人・・・
落ち込んでいては、何事も始まりません。明日から気を取り直して頑張りましょう・・・!
〔今日の写真は「世界のらん展2005から」です。〕
※今日も私は女房とふたりで写っています。
この日記を書いていて気付いたのですが、『月光仮面は誰でしょう』の2番目の歌詞はネットで調べて初めて知りました・・・!

2005/02/22(火) 新しい言葉『blog』に、時の流れを感じます・・・!
 昨夜から降っていた雪は、今朝起きてみると20cm程度積もっていました。
会津北部地方は未明から大雪警報が発令されていました。
それでも午前中は吹雪いていましたが、午後からはときおり陽の光が差すこともありました。立春を過ぎてから、3週目になりますので厳しい冬の勢いは何処かに遠のいていく感じがしました。
でも帰宅すると、屋根の雪が下りて防寒のゴム長靴が埋まるほどになっていました・・・。
さて話題を変えます・・・。
最近良くネットで見かける言葉にblogというのがあります。
◇◇◇◇◇◇以下はネットで調べてみました ◇◇◇◇◇◇
「ブログ(blog)」とは、ホームページの形式の一種で、日記ホームページによく似ています。 「ウェブログ(weblog)」を略した言葉で、「Web上に残される記録」というような意味を持ちます。ブログの歴史や厳密な定義には諸説ありますが、おおまかには、作者がデザインなどをいちいち考えなくても、上から順番に新しい記事が表示されていくホームページ、と考えていいでしょう。
これはホームページの特性から考えて、とても理にかなった形式です。私たちはたいてい、気に入ったホームページを何度も見に行き、そこでの新しい記事を探します。ブログでは最初のページのいちばん上に新しい記事を表示するので、非常に読みやすく、また検索機能や「最近の記事」のリストが標準でついているおかげで、バックナンバーを探すことも簡単です。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
うーん素晴らしい解説ですね・・・もう「絵日記」という言葉は時代遅れなのかもしれません。blogの優れているところは読者がコメントを入れられるところだと思います。
ちなみに私が使用している絵日記のサイトは保存件数は2年分731件となっています。
それを越えると不要な分を削除しないと新しい日記を投稿できなくなります。
今年の6月にはその時期が参ります。そろそろ私も無料サイトのblogを視野に入れて検討したいと思います・・・。
ちなみに私が絵日記を始めた2003年6月15日頃にはblogなるものは存在しなかったような気がします。
新しい言葉に時の流れを感じます。
私のサイトはもう時代遅れなのかもしれませんね・・・!
ちなみに私の娘達夫婦も子育て日記をblogで公開しています。
〔今日の写真は「湯島の枝垂れ梅」です。〕

2005/02/21(月) 今回の『ふたり旅』を振返って・・・!
今日のお天気はドンヨリとした曇り空。最高気温も氷点下という真冬日の予報です。
朝の通勤途上では雪が吹雪いて、一部路面は凍結状態でした。それでも田んぼの畔(くろ)は雪が融けて地面が少しずつ現れてきています。
春は確実に一歩ずつ近づいていることは確かで・・・と、思いきや、夕方には猛吹雪になりました・・・。
それにしても湯島天神を参拝して白梅を観賞しているときは、本当に寒かったです。
東京でもあんなに寒くなるときもあるんだなぁ・・・とあらためて感じました。普段よりもオシャレして一枚薄着で上京したものですから、とても寒く感じました。
水道橋にある東京ドームへ向かうときも、傘は一本(ふたりで一本)差していましたが、うーん寒かったですね・・・。
でもドームの中へ入って世界のラン展を見学しているときは、逆にお客さんの熱気で身体は温かくなってきました。
胡蝶蘭を始めとしたいろいろな種類のランを観賞できました。あの素晴らしさをデジカメで表現しようとすると、欲張りすぎて何を写したのか結局分からなくなってしまいました。
写真は失敗しましたが、あのドームの中全体を世界のランでレイアウトされた姿は正に圧巻でした。
お土産に胡蝶蘭1輪、エビネ1パック(水苔仕様で10個入り)を購入しました。
両方で2,000円でしたが、私は安いと感じました。高速バスの始発駅は新宿にありますので、そこまでランを傷めないように運ぶのには一苦労しましたよ・・・(^o^;)!
今回の「ふたり旅」を振り返って書いてみましたが、何よりも初孫『駿』君が健やかに育ってくれていることが、私たち夫婦にとって最大の喜びでした・・・。
来月の春の彼岸過ぎ頃には、都合が付けば喜多方へ帰って来てくれるかもしれません。
もしそうできたら、いいなぁ・・・と、今から心待ちにしています。
〔今日の写真は「間もなく9ヶ月になる駿君」です。〕

