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2004/08/08(日)
新連載 〜 8月の思ひで4
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もちろん誰も死にたくないが、A氏との約束は絶対なので行かない訳にはいかなかった。このままパーキングで朝を待ち、地道に降りてすぐにカー用品店でタイヤを交換するように勧めていたJAFおじさんも、我々がこのまま突き進む腹を決めたと見るや、「死んでもおじちゃん知らんからな」と去っていった。
おじさんが言い残した「80以上で走ったらほんま知らんで」。 この言葉を胸に、制限速度を80キロと決め我々は不安と共に高速道路を西へひた走った。時速80キロは朝11時福岡空港到着できるギリギリのラインである。果たして無事到着するのだろうか???
その先は張り詰めた夜だった。少しガタッと音がするだびに皆ビクッと身じろぎする。なんせ今にもパンクするかもしれないタイヤがこの車を支えているのだ。さっきのひとつめも運が悪ければ走行中にハンドルをとられ大事故に繋がっていたかもしれないのである。そしてその不安が今なお足下にあるのである。 いま改めて思うとなんという危険をおかしていたのだろうと恐ろしくもある。良く生きて帰って来れたと神さんに感謝するほかない。。。
そう、松子が今元気にこの思ひでを書いていることからも分かるように、われわれは無事に九州へ到着したのである。ちょうど日が昇るころ我々のバン君は、意気揚々と本州と九州を結ぶ大きな橋を渡っていた。とてもきれいな朝であった。
ようやく九州の福岡に突入した時にはバンの中から歓声らしき奇声があがった。出会ってまだ数十時間の一行であったが、六人とバン君の間には「一緒にやり遂げた感」が満ちあふれていた。
バンはA氏の待つ福岡空港へと急いだ。指定時間ジャストに到着、A氏との対面を果たした。長い夜だったので、「すっかり御無沙汰しております」と丁寧に御挨拶したくなるような妙な感じであった。
我々のこれまでの目的地は福岡空港であった。
この先どこへ行くのか、何をするのか、どこに泊まるのか、はたまたいつ帰るのか、やっぱり誰も知らなかったが、まだ旅はこれからのようであった。
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