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2004/08/16(月)
新連載 〜 8月の思ひで10
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そう言えばいつ帰るのか聴いてない。 当時無職だったのでたいして気にはならなかったが、リトアニアの彼女と、ラトビアボーイはこの旅が終わると帰国すると言う。 彼等が日本に来たのは「世界遺産」という番組でラトビアとリトアニアが取り上げられた時の現地のコーディネーターだった事が切っ掛けとなったらしい。 まだ若いのに三人ともしっかり自立しているように見えた。
リトアニアの彼女の方は松子より4つほど年下だったと思う。まだ当時学生であったが、日本語を始めいくつかの語学が堪能と言う事も有り、すでに国際的なビジネスをしているという話であった。 ラトビアボーイの二人は同じ「ヤニス」という名前で日本人メンバーは「ヤニス1」「ヤニス2」という呼び方で呼び分けていた。 彼等は確か松子と同い年だったが自分達の映画会社を持っていて、映画の制作に励んでいた。当時まだ日本でも普及しはじめたばかりのデジカメを購入しとにかく写真を取りまくっていたのが印象的だ。
リトアニアの彼女とのコミュニケーションは彼女のおかげで問題なかったが、ラトビアボーイたちとは彼女がいないと難しいものがあった。 それでも何とかと一生懸命に英語にチャレンジし、また彼等も実に根気よくつきあってくれた。これだけ旅の中でいろいろな事が有ると、言葉が通じなくても一体感がうまれる。いつ帰るのか気にしながらいつまでも続いてもいいと思っていた。(ちょっと言い過ぎ?)
東京に帰ると聴いたのは水俣で目覚めた朝だった。 宿出る前にしっかりと友情を確かめあい、我々のバン君は一路東京へ向けて出発した。山道を少し抜けるとすぐ水俣の市街地にでた。
赤信号で停車しようとしたドライバーが絶叫した! 「おかしい!何だ!やばい!ハ、ハンドルがきかない!!!!ああッエンストだぁっ!」 一同騒然の大パニック! 幸い近くに一台も車がいなかったので、無理矢理車線変更し道路の左端にとめる事ができた。
どうしたんだ!バン君!!
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