2005/02/20(日) 東京では『梅』が五分咲きです・・・!
 絵日記を二日ぶりで書くと、何故か何日も書かなかったような気がします。
無事に18・19日の一泊二日で東京にいる孫に会うことができました。昨年5月26日に誕生しましたから、もう間もなく9ヶ月になります。
人見知りをする時期とあって、当然泣かれることは覚悟で会いましたが、孫は、最初は怪訝そうに私達を見ていましたが、そのうちに慣れてきました。
実は今回上京したことには訳があります。
会津では男の子でも3月のひな祭りのときに『会津の天神様』を飾ります。
菅原道真公に肖り頭がかしこく、そして健やかに育って欲しいとの願いが込められた、元祖張子の『会津の天神様』を孫に持って行きました・・・。
歴史を遡れば約400年前、会津藩主『蒲生氏郷』公が京から人形職人を会津へ連れてきて作らせたのが始まりとされています。
孫は私達にも徐々になついて、ダッコしたりするようになりました・・・。本当に可愛いですね、初孫は・・・!会津へ連れて帰りたいと思うほどです・・・。
翌日〔19日〕は、東京でも雪が降る寒い朝となりました。
上野不忍池の近くに宿泊した私達は、歩いて文京区にある『湯島天神』を参拝しました。雪から雨に変る最悪のお天気ではありましたが、何枚かは写真を撮ることができました。
ちょうど「うめ祭り」が行われているときでした。日当たりの良い所で5分咲きくらいでしょうか。
会津では梅も桜も4月に一緒に咲く感じがしますが、梅が最初に咲くのを見るのは初めてでした。
その後は、いつもの女房の機転で、東京ドームで行われる『世界らん展日本大賞2005』の封切を見ることができました。
NHKのデジタルハイビジョンでも生中継されたようです・・・。
胡蝶蘭を始めとした素晴らしいランの花に圧倒されて、写真はイマイチとなってしまいました。
女房との気ままなふたり旅が今回実現できたこと、本当に嬉しく思います。
今日のサイトのトップ頁そして、『壁紙写真集・ふたり旅』に湯島天神の白梅と世界のらん展から洋蘭のディスプレイをアップしました。壁紙には最高の出来だと自負しています。
よろしかったら、ご覧くださいね・・・!
〔今日の写真は「世界らん展日本大賞2005会場にて」です。〕
※ふたりで絵日記に登場するのは初めてかもしれませんね・・・。

2005/02/17(木) 『会津の天神様』・・・!
 昨日吹雪いた雪も、県内の中通り方面では20cm程度の積雪があったようですが、意外に会津では殆ど積雪は見られませんでした・・・。
実は昨日の夕食の時に、孫への節句のお祝いに『会津の天神様』を贈りたいと女房から話が出たものですから、急遽昨日写真を撮って載せました。
男の子の場合は5月ですが、3月の雛祭りのときに飾るのが習わしになっています。
そこで、今日は『会津の天神様』について調べてみました・・・。
日本三大天満宮の一つ、会津の天神様は猪苗代湖畔「小平潟」にあります。今から1000年以上前に建立され、天満宮は会津鶴ケ城の方向を向いています。会津の地を守る願いを込めたものと思われます。
◆◆今から約四百年前、時の会津藩主蒲生氏郷(がもううじさと)がわざわざ京から職人を呼んで作らせたのが会津天神の始まりとされています。天神様はご存知の通り学問の神として信仰される菅原道真公を祀った神様。それが人形となり、伝統玩具として各地に伝わっています。道真公にちなんで頭がよくなるように出世するようにという子供にかける親心のあらわれでしょうか。会津天神はその顔つきの温和さと品の良さで屈指のものと人気も高いのです。頭は桐の木粉を固めたもので、体は張り子。会津ならではの昔ながらの製法で手作りされ、変わらない愛らしさを今に伝えています。
いつの時代になっても、子供や孫の健やかな成長を願う親の気持ちに変わりはありません。さて明日から一泊二日で孫に会いに上京してきますので、絵日記はお休みいたします。
〔今日の写真は「元祖会津の天神様」です。〕

2月絵日記の続き


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