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2005/01/29(土)
出願を終えて
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出願がほぼ終わりましたが、はっきり言って、みなさん「強気」ですね。他のクラスの状況を聞いて思ったのですが、多分理数科が一番強気でしょう。担任の指導力がない、と言ってしまえばそれまでですが。 12月の個別保護者会の時に、ある保護者の方から言われました。
「先生、あまり子供に『厳しい』『厳しい』と言わないでください。自分も高校時代に担任にそう言われましたが、努力して志望校に受かりました。気持ちよく受けさせてやってください。」
「そうはおっしゃいますが、実際にデータを見ると、やっぱり『厳しい』んですよ。過去にこの成績で受かった人はいないんです。『厳しい』と言わざるをえないじゃないですか。ホントは『絶対に受かりません』と言いたいんですが、お子さんの気持ちを考えて、これでもまだ遠慮しているんですよ。生徒が行きたい、という学校をそのまま受けさせるのなら、担任の進路指導は必要ないですよ。」 そんなふうに言いたい気持ちをグッとこらえ、保護者会を終えたわけです。担任は、何も受かる、受からない、ということだけをお伝えしているわけではありません。ダメだったときの皆さんの悲しい顔をできることなら見たくはないのです。どうせなら、少しでも可能性の高い大学にチャレンジしてもらいたい、そう思うのです。大学受験に失敗すると、自分の全人格を否定されたように感じる、と言います。相当辛いです。浪人なんかしようものならなおさらです。それもまた経験、と言えなくもないですが、できれば避けたい経験です。もし自分のなかである程度の「妥協」が可能なら、やはり可能性の高い大学を受験してもらいたいと思うのです。 ただ、たとえ判定がEだったとしても、可能性が0%だというわけではありません。もしかしたら受かるかもしれません。また、矛盾するようですが、
「生徒が受けたい大学を受けさせてあげたい」
という気持ちもあります。行きたくもない学校に出願しても勉強しようという気にならないでしょうし、仮に受かったとしても進学しようと思わないかもしれないからです。
担任とみなさんで十分話し合いをし、出願校を決定しました。実際に出願してしまったわけですから、いまさら「厳しい」と言っても無意味です。もう何も言いません。この言葉を除いては。
受かりたかったら、死ぬ気でやりなさい。
みなさんの健闘を祈っています。担任は、そのためのお手伝いを、「死ぬ気で」やります。「合格」の2文字を信じて。
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