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2003/07/27(日)
親切心について
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今日は午前9時半位の電車に乗った。電車に乗ると僕はすぐに、つり革につかまりながらスペイン語のノートを読み始めた。すると、立っている僕の向かって右前に座っていたおじいさんが嬉しそうに僕に座席を譲ろうとしてきた。元気のよさそうな人だった。曰く、『座んなさい座んなさい、はらほら、勉強するんだから座んなさいな』とても人がよさそうに見えた。しかし僕は、その申し出を受け入なかった。老人に若者が席を譲られるなんて恥ずかしいととっさに判断した。「いいですよ、いいですって、座っててくださって大丈夫ですよ。」しかし、『勉強するなら座ってさ・・・』 普段僕は電車の中で人席を譲ることなんてしない。ぶっちゃけ言い出すのがめんどくさいし、もしその自分の申し出を断られたたら萎えるだろうと思うから。 その老人と数秒間そんなやり取りを交わしている間に次の駅に着きそうになって、僕の左前に座ってた人が立ってドアのほうへ向かった。つまり、老人の隣の隣の座席が空いた。そして僕は、はにかみながら老人とのやり取りをおわらせて、ホッとしたようにそこへ座った。老人の隣じゃないから気まずくないし。おそらくその老人にとっては少なくとも僕がホッとしたように見えたと思う。 そして僕は座ってからノートに目を泳がせながら少し考えた。さっき、僕は老人の親切を素直に受け入れていればよかったのだろうかと。老人はいま、自分の隣の隣の席で、気まずい思いとわざわざ親切心から試みた行いを断られた寂しさにいるのだろうかと。 時と場合はあるものだが、考えてみるとこの種の親切は、する方にとっては相手が喜んでくれるととても嬉しい。むしろ相手の喜んでいる様子を見たいがためにする。自己満足にも近い ・・・・ 続きは眠いので無し。きっとこの文章も自己満足に近い。笑 おしまい いしげ 2003.7.26
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