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2005/10/09(日)
禁断のカセットテープ〜前編〜
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ちょと快調ジャ〜ジャジャジャ〜ン!
というわけで二日続けてこんにちわ。 ワタシ、松子。
今日、家ですごいものを発見した。
朝、通勤電車で聴く音楽を探していて、 MDの山の中からインデックスの無い、何が入ってるか分からないMDを二枚選び鞄のなかに無造作に突っ込んだ。
何が入っているかワクワクしたくて、できるだけ古そうなものを選んだ。 おそらく10年近く前のものだろうと、思われる二枚だった。
電車の中でおそるおそる聴いてみると、一枚はパフィーのデビュー曲とか、スマップとか、明らかに当時の松子のカラオケ&宴会の予習用MDだった。 懐かしくもあり、早送りしながら聴いていたが、工藤静香さんが出てきた当たりで、「ま、もういいか」と次のMDに変えた。
するとそれはやはり同じ時期のもので、 松子がまだ故郷の老人ホームに勤めていたころのものだった。
松子はそのホームのオープンスタッフだったので、同僚もほとんど同級生か同世代の人たちで、スタッフはみんな非常に仲良しだった。
そのころから歌が好きだった松子は「合唱部」というものを勝手に作り、おもしろ半分にスタッフに募集をかけた。
すると20人ほどのスタッフのうち、10人もの人が入部を希望し、晴れて「合唱部」が誕生し、松子はその「団長」に就任した。
「合唱部」なのに「部長」ではなく「団長」というところが当時のこだわりだった。
「合唱部」は2、3年ほど活動を続けたと思う。 毎月4回は練習をしていた。これってすごいな。
同じ職場のメンバーとはいえ、勤務時間が不規則な上に、夜勤もあったし、休みもバラバラだったのに。。。
で、ホームの催しもの、例えばクリスマス会とかお誕生日会とか、2、3ヶ月に一度お年寄りの前で発表してた。
団長である松子は毎月手書きの「合唱部だより」なるものを発行し、練習日をお知らせするとともに、くだらない小話を掲載していた。(一部では非常に人気があった)
あ、今すごく懐かしくてちょっと遠い目をしてしまったワ。。
しかし合唱部にはピアノを弾ける人がいなかった。 これが結構致命的で、自分達だけで歌っているとどんどんヤバい事になってきたので(っていうか最初の音も出せないよね。どうしてたんだろ)団長は捨て身の行動に出た。
ボーナスを奮発して「EOS」なるスピーカー付きシンセサイザーを購入し、楽譜を見ながら音をひとつづつ打込んでいったのだ。 チマチマした作業を我慢すれば、あとはスタートボタンを押せば、勝手にスピーカーから伴奏が流れるという仕組みだ。
使い方をいまいちマスターしていないので、すごく電子的で妙に粒のそろった演奏だったけど。。。
それ以来発表の時には、そのシンセサイザーをもっていった。 1曲、1曲、松子がスタートボタンを押して、速攻で自分の定位置にもどり、誰もいないシンセサイザーから音が流れ出すという、なかなか笑える状況だったが、誰も気にしなかった。
で、何を言いたかったかというと、もう一枚のMDというのは、そのシンセサイザーで松子が作った合唱部用の伴奏曲が入ったMDだったのだ。
中には合唱部とは関係のない、松子自作のインスト曲まであった。 その曲も結構笑えて、シンセに入っていた音で「チュ〜ン」とか波の音の「ザザ〜ン」とかいうのがあって、多分嬉しくて使いたかったんだと思うんだけど、ずっと後ろの方で「チュ〜ン、ザザ〜ン」って鳴りっぱなしで、もう聴くに耐えない大変な代物だった。
もう充分恥ずかしい思いをしたから、MDを切ろうとしたら、急に音質が悪くなった。 そして明らかに、マイクで拾った雑音が聞こえてきた。
「もしや、これは!!!」
あの頃の記憶が今はっきりとよみがえる・・・!
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長くなって入りきらないので、二回にわけます。
果たしてそのMDの続きには何が入っていたのか! 次回明らかに!!
明日をお楽しみに☆
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