|
2005/01/22(土)
再会
|
|
|
おはようございます。 昨日中山Pで朝練中おやじから俺の携帯に珍しく電話があり何事か?と思いきや田舎のおじさん(88才)が危篤状態で会わせたい人が居たら早めに呼んだ方が良いと言われたとのこと。 親爺自身昨年末からの体調不良で今は退院したもののまだまだ精密検査も残ってるのにも関わらず今から車で行って来るとの強硬発言。 すでに走り出して高速のインター付近まで行ってしまっている親爺をいったん呼び戻して俺の運転で急遽茨城日立まで捕まらない程度にアクセルオン。
子供の頃は夏休みの旅行先と言えば決まって茨城、親爺の両親はいろいろあって早くに死に別れた母親の兄弟であるおじさんの家で育った訳でいわば育ての親、俺にとっての祖父同然。 家は日立の会瀬と言う海岸から僅か100Mほどのところに建っていて寝ていると波の音が聞こえる、潮の香りがする、庭でカニが捕れるホントに長閑な家でした。 冗談が好きなおじさんでしょっちゅうかまわれていました。 まだ幼かった俺をおじさんの家族(曾祖母、おばさん、おじさんの子供4人)は大変可愛がってくれて行くと海岸(砂浜)で呆れるほど遊んでいたのを想い出します。
病院のベットで横たわっているおじさんは日焼けした浅黒い顔は想い出そのままですがとても小さく見えました。 酸素マスクごしに俺にむかっていろいろ話をしてくれているのですが、良く聞き取れません、だけどときどき解ります。 あ〜、冗談をいっているんだ、あ〜、昔俺の家に遊びに来たときのはなしをしているんだ、とか。 そして俺に言いました、医者でも看護婦でもいいから家に帰れるように言ってくれと…。
おじさん、少し休んで元気になってもう一度東京に遊びに来て下さい。
かみさんのおかあさんは3日ほど前からやっと食事が出来るまでに回復しました。 かみさんのおとうさんは痛めた腰もほぼ良くなって我が家で元気に過ごしています。 俺の親爺はやっと出歩けるようになってきました。 おふくろの肝硬変、悪いは悪いが小康状態。
人は必ず歳をとる。 俺も必ず歳をとる。 衰え行く肉体に鞭打って今日も1日よく生きる。
|
|
|