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2010/07/29(木) 水俣病に学ぶ―――いのちの価値(3)
胎児性水俣病
水俣病を「公害の原点」と決定的にしたものに胎児性水俣病の発生であった。それまで,胎盤は毒物を通さないと考えられてきた。そのために、最初、これらの患者たちは「魚を食べていない」という理由で水俣病とは認められておらず脳性マヒと診断されていた。しかし、この子の母親たちは最初から「私が食べた魚のせいに違いなか」と確信していた。それは、同じような子どもたちが水俣病の多発地区に同じ年に、多発していたからである。たとえば、水俣病多発地区ではこのような子どもが7.0から9.0%もみられていた。日本の一般の脳性マヒ児の発生率は0.2から0.5%であったから異常に高率であった。しかも、この子たちはみんな脳に重篤な障害をもち、同一症状であったこと、母親たちが妊娠中に水俣湾産の魚貝類を多食したこと、家族に水俣病患者が多数いたことなどから水俣病との関係が強く疑れていた。
その後、熊本大学医学部の研究によって胎盤経由の胎児期におこったメチル水銀中毒であることが疫学的、臨床的、病理学的、実験的にも明らかになった。そのため、世界初の胎盤経由の中毒の存在が明らかになったのである。
胎盤経由の中毒の発生は人類初の事件であることから、さまざまな方面にさまざまな影響を与えずにはおかなかった。従来の胎盤は毒物を通さないという神話が崩れ去ったのである。つまり、環境を汚せば、子宮(次の世代のいのち)も汚染する、換言すれば、「子宮は環境である」ということを示した。
人類は胎盤が外部からの毒物を遮ることによって、子孫を護り、生き延びてきたといえる。換言すれば、数百万年の人類進化の過程でそのような機能を獲得してきたから生き延びてきたとも言える。しかし、メチル水銀は胎盤を容易に通過して、母親に大きな障害を与えること無しに、胎児に重大な障害を与えることが明らかになった。現代においてはもはや胎盤は胎児を護ってくれなくなったのである。
なぜ、胎盤は毒物から胎児を護ってくれなくなったのか。数百万年という長い人類など生物の進化の歴史の中で自然界に存在する毒物に対しては、胎児を護るという機能を獲得してきたと考えられる。しかし、自然界に全く存在しない化学物質や自然界にあっても極めて微量な物質に対してはそのような機能を生物は獲得してこなかった。したがって、生物の遺伝子(DNA)はそのような物質をどう処理していいのか分らないのである。たとえば、自然界に全く存在しなかったPCB(ポリ塩化ビフェニール),PCDF(ポリ塩化ジベンゾフラン),DDT,ダイオキシンなどの有機塩素系化合物などがそのいい例です。また、自然界に存在しても極めて微量にしか存在しなかったものの例が放射性物質やメチル水銀などである。これらのものは自然界にも微量なら存在していたものであるが、人類はそれらのものを地下から掘り出して濃縮して大量に使い始めたのである。
宝子
新潟水俣病(1965年)では公式には胎児性水俣病は一人となっている。それは水俣病の発生が明らかになった時、胎児性水俣病が生まれる可能性があることで新潟県は子どもを生まないように指導した。水俣病多発地区で頭髪水銀が50ppm以上を示し妊娠可能な女性が40人いた。彼女らに対して新潟県は1965年7月、母乳育児の禁止と子どもを生まないように指導した。新潟では詳細は不明であるが2人が中絶し、1人が不妊手術を受けていることが明らかになっている。
 水俣では確認されている重症胎児性患者だけでも66人以上いる。胎児性で最も重症な上村智子さんは何一つ自分では出来なかった。しかし、母親の良子さんは智子さんを『宝子』といって慈しんだ。「この子が私の食べた水銀を全部吸い取って生まれてきたので、私も姉妹たちも元気です。この子が一人で水銀を背負ってくれたので、わが家のみんなの恩人です。それに、私はこの子の面倒で手一杯で、他の子の面倒は全くみてやれなかったとです。それで、他の子たちはこの姉を見て育ったから、自分のことは自分でする、お互いに助け合う優しい子どもに育ってくれました。それになあ、先生。この子がテレビに出るでしょうが、すると政府の偉か人や、会社の偉か人が見て、環境に注意するごとなれば、この子は本当に宝子ですたい」と言うのが常だった。
公害がおこって差別がおこるのではなく、差別のあるところに公害がおこる。差別とは「人を人と認めない」ことであり、相手の立場に立ってみないことである。この地球には残念ながらまだ多くの差別がある。「先進国と途上国」、「多数民族と少数民族」、「富者と貧者」、「都市と農村」、「健康者と障害者」などなど。これらの差別とどう取り組むかが重要である。環境問題の解決は決して資金と技術だけではない。水俣病の経験から学ぶ学問として「水俣学」を模索している。それは従来の枠組みを超えた、現場に学び、いのちを中心にした新しい学問(哲学)が今、必要であると思う。

参考著書:「水俣病」(岩波新書)、「水俣が映す世界」(日本評論社)、「いのちの旅」(東京新聞社)、「水俣学講義第1〜4集」(日本評論社)、「人類史に及ぼした水俣病の教訓」、in 『生命と環境の共鳴』(熊本大学生命倫理研究会論集、九州大学出版会)「応用倫理学講義、環境」(岩波書店)。「宝子たち」(弦書房)、「検証、環境ホルモン、共著」(青木書店)、「カネミ油症、過去・現在・未来、共著」(カネミ油症被害者支援センター編)


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